創業67年。技術と挑戦で時代を切り拓く「鳥羽工産株式会社」を訪ねてみた。
航空機から自動車まで、日本のものづくりを根底から支えている創立67年を迎えた会社だ。代表取締役社長 傍島 聖雄(そばじま まさお)様に創業から引き継がれてきたモノづくりの原点、未来へつなぐ想いをうかがった。
- 鳥羽工産の基盤をつくった初代の挑戦
- 教壇から工場へ──傍島社長の転機
- お客様の挑戦を支える確かな技術力
- “誇れる職場”をつくる社長の挑戦
- 既存×新規が生むものづくりの未来
①鳥羽工産の基盤をつくった初代の挑戦
鳥羽工産の創業は、傍島社長の祖父である創業者の歩みが深く関わっている。もともと岐阜県大垣市で呉服屋を順調に営んでいた。しかし、その後火事などの思わぬ災難に見舞われ、別荘として保有していた三重県鳥羽市に移り住むなど苦しい時代を過ごしたそうだ。
「祖父は中学を卒業してすぐに地元を離れ働き始めたそうです。勤めた会社では工場長や営業部長に昇進後、結核が疑われて1年ほど休養。復帰時にグループ会社が運営していた下呂の温泉旅館への異動を命じられたそうです。しかし、その頃は父がまだ小学生で幼く、転校させたくなかったことから、祖父は独立を決意したと聞いています。」
まず、祖父は名古屋で皮を扱う商社を立ち上げ、大手メーカーとの取引が始まった。その後、当時お取引のあった岐阜県各務原市の製造業の方とのご縁がきっかけとなり、各務原市で工場を借りて製造業へと舵を切ったのだそう。
「岐阜で製造業を始めた時は、最初は金属屑を集めて固めてプレートにするような鋳造から始め、技術を身につけて金型の鋳造に取り組むようになりました。これが現在の当社の原点となりました。」
創業から数年後、日本初の国産旅客機 YS-11 の開発が始まった頃、同社も部品製作のための金型を手掛けた。鋳造の世界は、融点が低い金属でも400度くらいの金属を溶かしたものを流し込んで作る大変な作業だ。
「当時は工場環境も整っておらず、暑くて大変な環境の中、社員たちが力を合わせて、会社の基礎を築き上げてくれたんです。」
航空機で培った少量多品種の技術は、自動車の研究開発や試作用金型にも応用され、評価を得ていった。また金型を作るだけでなく、その金型を使って部品を製造し、組み立てまで手掛ける一貫体制を整えることで、事業は航空機から自動車、二輪、鉄道と幅広く広がっていった。
②教壇から工場へ──傍島社長の転機
鳥羽工産という社名について伺ってみると、創業者の想いと企業の原点が込められていた。
「社名は、初代である祖父の出身地・三重県鳥羽市に由来しています。会社を立ち上げた頃の原点を忘れないようにと、あえて『鳥羽』という地名を社名に残したと聞いています。ロゴマークも、鳥羽の『と』鋳造で使用する取鍋を組み合わせたデザインで、赤く溶けた金属を流し込む様子を表現しています。製造業としての私たちの原点を象徴したものです。」
苦しい時代を乗り越えて築かれてきた技術と事業の広がり。そのすべての原点が、「鳥羽」という社名に込められている。こうして築かれてきた鳥羽工産の土台は、次の世代へと受け継がれていった。
創業者の想いを背中で見ながら育った二代目であるお父様が事業を引き継ぎ、時代の変化に合わせて会社を整え、さらに発展させていった。そして今、そのバトンは三代目となる現社長へ引き継がれた。祖父から父へ、父から息子へと積み重ねられたものが、今日の鳥羽工産の力になっている。
一方で、傍島社長ご自身は当初、会社を継ぐことを考えていなかったという。大学では教育学を学び、卒業後は教員として6年間のキャリアを築いていた。お父様からは「30歳までに会社へ戻るのか、それとも別の道に進むのかを決めればいい」と伝えられていたものの、強制されることはなかった。
「実は高校時代からずっと教員になりたいと思っていました。私は5人兄弟なので、家族も兄弟の中で誰かが会社を引き継いでくれたら良いと考えていたようで、特に私に引き継いで欲しいとは言われることはありませんでした。だからこそ、教員として教える仕事に専念できていたんです。」
30歳が近づくにつれ、家業を継ぐかどうかを現実的に考えるようになった。教える仕事はやりがいにあふれていたが、家業を継ぐとなれば、安定した教員生活とは異なる大きな責任を負うことになる。売上や従業員、家族の生活まで背負う重さを理解しながら、それでも挑戦することを決意した。
「経営者になるということは、会社の存続はもちろん、従業員やそのご家族の生活まで考えなくてはいけません。その責任の重さを思うと、決断は簡単ではありませんでした。でも、私が大学に通えたことも、好きな仕事を選べたことも、これまでの生活が成り立っていたのも、すべて会社に支えられてきたおかげです。恩返しをしたいという思いもありましたし、創業家としての責任も感じていました。だからこそ、自分の使命を果たしていこうと継ぐ決意をしました。」
親族からかけられた「今の仕事が楽しいと思えているなら、戻ってくる選択もいいと思うよ」という言葉が、大きな後押しになったという。嫌になった仕事を辞めて戻ってくるのでは、きっと続かない。だからこそ、やりがいを感じていた教員の仕事を手放し、覚悟を持って家業の道を選ぶことが、自分にとって長く続けられる理由になると感じた。
