外務省認定された今話題の「三承工業」を訪ねてみた。
- 「大切」にしていること
- 「組織」としての在り方
- 上手くいく「コツ」
- 「未来」への想い
岐阜市に本社を持つ三承工業株式会社。
街中で「780万円からの家創り!」というキャッチに見覚えがないだろうか。
高くてマイホームに手が出せないと思っていたマイホームへのマイナスイメージを払拭してくれたのが、三承工業だ。
岐阜県ワーク・ライフ・バランス推進エクセレント認定企業であり、厚生労働省からは《働き方改革》が成功した企業として認められている。
省庁と連携して働き方改革セミナーや女性活躍セミナーなどを全国で行なっている。
今回の登場人物はそんな三承工業株式会社の代表取締役 西岡徹人さん。
今ではウィキペディアに載るほどの、岐阜を代表する社長さんだ。
2008年から始めた《岐阜で働く社長ブログ》が10年近くにわたりアメーバブログのブログ社長ランキングでは、1位になり続けている。
色々な社業を行い、結果を生んで認められている。
そんな社長さんはどんな考え方なのか、苦労はなかったのか気になるところだ。
独立して会社を設立、色々な形で表彰されるまでに会社を成長させた裏技があるのだろうか。
全国をとにかく飛び回るというハードスケジュールの中でも、前向きに楽しむ西岡さんに、話を聞いた。
「大切」にしていること
「よく自社のことを〝すごい〟とよく言われるけど、20歳で独立しているし、大手の会社にいたわけでもないから、普通がわからない。だから自社がすごいことがわからない。笑」
三承工業は完全に西岡さんのオリジナルスタイルで出来上がっている。
認定や表彰をされることは簡単なことではない。
名が売れるのも容易くはない。
今の三承工業を見れば誰もが目指す〝素敵な会社〟だが、本当に最初からそうだったとは限らない。
西岡さんだから最初から上手くいったわけではない。裏技や大技なんてなかったのだ。
「なんでも段取りが必要で。大技はないよ!!」
西岡さんは高校卒業後、岐阜の某建設会社に就職し、2年働いたのち20歳で独立。
会社の仕組みや内情などわからないままの独立だ。
三承工業の創業当初は草刈りばかりしていた。
今では家を売っている会社だが、最初にやっていたことは《草刈り》のみだ。
だが草刈りは11月、12月になると草が枯れて終わってしまう。
「草刈りなくなって仕事がなくなって、、、、どうしようってなってた。笑」
会社は完全に赤字。倒産寸前だった。
でも西岡さんは諦めなかった。
どうにかしたいという西岡さんの気持ちが会社が変わるチャンスになったという。
西岡さんは家づくりのセミナーに参加。
そして家づくりを始めた。
だが西岡さんは家づくりに関して何も知らない。
あるのは「家を建てたい」という気持ちだけだった。
「実は当時はガルバニウムと合板の違いもわからなかった。笑
だから最初から協力してくれる人に来てもらった。
あらゆるパートナーと連携して、パートナーさん達に家を建ててもらった。」
ここで西岡さんの中で連携することの重要性が生まれた。
《連携する大切さ》は今、西岡さんが伝え続けている、働き方改革の内容の重要なひとつだ。
ここから三承工業は前向きに動いていくことになるが、まだまだ簡単な道のりではなかった。
西岡さんには2つの大きな変わるきっかけが待っていた。
2012年に女性社員が妊娠した。
妊娠した従業員さんは《温かみのある。母性溢れた方》だった。
妊娠したことをきっかけに、その女性社員は退職希望を出した。
当時は男性従業員20人中、2人しか女性がいない会社だった。
当たり前と言ってはいけないが、男性が多い会社では、大体の女性が結婚や妊娠をすると退職するケースが多い。
その背景には、女性の生活の変化への理解がされないことが大きくある。
結婚をすることで女性は家事の負担が増え、労働時間が少なくなる。
妊娠すれば、人によるが悪阻などがあり体への負担が多くなり、休みも増える可能性が高い。
出産後には、育児が始まり、仕事ができる余裕や環境もないのが事実だ。
だからこそ女性は退職を選んでしまうことが多くなってしまう。
働きたくても働けない、女性はそのもどかしさに悩むことも多いはずだ。
三承工業も男性ばかりの会社で、女性の働き方なんて考えていなかった。
