製材所から、高性能住宅の先駆者へ。科学で住まいを強くする「平田建設株式会社」を訪ねてみた。
山々に囲まれた穏やかな風景に溶け込むこの場所には、戦後から続く深い歴史と、最先端の建築論理が共存している。今回は、代表取締役の平田 敬雄(ひらた たかお)様、専務取締役の久美子(くみこ)様ご夫妻にお話をうかがった。
- 地域インフラとしての製材所がルーツ
- 高気密・高断熱という科学的アプローチ
- 被災地視察を経て強化された耐震への姿勢
- 空き家問題への取り組みと存続への責任
①地域インフラとしての製材所がルーツ
岐阜県関市に拠点を置く平田建設株式会社は、1949年(昭和24年)の創業以来、地域に根ざした家づくりを続けてきた工務店である。その歩みをたどると、戦後間もない時期、この地域に電気を通すために始まった一つの村営事業へと行き着く。
当時の迫間地区には、まだ電気が通っていなかった。電力を引き込むためには「地域産業」の存在が条件とされており、村の人々は自分たちの手で産業を興す道を選んだ。そうして立ち上げられたのが、地域の組合による製材所である。この村営の製材事業を、後に平田社長の祖父が引き継いだことが、現在の平田建設につながる原点となっている。
「当時は、交通網もまだ十分に整っておらず、移動手段は馬車が中心でした。街から離れた立地だったからこそ、この地域で暮らしを成り立たせるために、製材所は欠かせない存在だったのだと思います。」
製材業を営むなかで、地元の熟練した大工たちとともに家づくりにも携わるようになり、事業は少しずつ広がっていった。地域の木を使い、地域の職人が建てる家。その積み重ねが、平田建設の礎を形づくっていったのである。
1970年(昭和45年)頃には、2代目である父が事業を継承。大手ゼネコンで培った経験を持ち帰り、施工品質の向上に力を注いだ。高度経済成長期という建築需要の高まりのなかにあっても、技術をおろそかにしない姿勢は一貫していたという。
その姿を間近で見て育った平田社長は、幼い頃から自然と「いずれはこの道を継ぐ」という想いを抱くようになっていった。
「私は若い頃、外部の設計事務所や住宅会社に修行に出ていました。当時は、工務店が設計を外注するのが一般的でしたが、現場を経験する中で、自分たちが責任を持って図面を引き、構造の細部まで理解することの大切さを強く感じるようになりました。」
設計と施工が分断されたままでは、本当にお客様が納得できる建物はつくれない。そうした実感から、設計から施工までを自社で一貫して担う体制へと舵を切った。確かな品質を守るための選択であり、平田建設の家づくりの姿勢を象徴する転換点でもあった。
地域インフラとしての製材所から始まり、時代に合わせて技術を磨き続けながら、住宅建築の専門集団へと進化してきた平田建設。その根底には、創業当時から変わらない「地域とともに生きる」という想いが、今も静かに息づいている。
②高気密・高断熱という科学的アプローチ
3代目として経営に携わるようになった平田社長が、次に向き合ったテーマは、住宅の「快適性」と「長寿命化」をどう両立させるかという点であった。
かつて日本の住宅は、夏の蒸し暑さをしのぐための「風通しの良さ」を重視したつくりが主流だった。しかしその一方で、冬の寒さや冷暖房効率の悪さ、さらには建物内部の結露や腐朽といった課題も抱えていた。そうした問題意識から、平田社長が約20年前に本格的に取り組み始めたのが、「高気密・高断熱」の家づくりである。
「20年ほど前、住宅性能について専門的に学ぶ機会がありました。その中で、北海道で起きた『なみだ茸事件』を知ったことが、大きな衝撃でした。」
なみだ茸事件とは、断熱方法の誤りによって壁の内部に湿気が溜まり、木材が腐食してしまった事例である。この出来事を通じて、建物の性能は感覚や経験だけでなく、物理的な仕組みを正しく理解することが不可欠だと強く感じたという。
「気密と断熱を正しく行えば、家は腐りにくくなり、長く使い続けることができます。住む人にとっては一年を通して快適で、さらに光熱費も抑えられる。これは間違いなく、お客様のためになる家づくりだと確信しました。」
しかし、新しい考え方を取り入れる道のりは決して平坦ではなかった。当時は「高性能住宅」という言葉自体がまだ一般的ではなく、顧客はもちろん、現場の職人たちに理解してもらうには時間を要したという。
「当時は、お客様自身も住宅性能の重要性を強く意識されていない時代でした。それでも、これからの住宅の標準になると信じていましたので、高気密・高断熱を標準仕様として提案し続けました。」
現場の職人たちも、最初は戸惑いを見せていた。しかし、一棟、また一棟と実績を積み重ねていく中で、施工の意味や効果が少しずつ共有されていった。実際に住み始めたお客様から寄せられる「冬でも暖かい」「光熱費が下がった」といった声が、何よりの裏付けとなった。
現在、平田建設では「長期優良住宅」を標準仕様としている。耐震性、耐久性、省エネルギー性など、厳しい基準を満たした住宅のみが認定される制度であり、その土台には、長年積み重ねてきた高気密・高断熱の技術がある。すべての建物で地盤調査を実施し、強固なベタ基礎を丁寧に施工することも、同社が大切にしている基本の一つだ。
目に見えるデザインだけでなく、完成後には見えなくなる部分にこそ手間とコストをかける。平田社長の家づくりに対する姿勢は、「本当に良いものを、論理と根拠をもって届けたい」という経営者としての誠実さそのものである。
その考え方はリフォームやリノベーションの現場でも変わらない。既存住宅が持つ構造や性能を丁寧に見極め、適切な改修を施すことで、新築に劣らない快適性を実現してきた実績も豊富に積み重ねている。
③被災地視察を経て強化された耐震への姿勢
