製造業
岐阜市

丁寧な手仕事が生み出す“毎日のパン”「株式会社コガネパン」を訪ねてみた。

丁寧な手仕事が生み出す“毎日のパン”「株式会社コガネパン」を訪ねてみた。
TOM
TOM
手仕事とか手作業って、響きがあたたかいよね〜
SARA
SARA
わかるわ。丁寧な仕事ってほんと素敵よね。
TOM
TOM
ボクも昨日手料理作ってたんだけど・・・完成したら半分の量になってたんだよね・・・
SARA
SARA
・・・無意識につまみ食いしたのね。あなたの“手作り”はまず自制心からよ。
岐阜市柳津町にある「株式会社コガネパン」をご存知だろうか。
1947年に岐阜市金町で創業し、学校給食をはじめ東海地区のスーパーにおいしいパンを提供し続けている。今回は専務取締役の竹中 一(たけなか はじめ)さんに創業のきっかけやパンづくりに対するこだわりを伺った。
今回のツムギポイント
  • 戦後の食糧難から始まった、創業の原点
  • パンとともに育ち、パンとともに歩む人生
  • 「安心安全」と「人の手による品質」へのこだわり
  • お客様と思い出をつなぐ、復刻パンへの想い
  • 創業100年を見据えた、挑戦と改善の積み重ね

①戦後の食糧難から始まった、創業の原点

 

株式会社コガネパンの創業は1947年。戦後間もない食糧難の時代、満足に食べることができない子どもたちの姿を見て、創業者である竹中さんの御祖父母様は「子どもたちにお腹いっぱい食べさせてあげたい」という強い想いからパンづくりを始めた。

 

「創業したのは私の祖父母です。食べ物が足りない中で、子どもたちがお腹いっぱい食べられるようにという願いがあったと聞いています。それに、祖父母自身もパンが大好きだったんです。」

 

当時は酵母が手に入らず、現在のベーキングパウダーに近い膨張剤を使ってパンを膨らませていた。そのため、ふくらんだ形から「風船パン」と呼ばれていたという。

 

社名の「コガネパン」は、創業の地・岐阜市金町(コガネマチ)に由来する。看板商品の「金町あんバター」にもその地名が受け継がれ、創業当初からの誇りが息づいている。

 

当時の店舗は工場というよりも、喫茶店のような雰囲気だった。限られた材料と知識の中で何度も試行錯誤を重ね、丁寧に作られたパンは次第に評判を呼び、地域の人々に親しまれていった。困難な時代を生きる人々の食卓を支え、コガネパンは地域とともに歩み続けてきた。

 

人々の暮らしに寄り添いながら信頼を重ね、創業から約80年。現在では1日の生産量が16,000個を超えるまでに成長し、岐阜市や羽島市の学校給食や東海地区のスーパーを中心に、多くの人々に愛される存在となっている。

 

②パンとともに育ち、パンとともに歩む人生

 

竹中さんが事業を継ぐことを決意したのは、22歳の時だった。

 

「父や家族から『跡を継いでほしい』と言われたことは一度もありませんでした。ただ、コガネパンは小さい頃から生活の一部のような存在で、自分が育ったのもパンのおかげだと感じていました。いろいろ考えてみても、自然とパンの道に進もうと思ったんです。」

 

そう語る竹中さんだが、実はその時点ではパン生地に触ったこともなかったという。入社を前にお父様の紹介で大阪の製パン企業に修業へ出向き、3年間、パンづくりの基礎から徹底的に学んだ。

 

「初日からいきなりあんこを包む実務が始まりました。右も左も分からない状態でしたが、手を動かしながら覚える日々で、実践の中で多くを学びました。今思えば、基礎をしっかり身につける貴重な経験だったと思います。」

 

その後は兵庫県の食品会社で営業の基礎を数か月間学び、25歳の時にコガネパンへ戻った。当時、コガネパンは主に学校給食向けのパンを製造していたが、竹中さんは新たな可能性を見出した。法人向けに営業を行うホールセール事業を立ち上げ、スーパーや販売店へ向けた商品製造をスタートさせたのだ。

 

伝統に新しい風を吹き込むように、一歩ずつ着実に未来への道を広げていく――竹中さんの新しい挑戦は、ここから始まった。

 

③「安心安全」と「人の手による品質」へこだわり

 

コガネパンの経営理念は、「おいしいパンを楽しく食べていただくこと」。創業当初から学校給食を手がけてきたこともあり、「安心・安全」と「美味しさ」は、同社が最も大切にしてきた信念だ。

 

現在も、可能な限り添加物を使わない製造方針を貫いている。イーストフードや合成着色料、保存料といった化学的な添加物は使用せず、素材本来の風味を生かしたパンづくりにこだわっている。また、成形や包装といった工程を機械任せにせず、人の手で丁寧に仕上げることを重視している。

