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岐阜では珍しい鴨ラーメンで愛される「鴨麺処和~NAGOMI~」を訪ねてみた。

岐阜では珍しい鴨ラーメンで愛される「鴨麺処和~NAGOMI~」を訪ねてみた。
TOM
TOM
昨日、ついに念願の鴨ラーメンのお店に行ってきたんだよ!めっちゃ最高だったよ!
SARA
SARA
そうだったのね。鴨の出汁って、深みがあって本当に美味しいよね。
TOM
TOM
うん、しかも鴨チャーシューを追加で30枚頼んだんだ!本当に幸せだったよ〜
SARA
SARA
鴨はさっぱりしてるけど・・・流石に食べ過ぎじゃないかしら・・・
この記事は約6分で読めます。
岐阜市にある「鴨麺処和~NAGOMI~」をご存知だろうか。
一般的な醤油や豚骨ラーメンとは一線を画す、鴨を使った独自のラーメンで地域の人々に愛され続けている。今回は、代表の小酒井 優太(こざかい ゆうた)様にお話をうかがった。
今回のツムギポイント
  • 亡き父への想いを込めた店名「和」

  • 脱サラからの挑戦と東京での修行体験
  • 岐阜では珍しい鴨ラーメンへのこだわり

  • お客様の声を聞きながら日々進化する味づくり

  • 地域密着で夫婦二人三脚の経営スタイル

①亡き父への想いを込めた店名「和」

 

鴨麺処和~NAGOMI~」という店名には、小酒井さんの深い家族への想いが込められている。

 

「私の父親が和宏という名前だったんです。僕が24歳の時に父は52歳という若さで病気で亡くなってしまいました。父はサラリーマンでしたが、僕ぐらいの年の時に『飲食をやりたい』と常々周りに言っていたらしいんです。でも家庭ができて、結局やりたいことができないままで亡くなってしまいました。」

 

お父様の飲食業をやりたいという夢を小酒井さんが叶えようと決めたのだそうだ。小酒井さんがラーメン屋に決めたきっかけは、学生時代に様々な飲食店でアルバイトをする中で、特にラーメン屋で働くことが楽しく面白いと感じたことがきっかけなのだそうだ。

 

「父親のやりたかったことと、自分の飲食への興味が重なって。父親の和の字を一文字もらって『和』という名前にしたんです。もう一つの理由は、来店されるお客様に味やサービス、全てにおいて和んでいただけるようなお店にしたいという想いからです。」

 

亡きお父様への想いとお客様への想いを胸に名づけられた「鴨麺処和~NAGOMI~」。その名前には、家族とお客様への深い愛情が込められている。

 

②脱サラからの挑戦と東京での修行体験

 

小酒井さんは学校を卒業後、まずは社会勉強のために企業に就職をされた。何とその就職先は信用金庫だった。なぜ、安定した職業についたのにも関わらず、ラーメン屋を起業するという決して容易ではない道に進む決断をしたのだろうか。

 

「正直、信用金庫の仕事も好きでしたし、楽しかったです。でも自分もやりたいことがありましたし、当時、父親が病気だったこともあり、始めるなら20代のうちに、やってみたいと考えていました。若ければ、失敗してもそこから修正をきかせられると思ったからです。」

 

退職を決意した小酒井さんだったが、実は一度挫折も経験している。

 

「信用金庫を辞めるって決まった途端に、突然、不安に襲われたんです。独立が実際に現実味を帯びてきたら、楽しいことよりも辛いことや不安な事ばかりが浮かんできたんです。こんな、気持ちでは無理だと感じて、別のところで少し働いていました。」

 

しかし、日々過ごす中で自分のやりたかった事を諦めきれず、中途半端ではいけないと覚悟を決め、東京での修行を決断した。

 

「このまま、地元にいたら甘えてしまって中途半端になってしまうかもしれない。人生をかける覚悟を持ってやろうと思いました。」

 

小酒井さんはラーメンの名店が多くある、東京での修行を行なった。しかし、一般的な修行とは少し異なるアプローチだった。

 

「俗に言うスープの作り方などの修行はほとんどしていません。味に関してはほぼ独学で学びました。東京では、新しいアイデア探しと現場での経験、機材の使い方、実際の店舗運営の勉強を行いました。」

 

③岐阜では珍しい鴨ラーメンへのこだわり

 

小酒井さんが鴨ラーメンと出会ったのは、東京での修行中のことだった。

 

「友達とラーメンを食べに行こうという話になって、友達が探してくれた中に鴨ラーメンがあったんです。当時聞いたことがなくて、食べに行ってみたらすごく美味しかったんです。その時に、これでやろうと決意しました。」

