柔軟な発想で未来をデザインする「有限会社早野研工」を訪ねてみた。
長年に渡り培った技術を活かし、アウトドア用品からアクセサリー小物まで幅広い製品を手掛けている。今回は、代表取締役の早野社長にものづくりの楽しさや柔軟な事業戦略についてお話をうかがった。
- 父の志を受け継ぎ、24歳で経営者に
- 手仕事から始まった革新の道
- 「偶然」が必然に変わる瞬間
- B to C事業がもたらす新たな価値
- 柔軟性と継続が拓く未来
①父の志を受け継ぎ、24歳で経営者に
「早野研工」という社名には、創業から年月を重ねた今も色あせない、特別な想いが込められている。会社員を辞めて事業を立ち上げた先代であるお父様が社名を考えていたとき、当時高校生だった早野社長がふと提案した言葉が、そのまま社名になったという。
「父は会社勤めをしながら、副業で自宅のガレージでものづくりをしていたほど、本当に手を動かすことが好きな人でした。独立する際、社名に悩んでいたので、私が“研ぎ澄ます”の『研』と、ものづくりを象徴する『工』を合わせて『研工』はどうだろうか、と提案したんです。」
その言葉には、ものづくりへの感覚を研ぎ澄まし、ただ作るだけではなく、細部にまでこだわり抜いたアプローチをしたいという想いが込められていた。何かを生み出すときに大切にしたい姿勢を、言葉そのものに託したような名前だった。
大学卒業後、早野社長はソフトウェアのエンジニアとして社会人のキャリアをスタートした。新しい世界で経験を積み、お父様の会社とは別の道を歩み始めていた矢先、思いがけない出来事が起こる。
「父が亡くなったのは、私が社会人になって2年ほど経った頃です。当時、私は24歳でした。まさかこんなに早く事業を継ぐことになるとは思ってもいませんでした。突然のことで不安もありましたが、迷っている暇はありませんでした。父が大切にしてきた会社を守り、続けていくことが自分の使命だと感じて、“やるしかない”と決断しました。」
創業から今年で37年。お父様が掲げた“研ぎ澄ます”という言葉は、時を越えて受け継がれ、今も確かに息づいている。
②手仕事から始まった革新の道
設立当初、早野研工では主に自動車の板金部品を製造していた。加工はすべて手作業で、鉄板を一枚ずつ人の手で扱っていたという。
「特に加工のための基準線や切断位置を材料に印づけする“ケガキ”という作業は、それによって完成品の精度が左右されるので、非常に高い技術が求められました。」
同じ形を正確に切り出すには、高い職人技が必要だった。わずかな感覚の違いが仕上がりを変え、熟練の手仕事こそが品質を支えていた。まさに“人の技”が光る世界だった。
しかし時代は進み、ものづくりの現場にもデジタル化の波が訪れる。CADやCAMといった設計・加工技術が普及し、手作業に頼らなくても安定した品質の製品がつくれるようになっていった。
「極端に言うと、今は何でも機械でできます。データを設定してボタンを押せば、安定して同じ品質のものが作れる時代になりました。」
かつては職人の感覚に頼っていた作業が、今ではプログラムやデータで再現できるようになった。早野社長は、その変化を前向きに受け止めている。
「デジタル化によって、作業が効率化されただけでなく、ものづくりの幅も広がりました。」
引き継いだ当初は4~5名だった従業員も、今では40名近くにまで増えた。積極的な設備投資を進め、事業拡大のため工場を新設するなど、時代の変化に合わせながら、早野研工のものづくりは確実に進化を遂げている。
③「偶然」が必然に変わる瞬間
早野研工は長年、企業向けの受託加工、いわゆるB to Bの事業を主軸として歩んできた。その中で培われた技術は確かなものであり、10年ほど前からは、そこで積み上げた加工技術を生かし、一般のお客様に向けた自社製品の開発、いわゆるB to Cの分野にも挑戦を始めた。
そんな中で、会社にとって大きな転機となったのが、新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴うキャンプブームの到来だった。
「コロナ禍でキャンプブームが起こったタイミングで、キャンプ用品のブランド“Hot Camp”を立ち上げたんです。」
最初の挑戦は、近隣の道の駅で開催されたマルシェだった。試作中の焚き火台や鉄板を並べて出展したが、当初はそれほど期待していなかったという。ところが、来場者の反応は予想を超えるものだった。
「当時、弊社は一般のお客様にはあまり知られていなかったと思います。それにも関わらず、製品を手に取り、購入してくださる方が何人もいて、驚いたことを今でも覚えています。もしかしたら、私たちが思っているよりも求められているのかもしれない──そう感じたのが始まりでした。」
