二人三脚で守る養蜂の未来「natchi」を訪ねてみた。
お祖父様から受け継いだ養蜂業を営み、高品質な蜂蜜の生産と交配用ミツバチの育成を手がけている。今回は、代表で養蜂家の竹中 尚弥(たけなか なおや)様と、マネージャーの竹中 里菜(たけなか りな)様ご夫婦にお話をうかがった。
- 受け継いだ営みと、新しい名前の誕生
- お祖父様から受け継いだ養蜂への想い
- 夫婦二人三脚で挑む養蜂の世界
- 安心して食べられる蜂蜜へのこだわり
- 次世代へ繋ぐ養蜂の未来
①受け継いだ営みと、新しい名前の誕生
養老町を拠点に養蜂業を営むnatchi。この親しみやすい屋号の背景には、竹中さんの素朴で温かな想いがある。屋号の由来を尋ねると、竹中さんは少し照れくさそうに答えてくれた。
「実は、自分の名前『ナオヤ』のナと、『ハチ』のチを組み合わせて名付けたんです。深く考えたわけではないんですけど、しっくりきて。」
もともとお祖父様が「竹中養蜂」の名で営んでいた養蜂業。それを受け継ぐ際、竹中さんは開業届を出すために屋号が必要になり、今の名前が生まれた。
「祖父は屋号にこだわるタイプではなかったので、自分で屋号を付けることになって。でも、ありがたいことに今は“natchiさん”と呼んでいただくことも増えて、自然と馴染んできました。」
気取りのないやわらかな響きの屋号は、竹中さんの人柄そのものを映し出している。シンプルで覚えやすく、親しみやすい名前は、多くの人に愛されながら根付きつつある。
②お祖父様から受け継いだ養蜂への想い
竹中さんのお祖父様が養蜂を始めたのは、竹中さんが中学生の頃だった。さまざまなことに挑戦してきたお祖父様の新たな取り組みが、家業としての養蜂につながっていく。
「祖父は興味を持ったことをすぐにやってみたい人で、炭づくりや椎茸の原木栽培、ぶどうづくりなど、いろいろ試してきました。その延長で、趣味が仕事になったのが養蜂という感じですね。」
好奇心旺盛で前向きなお祖父様の姿は、竹中さんにとって大きな影響だった。当時、竹中家には長年続いてきた型枠大工業と、お祖父様が始めた養蜂業の2つの家業があったが、高校卒業後、竹中さんが養蜂の道を選んだのも、その姿が背中を押したからだ。
「祖父が養蜂を始めて、父も型枠大工として外で仕事をしている姿を見ていたので、自分も外で働きたいと思っていました。そのうえ弟が型枠大工を継ぎたいと資格も取ったので、自然と自分は養蜂を継ぐ流れになりました。」
竹中さんはまず、お祖父様の勧めで修業に出ることになった。冬は温暖な気候の三重、春は岐阜・養老、そして夏前には北海道へとミツバチとともに移動する生活。自然の変化に向き合いながらの修業だった。
「1年修業に行ってこいと言われて学ばせてもらったんですが、本当に自然に左右される仕事で、気温や花の状態で全部変わってしまうんです。だから今でも毎年1年生の気持ちでやっています。」
養蜂には教科書がない。奥様の里菜さんもその難しさに共感する。
「正解がない仕事なので、毎回自分たちで考えながらやっています。」
自然と向き合い、試行錯誤を重ねながら続けてきた養蜂には、お祖父様から受け継いだ温かな精神が息づいている。
③夫婦二人三脚で挑む養蜂の世界
養蜂に携わって14年になる竹中さん。しかし、その歩みは決して平坦ではなかった。自然に左右され、正解のない世界で向き合い続けてきた年月が、今のnatchiを形づくっている。
「昔の自分は本当に子どもだったなと思います。途中で天狗になって、“自分一人でもできる”と思い込んだ時期もあったんですけど、全然通用しなくて、こてんぱんでした。」
ミツバチを問屋に納めても品質を指摘されることがあり、何度も壁にぶつかった。そんな時に力になってくれたのが、親方や先輩たちだった。
「親方たちが声をかけてくれて助けてくれたんです。自分のやり方を一度全部見直して、基礎から作り直そうと思いました。それで親方のやり方をもう一度真似してやり直した感じですね。」
今も親方や先輩たちと情報交換をしながら、日々改善を重ねている。そして竹中さんにとって欠かせない存在が、奥様の里菜さんだ。美容部員として接客業をしていた彼女は、結婚後にまったく違う“養蜂の世界”へ飛び込んだ。
「農家になるなんて思ってもいなかったです。最初はミツバチが何百、何千匹いるところに手を突っ込むのは本当に怖かったですね。」
お祖父様が育てたミツバチは交配用として問屋に納めることが中心で、蜂蜜もまとめて卸すのが定番だった。しかし竹中さんの中には「もっと一般の人にも届けたい」という強い想いがあった。
