社員の人生と向き合い、人と車をつなぐ「横山モータース」を訪ねてみた。
1961年に創業して以来、65年にわたり、地域の暮らしと車に寄り添ってきた自動車販売・整備会社だ。「全社員の成長」や「働くことの幸せ」を大切にしながら、これからの自動車業界の在り方に向き合っている。今回は、三代目代表取締役である横山 智紀(よこやま とものり)様にお話をうかがった。
- 65年前から変わらない、まっすぐな姿勢
- 車の先にあるものに気づいた日
- 自分と向き合い続けてきた時間
- 社員一人ひとりの人生に向き合う経営
- 受け継いだ想いを、社員とともに未来へ
①65年前から変わらない、まっすぐな姿勢
横山モータースの創業は1961年。創業者は、横山社長のお祖父様である。創業当時の背景について、横山社長は次のように語る。
「もともとはバイクのテストドライバーとして働いていたと聞いています。勤務先の倒産をきっかけに、バイクが好きだった、その延長線上でバイク屋を始めたそうです。」
理由はきわめてシンプルだった。純粋に“好き”という気持ちからのスタートだったという。しかし、その根底には、仕事に対する強い誇りと覚悟があった。
「自分の整備には強い自信を持っていて、職人としてのプライドがあった人でした。もし整備に対して理不尽なことを言われるようなことがあれば、仕事として受けない、という姿勢を貫いていたようです。」
お祖父様は、ただ厳しかったのではない。仕事に対して、最後まで責任を持つことを何よりも大切にしていた。
プロとして、職人として、自分の仕事に一切の妥協を許さない。そうした真摯な姿勢があったからこそ、お祖父様には自然と信頼が集まり、長く通い続けるお客様がいた。
二代目であるお父様は、お祖父様とはまた異なるかたちで会社を成長させてきた人物だ。整備の現場に立ちながらも、人との関わりを何より大切にする経営を行ってきた。
「人に喜んでもらうということを大事にして、会社を発展させてきた人だったと思います。職人としてのこだわりというよりも、営業として、人に向き合う姿勢を大切にしていた印象です。」
職人としてのプライドを貫いたお祖父様。人の心に寄り添いながら会社を広げてきたお父様。それぞれの時代、それぞれの役割の中で、横山モータースは受け継がれてきた。
そして現在、三代目である横山社長が掲げているキャッチフレーズが、「プロフェッショナルとして業界ナンバーワン、感動のサービスを追求する」だ。
「今振り返ると、祖父が大切にしていた原点に、改めて立ち返っているのが、今なのかもしれません。」
横山モータースの原点には、一人の職人が大切にしてきた、まっすぐな仕事への向き合い方が息づいている。
②車の先にあるものに気づいた日
横山社長は、幼少期から家業である車屋を身近に見て育ってきた。しかし、その道を継ぐことを意識したことは、一度もなかったという。
「小さい頃から身近にありすぎたせいか、憧れを持つこともありませんでしたし、車に特別な興味があったわけでもありませんでした。」
継ぐ気持ちは何パーセントだったのか。横山社長は、迷うことなく「ゼロだった」と振り返る。
東京の大学へ進学し、そのまま東京で就職。社会人として働く中でも、家業に戻るという選択肢はなかった。
ただ一方で、お父様の背中を見てきたからこそ、経営という生き方そのものには、自然と惹かれていた。
「サラリーマンとして働きながら、いつかは自分で会社を起こしたい、父を超えて認められたい、そんな想いが原動力でした。」
転機が訪れたのは、25歳のとき。2011年、東日本大震災が起きた年のことだった。その年、横山社長の人生観を大きく変える出来事が起きた。
それは、これまで当たり前だと思っていた仕事や生き方の見え方が、根底から揺さぶられる経験だった。
その出来事の中心にいたのは、大学時代をともに過ごし、切磋琢磨してきた親友だった。同じ時間を共有し、互いに刺激を受けながら、それぞれの道を歩んできた、大切な仲間である。
親友は、東日本大震災後、電力会社の社員として被災地の復旧に尽力していた。人の役に立ちたい一心で現場に立ち続ける日々だったが、その激務の中で家庭はすれ違い、やがて離婚を経験する。
