水を守り、命のサイクルを支える「株式会社 田中工業所」を訪ねてみた。
創業から76年、地域の産業に不可欠な「水」に関わる事業で、地元の発展を支えてきた老舗企業だ。現在は、独自の技術を使った排水処理装置「加圧浮上装置」の分野で業界を牽引している。今回は、難局を乗り越えて事業を大きく成長させた、代表取締役の田中 佑子(たなか ゆうこ)様にお話をうかがった。
- 水の都・大垣で芽吹いた保全の精神
- 「鉄工所」から「技術開発企業」へ
- 難局を乗り越えた経営改革
- 地域と未来を創る「命のサイクル」への貢献
①水の都・大垣で芽吹いた保全の精神
岐阜県大垣市—豊かな地下水に恵まれた「水の都」で、創業から76年の歴史を紡ぐ「株式会社 田中工業所」。その事業は、大手繊維工場の保全から始まり、現在では独自の技術を駆使した排水処理装置、とりわけ「加圧浮上装置」のリーディングカンパニーとして、日本の産業と環境を支えている。
「水の都で、澄み渡る未来を創造する」。この言葉を掲げる同社は、先代からの技術と、田中社長の覚悟によって大きな転機を迎えた。かつての倒産寸前の危機的状況から、技術者ではない田中社長が財務を立て直し、組織を刷新したのだ。
伝統的な鉄工所は、持続可能な未来を創造する企業へと見事な変貌を遂げた。そこには、岐阜の地で事業を続けることの重みと、水という根源的な資源を守り抜く誇りが込められている。
田中工業所のルーツは、今から76年前に遡る1949年(昭和24年)、大垣の地で産声を上げた「有限会社 田中工業所」にある。
「創業者である曽祖父は、大手繊維工場の保全担当として勤めていました。定年退職後も、その仕事を続けられるように独立したのだと思います。」
創業当初は、機械の故障修理はもちろん、建物のメンテナンス、空調ダクトの製作、異音の原因究明と分解整備まで、工場の稼働を円滑にするあらゆる保全業務を一手に引き受けていたという。工場稼働において、機械の停止は製造ライン全体の停止を意味する。組織内ではあまり注目されることのない保全という仕事が、実は会社経営の根幹を支える極めて重要な仕事であることを深く理解していたに違いない。
また、岐阜県大垣市という土地を選んだ背景には、豊かな「水」の存在があったのだという。
「曽祖父はもともと岐阜の人ではありませんでしたが、どこで起業しようかと考えていた時に、大垣の駅前で水が湧き出ているのを見て、『いいところだな』と感じたそうです。それで、大垣での創業を決めたようです。」
「水の都」が持つ地盤の安定と、何よりも豊富な水源が、起業の地を選ぶ上で決定的な要素となった。保全という仕事を通して、産業の持続可能性を支えてきた田中工業所の歴史は、この大垣の清らかな水と共に始まったと言える。
創業から十数年後、同社は大きな転機を迎える。この保全のルーツから、現代の主力事業である「水処理」へと、その事業領域をシフトしていくことになる。
②「鉄工所」から「技術開発企業」へ
大手繊維工場の保全会社として続いていた田中工業所に、転機が訪れたのは昭和40年代のことだ。取引先である繊維企業に、環境保全を目的とした部署が設立されたことが、現在の水処理事業への大きなきっかけとなった。
「昭和の途中までは川の汚れが深刻で、さまざまな排水がそのまま流されている状況でした。そうした時代背景の中で環境への意識が徐々に高まり、環境保全の取り組みが進んだことをきっかけに、現在取り組んでいる加圧浮上装置という排水処理装置の開発について声を掛けていただいたんです。」
当時から高い溶接技術を持つ鉄工所であった田中工業所は、その高い製造能力をもって水処理装置の製作を開始。その結果、独自の技術を持つ加圧浮上装置の開発に成功したのだ。
加圧浮上装置とは、水中に微細な泡を発生させ、汚れを水面に浮き上がらせて除去する装置である。当時の一般的な方式は、水と空気を圧縮するためのコンプレッサーを両方に使って圧力を加え、開放することで汚れを浮上させるものであった。しかし、田中工業所が開発したのは、全く異なる画期的な方式だった。
「コンプレッサーを使わず、普通のポンプにとある部品をつけたら加圧水ができるという仕組みです。その部品を開発したんです。」
これは、空気中の空気と水だけで微細な泡を生み出す「加圧水」を生成する、ユニークな技術だ。この部品を開発したのは、先代である田中社長のお父様だ。この技術は、専用のコンプレッサーが不要で、ポンプの交換だけで済むため、メンテナンス性が格段に向上し、高い評価を獲得した。
「ただの鉄工所から、独自の技術を持つメーカーになれました。そのおかげで76年も続けてこられているのだと思っています。」