 

しかし、鴨ラーメンという選択は決してリスクの少ないものではなかった。一般的な醤油ラーメンや豚骨ラーメンに比べて、明らかにニッチな分野だからだ。

 

「飲食で勝負していこうと思った時に、店を長く続けたかったんです。長く続けるためには、ありきたりなラーメンを売るよりも、他では食べられない自分の店でしか食べられないものを売っていかないと難しいと考えていました。」

 

鴨という食材に対しては、多くの人が蕎麦のイメージを持っている。小酒井さんはその特性を逆手に取り、お客様のイメージを壊さない程度に、でもしっかりとラーメンというバランスを意識して味作りを行っているそうだ。

 

現在使用している鴨肉は京都の農家から直接仕入れている京鴨。国産の鴨で最もポピュラーで知名度があり、あっさりしていて食べやすく、日本人の口に合いやすい種類を選んでいる。

 

「鶏と比べて、鴨の方が香りやコクが強いんです。ですが、上品さもある。鴨には他にない独特な香りとコク深さがあるんです。この味わいはぜひ一度皆さんにも味わって欲しいです。」

 

④お客様の声を聞きながら日々進化する味づくり

 

鴨麺処和~NAGOMI~の味は、完全にオリジナルで作り上げられたものだ。小酒井さんは東京にいる時からチャーシューの試作を始め、岐阜に戻ってからオープンまでの半年間は、ほぼ毎日試作を繰り返していた。

 

「本当に1日中ずっとやっていました。週に12回スープを炊いて、チャーシューやタレを仕込んで、常に試作して試食してと試行錯誤を続けていました。」

 

そんな苦労をして完成させた味も、オープン後にさらなる進化を遂げることになる。

 

「オープンしてからも、いろんなお客様の意見を聞きながら、常に味も変えていきました。今の味はオープン時と比べて、ガラッと変わっています。やはり、実際に召し上がったお客様の感想は大切ですから、スープ作りの参考にさせてもらいました。」

 

この姿勢は現在でも続いており、スープの仕込みが思うようにいかない時は、営業を休みにすることもあるのだそうだ。

 

「オープンしたばかりの頃に、思うような味に仕上がらずに、お休みにしたこともあります。楽しみにしてくださっていたお客様には申し訳ないですが、自分が納得していないものをお客様にお出しできないので。」

 

品質に対する徹底したこだわりが、多くのお客様に愛される理由の一つとなっている。

 

⑤地域密着で夫婦二人三脚の経営スタイル

 

小酒井さんの今後の展望は、事業拡大ではなく地域密着にある。

 

「事業拡大は正直まったく考えていません。今、妻と二人でお店を営業しているので、今の地盤は変えずに、近所の方や常連さんに支えられてお店を開いているので、そういったお客様を大事にしつつ、お客様を増やしていきたいです。」

 

客層も一般的なラーメン屋とは異なる特徴がある。通常のラーメン屋では10代から30代の男性がメインとなることが多いが、鴨麺処和~NAGOMI~では4050代のご夫婦や、時には80代のお客様まで、幅広い年齢層に愛されている。

 

「岐阜では濃厚系の魚介豚骨が多かったので、そこを外したいというのもありました。女性にも来ていただきやすく、4050代のご夫婦にも好まれるような味にしたいと当初から決めていました。」

 

現在の課題は、夫婦二人だけでの運営による提供数の限界だ。

 

「せっかくご来店いただいても提供できずに帰られるお客様もいらっしゃって、申し訳ないと思いながら。どうにもできないことかもしれませんが、もう少しそうしたところを変えていければと考えています。」

 

しかし、これも幸せな悩みと言えるだろう。小酒井さんが作り上げた鴨ラーメンは、確実に地域の人々の心を掴んでいる。

 

「自分で一から考えたものをお客様にお召し上がりいただいて、すごく気に入ってもらえたり、帰り際に美味しかったとか、また来ますと言ってもらえる。これは自分でやっているから味わえる感覚で、やって良かったなと心から思える部分です。」

 

亡きお父様への想いから始まった「鴨麺処和~NAGOMI~」。小酒井さんの情熱と、お客様に喜んでもらいたいという真摯な気持ちが生み出す鴨ラーメンは、これからも多くの人々に愛され続けるだろう。

 

岐阜で唯一無二の鴨ラーメンを味わってみたい方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろうか。夫婦二人三脚で作り上げる、心のこもった一杯があなたを待っている。

 

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