心身ともに追い詰められた末、彼は自ら命を絶ってしまった。
横山社長は現実を受け入れられず、しばらくはお墓参りにも行けなかったという。それでも、「後悔だけはしたくない」と思い、彼の地元である青森へ向かった。
当日、親友のご両親がお墓まで案内してくれた。その帰り際、ご両親は、そっと一台の車を見せてくれた。静かにシャッターが上がり、ゆっくりと、その姿が現れた。
ふと目を向けると、車の後部に貼られていたのは、「横山モータース」のステッカーだった。その車は、親友が結婚を機に、横山モータースで購入してくれていた一台だったのだ。
そのことに気づいた横山社長の隣で、親友のお母様が、静かに口を開いた。
「この車は、あの子が25年生きてきて、一番高いお金を払った買い物なんです。形見だと思って、今でも大切にしています。特別な時にしか乗らないようにしているんです。」
そして、こう続けたという。
「お父さんには、本当に親切にしていただきました。帰ったら、ありがとうと伝えてください。」
その瞬間、横山社長はハッとさせられたという。
「父は、ただ車を売っていたのではなく、車を通して、大切な人と人の心をつなぐ仕事をしていたんだと、初めて気づきました。」
それまで「車には興味がない」と思っていた価値観が、音を立てて崩れた。車は単なるモノではなく、人の人生に深く関わる存在だった。
「人の想いを預かり、人の人生に寄り添える。こんなに尊い仕事はない、と心から思いました。」
それでも、「継ぎたい」とお父様に伝えることは簡単ではなかった。東京から岐阜へ、三度帰省しても言い出せず、四度目でようやく決意を口にした。
「25年間、絶対に継がないと断固拒否していたので、それを覆すには相当な勇気が必要でした。」
こうして28歳の時に岐阜へ戻ってきた。友人の死を通して、車の本当の価値に気づいたことが、横山社長にとっての人生の分岐点だった。
③自分と向き合い続けてきた時間
横山社長は、意外な過去を打ち明けてくれた。
「小さい頃から、自分のことがあまり好きではありませんでした。劣等感が強くて、変わりたい、良くなりたいという気持ちをずっと抱えていました。」
社会人になってからも、その想いは変わらなかった。海外事業部に配属されたものの、英語が思うように話せず、周囲との差を痛感する日々が続いた。
それでも、立ち止まることはしなかった。仕事終わりに渋谷へ足を運び、道行く外国人に声をかけ続けた。
「“I want to be able to speak English”とか、本当に拙い英語で、片っ端から話しかけていました。」
怪訝な顔をされたり、断られたりすることも多かった。それでも、中には面白がって付き合ってくれる人もいた。環境がないなら、自分でつくればいい。そう考えての行動だった。
その積み重ねが、やがて実を結ぶ。海外の友人が増え、最終的には、アメリカ大使館の友人に招かれ、公式パーティーに参加するまでになったという。
「今思うと、よくやっていたなと思いますね(笑)。」
学び続ける姿勢は、今も変わらない。ドラッカーのマネジメント、心理学、経営者の書籍。10日間の瞑想プログラム、世界一周、インドのマザーハウスでのボランティア活動。
自分の枠を広げるための経験を、意識的に重ねてきた。
「人があまりしない経験を積んできたことで、少しずつ違う視点を持てるようになった気がします。」
中学1年生から大学まで第一線で続けてきたハンドボールも、横山社長を形づくった大切な要素だ。
「日本一になりたいという想いで、本気で取り組んできました。結果として、何度もあと一歩のところまでは行けたんです。想いを持ち続ければ、たとえ叶わなくても、限りなく近くまでは行ける。その実感があるからこそ、大きな目標を持つことの大切さを、今も大事にしています。」
劣等感や悔しさから目を背けず、自分と向き合い続けてきた時間。その積み重ねが、今の横山社長の言葉や姿勢の土台になっている。
そしてその価値観は、やがて会社全体の在り方へと、静かに広がっていく。