その感触は確信へと変わっていく。早野研工の名を一躍全国に広めるきっかけとなったのが、日本最大規模のパーソナルギフトと生活雑貨の国際見本市「東京ギフト・ショー2021」だった。
初出展にもかかわらず、焚き火台「FireBase」がグランプリを受賞するという快挙を成し遂げたのである。
「初めての出展で、まさかのグランプリでした。主催者の方がブースに走ってきて『受賞しました!グランプリですよ!』と言われたのですが、思いもしていなかったので、最初は何のことかわからなかったくらいです。表彰を受けて、いろいろな会社さんから声をかけていただき、やっと実感が湧きました。」
早野社長は「偶然のような出来事だった」と謙遜するが、そこに偶然だけではない確かな積み重ねがあった。以前から、いずれは「東京ギフト・ショー」に出展したいと考え、さまざまな展示会に足を運んでは研究を重ねていたという。
外出が制限され、人々の暮らし方が変わっていく中で、「今、求められているものは何か」をいち早く感じ取り、自社の強みである多品種小ロットの生産技術を生かして、すぐに形にした。その結果が、受賞につながったのだ。
④B to C事業がもたらす新たな価値
B to C事業への参入は、早野研工に新しい風をもたらした。それは「自分たちで考え、つくる」という、ものづくり本来の“楽しさ”だった。
「うちの会社は、ある特定の技術に特化しているというより、柔軟に幅広く対応してきた会社です。社内でほとんどの工程を完結できる強みがあるので、キャンプ用品はもちろん、雑貨やアクセサリーまで作ることができます。自由度が高いんです。お客様から『こんなもの作れないかな』とご相談いただいたら、一個からでもお作りします。」
お客様の声に耳を傾け、自社の技術で応える。そして、その製品が手に取った人に喜ばれる。この一連の流れが、早野社長にとって“ものづくりの原点”を再認識するきっかけになった。
「B to Bの仕事では、図面に細かく指示が書かれていて、それに従って加工を行います。けれど自社製品の場合は、私たちが考え、形にしたものを世に出せる。そして、その商品に対してお客様から反応をいただける。これが本当に楽しいんです。」
こうして始まったB to C事業は、会社に思いもよらない広がりを生んだ。新しい分野に挑戦する中で、これまで扱うことのなかった技術や素材と出会い、それが結果的に既存のB to B事業にも良い影響をもたらしたのだ。
「B to C事業を始めたことで、社内でも“こんな加工ができるようになった”“この素材は意外と使える”といった気づきが増えました。挑戦の積み重ねが、結果的に会社全体を成長させてくれています。」
柔軟な姿勢で新たな分野に挑戦した結果、顧客層や事業の幅が広がり、会社全体に良い循環が生まれている。
⑤柔軟性と継続が拓く未来
今後について、早野社長は「よりB to C事業に力を入れていきたい」と語る。大ヒット商品を狙うというよりも、ニッチな市場で“本当に必要とされる”商品を届けていきたいという想いがある。
「早野研工でしかできないサービスや商品を、自分たちで考えて世の中に発信していきたいと思っています。そうすることで、新しいお客様とのつながりや、これまでにないビジネスチャンスが生まれるはずです。」
その挑戦を後押しするのが、SNSの活用だ。ホームページやSNSを通じて、リアルなお客様の反応を感じることができるようになった。
「投稿を見てくださる方が増えたり、実際に購入につながったりすると、やっぱり手応えを感じます。お客様の反応をもとに商品を改良したり、試行錯誤を重ねたりする。その過程もすごく楽しいんです。」
これからは、3D CADの経験者やプロダクトデザイン、Webデザインなどの知識を持つ人材の採用にも力を入れていきたいという。
「うちは、何万個、何千個と大量に売ることを目指してはいません。100個、200個でもいいんです。大多数に受けなくても、一部の人に強く響くものなら商品化したい。だからこそ、ものづくりのアイデアを出せる人や、ある分野にマニアックな知識を持つ人が仲間に加わってくれたら嬉しいですね。」
早野研工の強みは、常に新しい技術や発想を取り入れ、時代の変化に柔軟に対応していく姿勢にある。それは、ものづくりを“楽しむ心”を原動力に、感性を信じ、挑戦を続ける姿そのものだ。
37年の歴史を重ねてもなお、研ぎ澄まされた感覚で未来を見据える早野研工。その歩みはこれからも、柔軟さと継続の力で新たな価値を生み出していくに違いない。
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