平田建設が、住宅の「快適さ」と並んで大切にしているもの。それが、家族の命を預かる器としての「耐震性能」である。この分野においても、平田社長は感覚やイメージに頼ることなく、自ら調査し、論理的に考える姿勢を貫いてきた。
大きな転機となったのが、2016年に発生した熊本地震である。木造住宅の安全性についてさまざまな意見が飛び交う中、その真偽を自分の目で確かめたいという思いから、発生から約1か月後、被災地へと足を運んだ。
「『木造建築は地震に弱い』という声もありましたが、私は噂や印象ではなく、事実を見たいと考えました。そこで熊本の益城町を訪れ、実際の被害状況を確認しました。」
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現地で目にしたのは、古い耐震基準で建てられた建物や、構造的な弱点を抱えた住宅が大きな被害を受けている一方で、最新の耐震基準に基づき、正しく設計・施工された住宅は、しっかりと建ち続けているという現実だった。
「その光景を見て、これまで自分たちが取り組んできた方向性は間違っていなかったと確信しました。同時に、既存住宅に対する耐震改修の重要性も、改めて強く感じるようになりました。」
この視察をきっかけに、平田建設では関市における耐震診断や耐震補強工事への取り組みを、これまで以上に強化していくこととなった。岐阜県は災害が比較的少ない地域とされているが、平田社長は「万が一」に備えることの大切さを、根気強く伝え続けている。
平田建設に所属する建築士は、岐阜県の「岐阜県木造住宅耐震相談士」の登録者として、行政と連携した活動にも積極的に携わっている。補助金制度の活用方法を含め、正しい耐震補強が行えるよう、勉強会や個別の提案を地道に重ねてきた。
「岐阜の方々は、どこか『ここは大丈夫』という安心感を持っているかもしれません。しかし、活断層は確実に存在しています。だからこそ、備えは欠かせません。」
そうした取り組みの積み重ねにより、現在では関市における耐震改修の実績において、非常に高い評価を受けるまでになった。近年では能登半島地震の発生後、社員全員で現地を視察し、被災者向けのボランティア相談にも参加している。
「建築士として、住宅の安全性に責任を持つことは、地域を守ることそのものだと思っています。」
平田建設の耐震へのこだわりは、設計段階での徹底したシミュレーションにも表れている。数値を算出して書類上で完結させるのではなく、それを現場で確実に再現するため、社内で詳細な図面作成と入念なチェックを行う。現場での「答え合わせ」を、次の技術向上へとつなげていく姿勢を大切にしている。
同社が掲げる「100年住める家」という考え方は、こうした確かな耐震技術と、結露を防ぐ耐久性への配慮があってこそ成り立つものだ。家族の命を守るという、工務店本来の役割を、平田建設は今も実直に果たし続けている。
④空き家問題への取り組みと存続への責任
創業から75年を超えた平田建設は、新築住宅やリフォームにとどまらず、地域課題となっている「空き家」の利活用や、既存住宅の機能向上にも積極的に取り組んでいる。その姿勢は、長年この地で事業を続けてきた企業としての責任であり、地域社会への恩返しでもある。
「あと四半世紀で、創業から一世紀を迎えることになりますが、それは特別なことをしてきた結果ではありません。日々の誠実な仕事の積み重ねに過ぎないと思っています。」
そう語る平田社長にとって、会社を続けていく理由は明確だ。
「お客様に頼っていただける限り、会社を存続させる責任があります。そして、お引渡しをした後のアフターフォローこそが、本当のお付き合いの始まりだと考えています。」
定期点検や保証制度を整え、何かあった時にはすぐに駆け付けられる体制を維持する。それは利益のためではなく、この地域で住まいを託してくれたお客様への約束であり、平田建設を育ててくれた土地への最大の恩返しなのだという。
今後の展望として平田社長が見据えているのが、空き家を高い技術力で再生し、若い世代へとつないでいく取り組みである。建築資材の価格高騰が続く中、高性能なリノベーション住宅は、次世代にとって現実的で魅力ある選択肢となりつつある。
「関市はとても暮らしやすく、魅力のある街です。ただ、若い世代が減っているという課題もあります。私たちが培ってきた断熱や耐震の技術をリフォームに活かし、空き家を価値ある住まいへと再生することで、移住や定住を後押しできればと考えています。」
行政や地域コミュニティと連携しながら、住まいの側面から地域活性化に貢献していく。その歩みは決して派手なものではないが、「この街が住み心地の良い場所であり続けるために」という想いが、そこにはある。
山あいの製材所から始まった一軒の工務店は、今や関市の暮らしと安心を支える存在へと成長した。営業担当、現場監督、職人たちが丁寧な打ち合わせを重ね、施工の精度を高めるだけでなく、お客様一人ひとりのライフスタイルに寄り添うことで、高い満足度を築いてきた。
社風として根付く「人への誠実さ」と、平田社長が追求し続ける「科学的な技術」。この二つが噛み合うことで、平田建設の揺るぎない土台は形づくられている。
取材を通して見えてきたのは、単に建物をつくる工務店の姿ではなく、そこに住まう人の「日常の安心」を設計し続ける存在であった。戦後の創業期から今日に至るまで、平田建設の根底に流れる「地域のために」という精神は、今も変わらず受け継がれている。
岐阜県関市の地で、一軒一軒、丁寧につくられる平田建設株式会社の住まい。その先には、確かな科学的根拠に守られた、暖かく穏やかな暮らしが広がっている。地域と共に歩み、次世代へ安心をつないでいく同社の取り組みは、これからもこの街に静かな光を灯し続けていくことだろう。
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