だが会社的には彼女のような素敵な人を失いたくはなかった。
「だから、生んだら会社に連れて来ていいよって言ったんです。」
これは簡単に言える言葉ではない。
策があったわけではない。
ただ大切な社員が子供を産む。
ならば子供を連れてこれる環境にしないといけない。
西岡さんが〝女性が働きやすい環境づくり〟に初めて向き合うきっかけになった。
当時、三承工業は社員の風土がとても悪かった。
室内は喫煙で空気も悪い。
社内で建築と土木で別れていて、お互いに矢印を向け続けていた。
建築と土木が言い合う毎日。
社内の壁に穴が開くこともあった。
風土が悪く赤字が続く。
赤字を乗り切るのは風土をよくするしかない。
どうにか風土をよくしようと西岡さんはセミナーに行った。
セミナー内で《社風考察》という、社員にアンケートを答えてもらうことがあった。
あなたは会社が楽しいですか?あなたは仕事に生きがいを感じていますか?などのアンケート内容だった。
西岡さんは社員みんながいい答えを答えてくれるんじゃないのか、という期待をしていたという。
満足させられていると信じていたからである。
だが答えは全く期待とは違うものだった。
アンケートはマイナスな意見で埋め尽くされていた。
マイナスな意見の中には「早く辞めさせてほしい」という声もあった。
「なんて俺はひどいことをしてたんやって、その時に初めて気付いた。」
お客さんも喜んでない。
従業員も喜んでない。
その家族も喜んでない。
「1番辛いのは自分でしょと言われた。その通りだった。全部人のせいにしてた。」
西岡さんは他責をしてしまっていた。
他責が1番ダメなことを実感したという。
この失敗が西岡さんの考え方を一新させた。
自分自身が動くことを考え、最初はトイレ掃除を始めた。
昔は掃除担当がいて、西岡さん自ら掃除することは全くなかった為
「倒産寸前やで社長頑張りだしたんや」「宗教始めたんじゃないか」などと社員に言われながらも、西岡さんはやり続けた。
西岡さんが変わっていくことに嫌がる社員は辞めていった。
だが西岡さんは引き止めず、いい方向に行くことだけを信じて行動し続けた。それが正解だったという。
5年間は誰よりも早く会社に来てトイレ掃除をした。
5年が経った時、みんなが掃除するのが当たり前に変わっていた。
同時期に朝礼も始めた。始めた当初は西岡さん一人だったという。
社員さんは言い訳を作り、参加をしない。
参加をしても、当時の西岡さんは怒ってばかりだったからだ。
ここでも西岡さんはまず自分が変わる動きをした。
それが〝ありがとうの朝礼〟だ。
朝礼内で前日の〝ありがとう〟の出来事を、本人に伝えるというものだ。
〝ありがとうの朝礼〟を続けていたら、どんどん朝礼の参加者も増えてきた。
〝ありがとう〟の気持ちも浸透してきて、朝礼でお互いに〝ありがとう〟を言いながら泣き出す人まで出てきた。
〝ありがとう〟の効果は絶大だった。
西岡さんは2015年にトイレ掃除を、2016年には朝礼に出ることを辞めてしまったが、未だ社員さんたちはどちらも続けているという。
2012年から6年たった今。
今があるのは6年前の失敗からの気づきがあったから。
本当の意味で見直しをして、行動を起こしたから全ては変わった。
あの時があったから、あの時に諦めなかったから、三承工業は認定や表彰されるまでになった。
今三承工業の従業員の半数は女性という。
建設業では考えられない女性率だ。
女性が増えて本当に社内が変わったという。
「男性は築くのも遅くて継続力もないけれど、女性はしっかり継続して、男性が見えないものに気づく。お客様の喜ばせ方を発見し、実践してくれている。だから感動が生まれる。男性では考えられないような親身なサポートを出来るのは、やはり女性だからだろう。」
今では組織図でも女性がトップにいることが多くなってきているという。
女でも成果を生みだしている。
男性が上とか女性が上とかは関係ない。
「互いの強みを生かしあって、互いの弱みを補う関係性が基本の考え方。これを全員野球と呼んでいる。全員がこれを理解して行動している」
だから性別は関係ない。一人の人間としてみているからだ。
男性ばかりだったあの頃の面影はもうない。
女性が結婚や出産で仕事が出来なくなるという壁が、なくなった。