 

「手仕事を大切にしているので、機械では表現できない形のパンが作れるのが、うちの強みですね。たとえば『こがねフラワー』という花の形のパンは、人の手でしか作れない、見た目も楽しい商品なんです。」

 

『こがねフラワー』は、職人の繊細な技が光る、コガネパンの「人の手による品質」を象徴するパンだ。

 

「また、機械で対応している個別包装のほかに、4個入りなど人の手でしかできない包装にも対応しています。商品を置く場所やお客様の層に合わせて包装を変えるなど、柔軟に対応できるのも手作業ならではの強みです。」

 

116,000個を超える生産量を誇りながらも、品質へのこだわりを決して妥協しない。人の手が生み出すあたたかさと、安全・無添加への徹底した姿勢。その両立こそが、長年にわたって多くの人に愛されるコガネパンの信頼の証となっている。

 

④お客様と思い出をつなぐ、復刻パンへの想い

 

竹中さんのもとには、かつて製造していた商品の再販を望む声が数多く寄せられている。

 

「特にご年配の方から、『子どもの頃に食べていたパンをもう一度味わいたい』という声をいただくことが多いです。私自身も小さい頃に食べたパンには思い出があるので、なんとか復活できないかと考えています。」

 

思い出の味を再現するにあたっては、当時の製法をそのまま引き継ぐだけではなく、現代の技術や衛生基準に合わせて工夫を重ねる必要がある。伝統を守りつつアップデートを加えることで、お客様の思い出に寄り添い、今の時代に合った形で復刻を実現したいと竹中さんは考えている。

 

昔のパンはシンプルなものが多い一方で、現代の製造環境で再現しようとすると手間がかかる商品も少なくない。

 

「実は、かなり手の込んだパンが多いんです。例えば、2種類のチョコレートを使ってマーブル模様に仕上げるパンなど、どうやって再現するか悩んでしまうような商品もあります。」

 

特に復活を望む声が多いのが、学校給食でも親しまれた『揚げパン』だ。出来立ての美味しさを届けるため、当日の朝に揚げたものをすぐに包装し、納品するという徹底したスタイルを貫いていた。

 

スーパーで販売していた当時は、1800個売り上げるほどの人気を誇ったが、設備の入れ替わりや時代の移り変わりにより、現在は製造が休止している。それでも復活を期待する声は多く、竹中さん自身も「いつか再開したい」と思い続けている。

 

さらに竹中さんは、岐阜という地域を越え、全日本パン協同組合連合会にも所属し、業界全体の問題にも向き合っている。

 

「以前は学校給食用のパンをつくる事業者が全国に多かったんです。でも今は大きく減ってきていて、地域によっては製造できる事業者がゼロになり、パンが供給できない状況まで出ています。」

 

子どもたちに「おいしいパンを楽しく食べてもらいたい」という、創業から受け継がれてきた原点。その想いを未来へつなぐために、竹中さんは復刻への挑戦と業界の支援という二つの歩みを続けている。

 

⑤創業100年を見据えた、挑戦と改善の積み重ね

 

現在、コガネパンの商品は学校給食やスーパーへの納品が中心となっているが、将来的にはお客様が直接商品を購入できる場をつくる構想が進んでいる。自社工場に直売所を併設したり、その場でパンを焼き上げ販売するリテールベーカリーとしての展開も見据えているという。

 

「いい商品を製造しているという自信はありますので、それをどう販売していくかが課題だと感じています。まずは自社の商品を直接買える場所をつくることが、次の第一歩だと考えています。」

 

工場直売所やリテールベーカリーの展開が実現すれば、お客様へダイレクトに商品を届けられるだけでなく、コガネパンの魅力をより深く体験してもらう機会にもつながる。ブランド価値を高める取り組みの一つとして、竹中さんは強い期待を寄せている。

 

また、商品開発においても積極的な姿勢を持ち続けており、社員とアイデアを出し合いながら、毎月新商品を投入していく計画が進んでいるという。

 

一方で、工場の老朽化や設備投資、人手不足といった課題も少なくない。しかし竹中さんは、それらを悲観するのではなく、成長に向かうための重要な糧として捉えている。課題をひとつずつ解決しながら、会社としての進化を続けていきたいと意欲を語る。

 

創業100年という大きな節目に向けて、コガネパンは次なるステージへ歩みを進めている。

 

地域に愛され続ける存在であるために、そして「おいしいパンを楽しく食べていただくこと」という創業からの理念を未来へつなぐために。今日も変わらず、丁寧にパンを焼き続けている。

 

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