その後、コロナ禍という厳しい時期も訪れたが、傍島社長はリストラを一切行わず、全員で乗り越えてきた。
③お客様の挑戦を支える確かな技術力
鳥羽工産の最大の強みは、多品種少量の製品に柔軟に対応できることだ。毎回異なる仕事や新しい挑戦にも応えていくことで実績を作ってきた。
「私たちは、前例や経験がなくても、まずは挑戦してみようという姿勢を大切にしています。特殊な設備も備えていますが、設備そのものよりも、『今までになかったこんなことができないか』というお客様の新しい挑戦に応えられる部品をつくることこそが、私たちの強みだと考えています。」
幅広い対応力は、自動車や航空機など高い精度が求められる部品にも活かされている。試作レベルであれば、車一台分の金属部品を組み立てることも可能だ。
「どんな部品の設計や製造にも対応できる体制を整えています。部品の種類や点数が多くても、航空機レベルで求められる精度や品質に応えることができます。品質目標は99.99%です。設計図どおりに作れる技術力があり、少量でもしっかりと品質を出せるのが大きな特徴です。」
機械だけでは実現できない精密さを可能にしているのは、職人たちの経験と技術だ。さらに、ものづくりにとどまらず、書類作成や審査対応まで一貫して行える点も、お客様から選ばれる理由になっている。
また、教師出身の社長らしく、社員のモチベーションを高め、自発的に取り組む風土づくりにも力を注いでいる。
「社員のなかには口下手なタイプもいますが、感謝の気持ちを伝え合う“ありがとうカード”を取り入れています。そうすることで社内の雰囲気が良くなり、チームとしての力も発揮できるようになりました。」
従業員同士が感謝を伝え合い、職人集団としての和を保ちながら、チームの力を最大限に引き出している。設備や技術だけでなく、「人」と「チーム」の力があるからこそ、多様な要望に応え続けることができるのだ。
④“誇れる職場”をつくる社長の挑戦
鳥羽工産では、若い世代の声を積極的に取り入れる取り組みを進めている。製造業は若年層から敬遠されがちな業界といわれるが、現場で作業着に身を包み、ヘルメットをかぶって働く姿には、確かなかっこよさがある。
「私は、若い社員たちの意見を直接聞くことで、会社全体に新しい風を取り入れられると感じています。」
25歳から35歳の社員46人を対象に、7人ずつのチームを編成し、2週間に1度、社長を囲んで意見を交わす場を設けた。ここからは、若手が思い描く会社の姿ややりたいこと、そして新たな挑戦のアイデアが次々と生まれた。
「家族に胸を張って誇れる会社にするには、こうした取り組みが必要だと、若い社員たちから学んでいます。取材を通して会社の姿を社外へ発信することも、社員の誇りにつながるんです。」
社員の声は、働く環境の改善にも直結している。たとえば、作業着やヘルメットのデザインを見直すチームを立ち上げ、働く喜びを“見える形”にする取り組みも進んでいる。
「会議室でお茶やお菓子を囲んでざっくばらんに話を聞く時間をつくりました。社員が思ったことを自由に言える場を設けることを大切にしていて、これからも働く環境を整え、社員が誇りを持って働ける会社を目指していきたいと思っています。」
社員の声を力に変えながら、若い世代にも魅力的な製造業をつくる挑戦は続く。未来をつくるのは、ここで働く人たち一人ひとりの情熱だ。
⑤既存×新規が生むものづくりの未来
現在、傍島社長は既存事業の深掘りと新規事業の探索を同時に進めている。
「既存事業をさらに磨きながら、新しい分野や上流工程にも挑戦していきたいと考えています。デザインや成形シミュレーションなど、開発の検討段階から関わることで、より効率的で高品質な製品づくりを目指しています。」
これまで試作車を使って各種試験を行っていたが、コスト面を踏まえ、既存車の一部を活用した改良・テストへとシフトしている。この転換にも、まだ多くの可能性が残されている。
「既存事業だけでなく、新規事業にも力を入れています。旧車部品の復刻やBtoC向けの商品開発にも取り組み、ものづくりの楽しさを広く発信しています。プロ野球チームとのコラボ商品や、航空機の端材を使ったキーホルダーなど、“見える形”で届けることも大事にしています。」
これらの挑戦は、若手採用や会社の魅力向上にもつながっている。多様な設備を活かし、試作や新しい発想に取り組める環境があることは、鳥羽工産の大きな強みだ。
「いちばんの課題は人材です。平均勤続年数は20年以上と定着率は良いのですが、平均年齢が43歳と上がってきており、技術継承が重要なタイミングにあります。若い世代にものづくりの魅力を伝え、長く働いてもらえる環境づくりが必要だと感じています。転職が当たり前になった時代だからこそ、経験や技術を守りながら、新しい世代が力を発揮できる会社にしていきたいと思っています。」
鳥羽工産は、既存技術と新たな挑戦を両輪に、若手の育成と技術継承を進めながら、次の時代のものづくりを切り開こうとしている。歴史ある技術と未来のアイデアが交わる現場から、また新しい可能性が広がっていく。
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