これは女性への救いの手だろう。
「女性が働きやすいように」と世の中ではよく聞くようになったワードで、ここ数年で大分世の中は変わってきたように思うが、岐阜ではまだまだ女性が働きやすい環境ではないのが現状だ。
だが西岡さん自らこ経験から、会社への女性の必要性を重要視している。
三承工業をモデルにそんな会社増えることを祈るばかりだ。
組織としての在り方
三承工業ではグーグルカレンダーで、全員が何をしているか把握するために、スケジュールの共有をしている。
タスクリストも共有してみんなで解決している。
「一人が問題や課題を解決をするときは、色んな人と手を組んで解決しないと価値は生まれない。一人だと解決できるレベルが小さくなる。」
連携は必須。
ただ、色んな人に頼めるように、常に関係性を築く事と、自分の強みを知っていないと駄目だ。
なぜなら強みがないのに連携だけしてもらう事は出来ないからだ。
一人で解決しようとすると辛くなってしまう。
一人で解決しようとしてきた過去があるから西岡さんはいう。
だから西岡さんは何度もなんども社員さんに《連携をとる事》を教えてきた。
もうひとつ西岡さんが大事に伝えてきた事は自分の脚本の上で自分の仕事と人生を生きることと、当事者意識を持つことだ。
ここに自分がいるという意識を持つ。
「当事者意識を持てない人がほとんどだった。自分の脚本で人生を生きているのか、人の脚本で生きているのか。それを言ったらみんなが変わってきた。」
ひとりひとりが当事者意識を持ってないから、会社の組織が変わらないというのを身をもって知ったからこそ、西岡さんは社員さんがどうしたら当事者意識を持つのかを、真剣に考えてきた。
「成果を出せる会社はこの仕組みが出来ていた。自分で成果を出す体験を積み重ねると、自信に繋がる。社員には手を貸さずに、自ら成功体験を積んでもらうようにした。そうすると自分で考えて失敗して、また勉強する。自主性が生まれて、他の社員や協力会社と一緒に考えれるようになる。」
当事者意識がないとやらされてる感になる。
自分自身が西岡さんの脚本の上にいる事になってしまう。
当事者意識をもつだけで本当に変わっていく姿を、西岡さんは目の当たりにした。
当事者意識を持たないと他責をする。
「こんなに大変なのは〇〇のせい」「〇〇が仕事増やしたからしんどい」になってしまう。
だが自責になると
「どうしてこれができないんだろう」「どうしてうまくいかないんだろう」と理解して解決しようとする。
自分が源であることを理解して、変わっていく。
社員さんも自信がなかった。
怒られたらすぐ休む人もいた。
でも当事者意識が生まれた社員さんは、どんどん成果が生めるようになってきた。
西岡さんの想いや教えから社員さんが当事者意識に変わったからだ。
課題が出来たら、それを解決しようと、各自が考えるようになった。
そこから解決策として、今ある数々のブランドが生まれたという。
当事者意識を持たせて、連携を持たせる。
これが西岡さんが実践してわかった会社の流れが変わる方法だ。
だがこれが上手くいった背景には、西岡さんが気づいていないような自然な行動で、社員さんのやる気をあげていた事も大きな要因だ。
西岡さんはしっかり見ていて、褒めてくれて、認めてくれると社員さんはいう。
「いつも簡単には褒めないから、すごいことやってるなーって思った時は、すごいね!って言っただけ。笑」
西岡さんにとっては意識した行動ではなかったが、それがいい方向に転がっているのが事実だ。
社員さんのモチベーションを上げる一言を、自然に伝えることが出来ているということになる。
社員さんも少なからずモチベーションが下がるときはあるはずだ。
そんな中、西岡さんにモチベーションを上げられ、また頑張る。
そう思ってもらえるのは、社員さんとの関係も徐々に築き上げられてきたからだ。
会社の組織がしっかりしてきたのは、バイナリープランを採用したことも大きかったという。
バイナリープランを西岡さんが取り入れ始めたのは3年前。
バイナリープランというのはハーバードで考えられた組織論だ。
これを使う事で組織が頑丈で強くなると言われている。
各自が二人づつ管理・指導していく仕組みを作る。
そうする事で成長のさせ方を覚える。その人の責任をもつようになる。