「せっかく蜂蜜が採れているのに、何もせず卸してしまうのはもったいないと思ったんです。」
そこで力になったのが、里菜さんの接客スキルだった。マルシェへの出店を通じて、小売販売を本格的にスタートさせる。
「接客は好きだったので、お客様と直接関わり蜂蜜を販売するのは楽しいです。」
竹中さんも、里菜さんの存在の大きさを感じている。
「自分は接客が苦手なので、妻が接客経験を生かしてくれるのは本当に助かります。これはもう、蜂蜜を小売りするチャンスだと思いました。」
夫婦の力が重なり、natchiの蜂蜜はより多くの人に届くようになった。二人三脚で歩み続ける姿は、ミツバチと向き合う真摯な姿勢そのものだ。
④安心して食べられる蜂蜜へのこだわり
natchiが大切にしているのは、品質と安心だ。竹中さんは、良い蜂を育て、良い蜂蜜を採るという当たり前のようで難しい営みに、真摯に向き合っている。
「やっぱりまずは蜂を作ることが始まりだったので、良い蜂を育てたいという想いがあります。蜂蜜も糖度が低いと品質が良くないとみなされてしまうので、しっかり糖度の高い蜂蜜を採ることを心がけています。」
安心して食べられる蜂蜜を届けるために、里菜さんもお客様への丁寧な説明を欠かさない。
「スーパーで売っているものは水飴が入っていたり、混ぜ物が多かったりするんです。出店している時も、お客様から“農薬検査されていますか”と聞かれることがよくあります。」
そこでnatchiでは、採蜜時期には除草剤を一切使わないなど、細やかな工夫を続けている。
「その時期はすべて手で草刈りしています。周囲の田畑で使われる薬剤はどうしても避けられませんが、自分たちは気をつけて検査も通っているので、農薬は検出されていません。」
そんなこだわりで作られた蜂蜜は、リピートするお客様が多いことでも証明されている。
「“natchiさんの蜂蜜を食べたら他の蜂蜜に戻れない”って言ってくださる方もいて、本当にありがたいです。」
マルシェに出店すると、その声を直接聞くことができる。竹中さんにとって、それが何よりの励みになっている。
「やっぱり直接お客様と話せると嬉しくて、“出てよかったね”って毎回思います。」
安心して食べられる蜂蜜を届けたい。その一心で続けてきた努力が、確かな信頼となって実を結んでいる。
⑤次世代へ繋ぐ養蜂の未来
現在、natchiでは養老と郡上の2箇所で養蜂場を運営している。竹中さんと里菜さんが二人で管理し、朝から晩までミツバチの世話を続ける日々だ。
里菜さんは、忙しさの中にも充実感があるという。
「子どもを送り出してから帰ってくるギリギリまで、ずっと作業しています。繁忙期はお昼休憩が取れないこともありますね。」
体力的にも厳しい中で続けられるのは、はっきりとした目標があるからだ。
「もっと多くの人にnatchiの蜂蜜を知ってもらいたいですね。」
蜂場の確保や農薬の影響など、課題も多い。近年は米価の上昇により米農家が農薬使用を増やすこともあり、その影響はミツバチにも及ぶ。
「農薬で蜂が死んでしまったり、育成不良になったりするので、それをどう避けながら続けていくかが課題ですね。」
米農家にも生活がある。だからこそ竹中さんは、農薬を撒くタイミングを聞き、それに合わせてミツバチを移動させるなど、できる限りの工夫を続けている。
それでも養蜂を続ける理由を尋ねると、竹中さんは迷いなく答えた。
「蜂蜜を“美味しい”と言っていただけたり、問屋さんに“いいミツバチをありがとうございます”と言っていただけるのは、本当に嬉しいんです。」
里菜さんも、その喜びを共有している。
「蜂蜜は年によって量も色も全然違うので、たくさん採れた年は嬉しいですし、透明感のある綺麗な蜂蜜が採れると本当に感動します。」
最後に竹中さんは、これからも変わらない覚悟を語ってくれた。
「蜂作りの時は、問屋さんに“いい蜂でした”と言ってもらえるように、質の良い蜂を出したいという気持ちで向き合っています。だからこそ、絶対に良い蜂を作り続けたいと思っています。」
natchiの蜂蜜は毎年マルシェやオンラインで販売されている。安心して食べられる高品質な蜂蜜を求める人は、ぜひnatchiの蜂蜜を味わってみてほしい。
お祖父様から受け継ぎ、夫婦二人三脚で守り続ける養蜂の世界の深さと温かさを、きっと感じられるだろう。
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