④社員一人ひとりの人生に向き合う経営
家業を継いだ後の道のりは、決して平坦ではなかった。お父様でもある会長とは、価値観の違いから衝突することも多く、会社を去ろうと考えたことも一度や二度ではない。
それでも、踏みとどまる理由があった。ふと浮かんだのは、スタッフ一人ひとりの顔だった。
この人たちの人生に、誰が向き合うのか。そう考えたとき、自分しかいないと思った。
横山社長が経営において最も大切にしているのは、全社員の成長だ。
「お客様に喜んでいただくことが根幹にありますし、地域で働くことの良さも伝えていきたい。そのためには、生き生きと働くスタッフの存在が欠かせません。」
人材育成にも力を注ぎ、学びの機会を積極的に設けている。スタッフへの向き合い方は、横山社長ならではのものだ。
「必ず、スタッフの幸せとは何か、というところから話をします。」
横山社長が、スタッフと向き合うときに最初に投げかけるのは、仕事の話ではない。まず聞くのは、「どんな人生を送りたいのか」「どんな自分でありたいのか」という問いだ。
答えをその場で求めるわけでも、正解を示すわけでもない。横山社長は、問いを重ねながら、スタッフ自身の言葉が出てくるのを待つ。
そうやって話を進めていくと、多くの場合、答えはすでに本人の中にあることに気づくという。
「働く上で、会社としてのルールはありますけど、それ以上に大事なのは、自分がどうなりたいのか、なんですよね。自然と自分の理想に向かって仕事をするようになっていると思います。」
上から引っ張るのではなく、横に並び、少し前を照らす。横山社長のスタンスが、自然とフラットで、互いを尊重し合う組織を形づくっている。
⑤受け継いだ想いを、社員とともに未来へ
横山社長が描く今後の展望は、大きく三つある。
一つ目は、全社員の幸せを追求すること。
「自分自身が、肯定的な生き方や考え方を身につけることで、人生の見え方が大きく変わりました。だからこそ、社員にもそうあってほしいと思っています。」
幸せな人は、人を幸せにできる。社員が幸せであれば、その想いは自然とお客様にも伝わる。横山社長はそう信じている。
二つ目は、子どもたちに誇れる明るい社会をつくることだ。
「社会の一番小さな単位は家族だと思っています。家庭では親でもある弊社の社員が、輝いている姿を見せることで、子どもたちは、働くことに希望を持てるようになると思います。」
そして三つ目が、整備士という仕事の価値を高めること。
「整備士を目指す人は減っていますが、技術を持った整備士は、今だからこそ価値のある存在だと思っています。」
人が減る一方で、車の数は変わらない。だからこそ、生産性を高め、正当に評価される仕組みが必要だと考えている。
「機械化や自動化を取り入れることで、一人当たりの生産性を高めていきたいと思っています。」
それは、整備士だったお祖父様への、時を越えた恩返しでもある。
「整備という仕事は、本当にかっこいい。その価値を、もう一度伝えていきたいんです。」
まずは自社から。その想いを現場で形にし、日々積み重ねているのが、今のスタッフ一人ひとりだ。
だからこそ、横山社長は最後にこう語る。
「スタッフには、本当に感謝しています。」
その言葉は、決して形式的なものではない。迷い、立ち止まり、会社を去ろうと考えたこともあった中で、横山社長を踏みとどまらせたのは、いつもスタッフの存在だった。
理念を語るだけではなく、それを日々の現場で形にしてくれる人がいるからこそ、会社は前に進む。社員を「支える存在」ではなく、「共に歩む存在」として見る姿勢が、横山モータースの空気をつくっている。
創業から受け継がれてきた職人の誇りと、人に向き合い続けてきた経営の姿勢。その延長線上に、社員一人ひとりの人生に寄り添う、今の横山モータースがある。
働くことに悩んでいる人、成長したいと願う人は、ぜひ訪れてみてほしい。ここには、人と本気で向き合い続けてきた時間が、静かに息づいている。
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