どんどんインプットしてアウトプットして行く為、自然に本人の成長にも繋がる。
この動きから、西岡さんが直接言わなくても、社員全員に西岡さんの想いは伝わるようになったという。
自分が変わらないといけないと気づけないと、変わらないのが人間だ。
誰かに何かを言われても、響くのは数少ない言葉だろう。
本人が自発的に動かなきゃという考えにさせられるのが、バイナリープランだ。
その結果、社員が育ち、任せる事ができた。
今では西岡さんは何もしず、会社のことは後で結果のみ聞くという。
「基本的に重要なのは自分が出来ないことを認めること。私は出来るかもしれないと思いがちだが、一人では一つの力しか生まれない。それをいろんな人と連携したら、どんどん二乗していく。一緒に価値を生み出していければいい。」
一人じゃ無理と言えない人は多いのではないだろうか。
特に代表をしている人なら言えないことの方が多い。
でもそれは格好悪くないこと。
なぜなら出来ないことの方が格好悪いからだ。
6年で西岡さん自身の考え、三承工業としての考えは明確になってきた。
考えている方向性が明確になったから、考えが一緒の方や賛同してくれる人ばかり集まる。
今では人に苦労はしていないという。
三承工業の経営理念6か条は、西岡さんの想いのかたまりだ。
世の中で経営理念がある会社は半分で、それを社員が言えるのは1割という。
「うちの会社の社員は全員経営理念を言える。うちはそれに加えて経営目標とビジョンも全員言える」
8年前には連携が取れていなかった会社とは思えないほどの、変貌ぶりを感じさせる。
会社は社員みんなで作るもの。その本当の意味を今なら西岡さんは理解出来る。
上手くいく「コツ」
西岡さんは昔を振り返ると、本当に全てが変わったという。
会社の風土もそうだが、それと共に西岡さん自身の変化も大きい。
様々な壁を乗り越えながら、西岡さんは人生が変わる方法がわかったからだ。
「人生が変わる方法」
そんなネーミングの本をよく本屋で見かけるのではないのだろうか。
中を覗くと何項目にもわたり細かく要点が書いてある。
目にはするが、簡単には実践できず、終わる事は多いはずだ。
だが西岡さんという、実践して、実際に成果を生んだ人の方法ともなれば話は違う。
まずは、付き合う人を変えてギャップを埋めること考える。
「《自分よりもすごい人》と付き合うこと。
その分ギャップは生まれるけどそのギャップを埋めるために、自分の強みはなんなのか考える。
自分は文才もないし、スピーチしても大したことなかった。
だから行動力と人脈で勝負しようと思った。勝負したら本当に成功した。」
これは誰でも出来ること。
やっぱり人なんだと実感するという。
どういう人材と関わるかは大きい。
ただ自分よりもすごい人といると、ギャップが必ず生まれる。
そのギャップを埋めるために自分の強みを考える。
ここを考えるかで自分を見直す機会ができるはずだ。
そこからどう努力するかが大事。
「あとは素直でいること。人の話をちゃんと聞くこと。感謝をすること。たったそれだけ。」
これが人生が変わる方法だ。
難しそうだが、よく考えれば誰にでも出来る事だ。
大技を使ってると思われがちだが、西岡さんは大技なんて一切ないという。
コツコツがコツ。なんでもコツコツしなくては始まらない。
突然いいことなんてない。コツコツが先を生む。
それが自分の自信になる。
「ブログだって毎日更新したら、10年で3650記事になる。階段にしたら3650段ってすごく上の方になるでしょ!誰も簡単にはこんな階段作ってないなって思うと、まあまあ頑張ってやってきたんじゃないかなって思う。唯一信じられることが出来た。」
自信がなくても、やって来たことへの自信は、誰にでも作れること。
出来ないことは誰にでもある。
ただ自分を信じられるかだけだ。
例えば《毎日走る》と決めた場合、走ろうという気持ちになる日が大半だろうが、たまには「靴下履いて終わりの日」もあれば、「歩いて終わりの日」もある。
でもそんな日があってもいい。
しかし、大体の人は「走ることか出来なかった」ということから、全てを諦めてしまう。
継続出来る人と出来ない人の差はそこにあるという。
「動くには変わらないけれど、それをコストか投資と思うかで違う。瞬間なことはコストになるかもしれない。でも先を見れば投資になる。どれだけ先を見れるかで今が変わる。」