この技術が生まれたことで、田中工業所は「独自の技術を持つ企業」へと進化を遂げた。この独自技術は、ニッチでありながら、水処理業界では高い信頼を得ている。創業のルーツである「保全」の精神が、「壊れない、メンテナンスしやすい装置」という形で、この独自技術に結実したと言えるだろう。
③難局を乗り越えた経営改革
独自の技術を持ちながらも、会社は大きな危機に直面する。田中社長が会社に入った約13年前、会社は事業の立て直しが急務な状況に陥っていた。
「私だけ外部の企業で働いて、安定した生活を続けるのは、家族としてどうなんだろうと思いました。最初は、『経営再建を手伝うだけなら』という気持ちで入社しました。」
異業種から入社した田中社長は、まず会社が置かれている厳しい状況と向き合うことになった。事業を立て直すには土台となる知識が不可欠だと考え、経理の基盤を学ぶことを決意したのである。
「簿記の勉強はしたほうがいいかと思って始めましたが、その次に何をすべきか見つけられずにいました。そんな時、ある税理士さんのブログで『資金繰り表を作りましょう』という言葉を見て、『これが自分の仕事だ!』と思いました。」
そこから、ひたすらに資金繰り表を更新し続ける日々が始まる。会社の数字、お金の流れを徹底的に把握し、問題点を一つずつ潰していった。経理作業の無駄を排除し、データ連携を進めることで、煩雑な作業を自動化。これにより、財務体質を改善し、事業を立て直したのだ。
「未だに、技術面は私が一番知らないくらい素人同然です。しかし、会社を続けるためには資金管理が大事だと最初に学んだので、ひたすらにそれを続けて、今も継続しているという感じです。」
資金管理を通じて事業再生果たした田中社長は、創業から73年目にあたる2022年11月、正式に代表取締役社長に就任する。
「やってみてダメなら仕方ない、とにかくやってみようと思いました。『じゃあ私がやるよ』と言ってからは、プレッシャーはあまり感じなくなりましたね。」
技術は社員に任せ、社長として注力するのは、DX(デジタルトランスフォーメーション)や組織改革による「働きやすさ」の実現と全体最適の追求である。この改革により、経理作業は大幅に効率化され、子育て中の女性でも働きやすい環境を整備。「家族を大事にしてほしい」という田中社長の想いが、社員が思い切り働ける基盤となっている。
家業を支えたいという想いから始まった一人の女性の挑戦が、会社の基盤を根底から変え、倒産危機を乗り越えるという劇的な転換を果たしたのである。
④地域と未来を創る「命のサイクル」への貢献
経営再建を経て、田中工業所は持続可能な企業へと生まれ変わった。さらに、同社の事業に対する田中社長自身の認識も大きく変化したという。
以前は、排水処理という仕事は「捨てる水をきれいにしている、日の当たらない地味なところ」だと思っていたそう。しかし、近年、同社の装置が水資源を循環させて再利用する新規プロジェクトに採用されたことが、その認識を根底から変えた。
「私たちの事業が、もともと『命のサイクル』の中にいたのだと気がついたんです。自分たちの体をつくる一部を担っていたのだと実感できるようになりました。」
単に「水を捨てるため」のものではなく、「命を育むため」のものである——この深い気付きこそが、同社が掲げるスローガン「水の都で、澄み渡る未来を創造する」というコピーにつながったという。
この言葉は、大垣の豊かな水への感謝と、事業を通して環境と社会の持続可能性に貢献するという強い決意を表している。長年にわたり水の恩恵を受けてきた同社は、今後も技術の可視化や福利厚生の充実といった課題解決を進めながら、創業100年企業を目指し、地元・大垣への貢献をさらに強化していく考えだ。
「せっかく76年間も大垣で事業を続けてきましたので、今後はこれまで以上に地元へ貢献できる存在になりたいと思っています。地域に還元したいという想いは、常に強く持っています。」
田中工業所が歩んだ76年の歴史は、技術の継承と、勇気ある変革を成し遂げた軌跡であった。創業者の「保全の精神」が、先代の開発した「独自の加圧浮上技術」を生み出し、そして、異業種出身の田中社長の「経営の覚悟」が、倒産危機を乗り越え、企業を持続可能なものへと導いた。
水をきれいにするという仕事が、「命のサイクルを支える」という誇り高き使命へと昇華した今、同社はさらなる進化を続けている。水の都・大垣で、田中工業所が描く「澄み渡る未来」の実現に、今後も期待したい。
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