ただ話を聞いても変わらない。
聞いても具体的に行動しないと自分自身は変えることが出来ない。
動かない人がほとんど。
西岡さん自身もそうだったからわかるという。
思う人10000人、始める人100人、やり続けられる人1人。という名言がある。
その1人になれた時、必ず自分の理想の未来に近づける。
その1人になって全てが変わることを、西岡さんは実現してくれた。
「未来」への想い
西岡さんが名前が売れるようになってきたのは、ネットにいろんな想いを発信し始めてからという。
名前だけでは、どこの誰かもわからないのは当たり前。
誰しもが、最初は見た目で判断されてしまうことも多いはずだ。
だからこそ西岡さんはネットで検索された時に、自身のやっていること、気持ちや想いが伝わるように、2008年にブログを開始した。
それから毎日発信をし続けた。
ブログが色んな人の目にとまって、コンタクトが増え始めた。
西岡さんの想いを見た人が、理解や共感をしてくれたからだ。
「ネットがなかったら、多分今の僕はいないでしょう。」
今も西岡さんはブログやSNSの記事を毎日UPしている。今では何万人もの人が見ているという。
ネットのお陰で交流関係も増え、日本規模で働く人との繋がりも増えた。
そこから生まれた繋がりが、西岡さん自身を引き上げてくれたという。
これもコツコツ頑張ってきた成果でしかない。
頑張り続ける。やり続ける。
簡単ではない事だが、自分の未来にどれだけゴールを描いて行動するかだ。
「あらゆるパターンがあるが、ギャップをしっかり理解してこれをどう埋めるか。
ギャップを埋めるために現状を知って、理解して、ゴールを決める。
問題を一つづつ課題にして、このPDCAをちゃんと回して、習慣と仕組みを作って成果を出す。
これをするだけで本当に変わる。」
PDCAとはPLAN(計画)DO(実施・実行)CHECK(点検・評価)ACTION(改善)のことだ。
西岡さんはそのやり方を自分自身に落とし込み実践し、社員に教え、本当に上手くいった実例だ。
このロールモデルを実践して、変わる企業さんが増えたらいいと思い、今では各地で〝働き方改革〟のセミナーに呼ばれ、話している。
西岡さんの成長と共に、三承工業も成長を遂げた。
今や多くの人に夢を与えられる会社になった。
西岡さんは生まれて来た価値を自分自身考えた時、世の中の課題を解決して、価値を生み出していくことが答えだったという。
その答えに当てはまったものがSDGsだ。
SDGsとは国連サミットで採択された世界を変える17の目標が掲げられた国際目標。
西岡さんは、金沢宣言という金沢がSADS未来都市に手をあげている勉強会の話を聞きに言った時に、SDGsにすごく共感をした。
自社を見直した時に、この目標に向かった行動が自社で出来ていることに気づいたという。
「社会課題解決の方程式を作る前、うちは社会課題に取り組み、解決していますと公言はしていたが、それをどう形にしていけばいいかは数年悩んでいた。そのタイミングでSDGsを知り、全てが繋がった。」
そしてSDGsを発信する場としてSANSHOW.BASEがアクティブGに3月にオープンした。
三承工業の取り組みがSDGs貢献コミット企業として外務省に認定された。
「各省庁・政府に全て認定されているのは、数百万社ある日本の企業の中でうちだけなんです。もっと取り組んで、もっと風土も良くして、より多くの価値を与えれる会社を日本全国に作っていきたい。」
西岡さんがここまでくるのには壁はたくさんあった。
簡単な道などないし、大技もない。
本当に向き合って前向きに頑張ってきたからこそ、変わった。
コツコツ積み上げてきた〝今〟がある。
でもそんな〝今〟に、西岡さんはまだ納得はしていない。
納得するのも簡単かもしれないが、西岡さんは違う。
その貪欲な前向きな気持ちがある限り、西岡さんと三承工業の成長は止まることははないだろう。
「会社の成長は本当にすごいと思ってる。でも自分自身はまだ自信がない。まだまだ足りない。もっともっと人に喜んでもらう人になりたい。」
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