おもてなしの心を大切にする「鵜匠の家すぎ山」を訪ねてみた。
天然鮎を始めとして、地域で採れた食材を四季に合わせて提供してくれ、部屋にいながらの鵜飼の鑑賞や居心地の良い空間を作り出す旅館だ。鵜匠の家系で現在は旅館を経営なさっている杉山貴紀(すぎやま たかのり)さんにお話を伺った。
- 旅館名の由来
- 鵜飼から旅館へ
- 自慢の料理
- お客様との向き合い方
- 今後について
①旅館名の由来
早速だが、旅館のお名前の由来から伺った。
「本家が鵜匠家で、本家は世襲直系の第一子が継ぐことになっています。そこで三男であった私の祖父が家を出て、旅館の娘さんであった祖母と出会いここに旅館を構えました。そうして鵜匠一族の家の旅館ということでこのような名前になりました。」
また驚くことに鵜飼で有名な岐阜だが、岐阜市には現在鵜匠の家系で6名しかいないと話してくれた。
「自分で調べたのですが、鵜匠の家系で6名でした。全員血族です。土地柄、昔は弟子だったりお手伝いだったりと多くの人を抱えていました。そのため、その方々のお世話をするためにそこの奥さんは力量のある女性である必要もあり、格式の高い互いの家で結婚を通した行き来があったそうです。」
やはり鵜匠というのは極めて高い技術が必要であり、決められた一部の人たちのみができることであり、伝統がある。また古くからあり、歴史が長い。杉山社長はこの伝統に誇りを持っておられる。ただこのような純和風なお仕事ととは裏腹に、杉山社長はアメリカ留学の経験があるという。杉山社長の幼少期に亡くなってしまったお父様の意向があり、お母様が送り出してくれたという。この、特別な家系でお生まれになったからこそ、お父様がたくさんの経験を杉山社長にさせ、自分で判断して欲しかったのだろうと筆者は感じた。
結果として、アメリカに行ったことでさらに日本の魅力に気づくことができたのだと杉山社長はいう。
「自分の意思で日本に戻ってきて、日本の魅力を伝えることができる、鵜飼や旅館に関わることを決めました。」
また、ご兄弟で会社を運営されているが、杉山社長はアメリカ・弟様は日本、それぞれ違う環境で学んだ為お互いが身につけた知識を持ち寄ることができ上手くやれているとの事。ご兄弟の違う視点から”文化を守る”お考えが上手く歯車に噛み合った結果であろう。
②鵜飼から旅館へ
鵜飼の家系から旅館経営にどのように移られたのか聞いてみた。
「もともとお手伝いさんのお世話をしておりましたし、昔この辺りには宿がなかったため旅の方達をおもてなしして、お泊めさせていただいたのが宿の始まりだと思います。ただ当時はお泊まりいただく場所があるから提供していただけなので、対価としてお金はもらってなかったんです。当時は画家さんだったら絵をいただくなどしておりました。ですので、うちにも有名な画家さんから対価としていただいた絵もあります。」
「有名な画家さんの絵でしたら、相当高価だと思うのですが、絵を手放す事はされないのですか?」と筆者がした不粋な質問に対し杉山社長は答えて下さった。
「絵は今でも大切に保管されていますよ。でも、売る気はないですね。というのも、いただいたことに価値があるんです。なのでここにないと意味がないと思うんです。」
とお考えを教えてくれた。出会いや考え方をとても大切にされ、その思いは現社長まで脈々と伝わっている。それを感じられたお話をもう一つご紹介しよう。鵜匠の家すぎ山には貴賓室があるのだがそのお部屋には有名な方が泊まるのかと質問をした時のお答えだった。
「シーズン中だとお部屋から鵜飼をご覧いただく事もできる貴賓室があります。もちろん、著名人がご宿泊される事もありますが、有名な方だからご提供するというわけではないです。特別な空間をご希望される方の選択肢としてどなた様にでもご提供しますよ。」
当たり前かもしれないが、お客様に対して差をつけず、誰に対しても快適に過ごして欲しいという根本のお考えの話を聞かせていただけた。
③自慢の料理
誰も皆、旅館に泊まるとなった時に重要視するポイントの一つがお料理だ。
「やはり鮎料理は看板メニューではありますが、うちでは岐阜で取れる季節のものをご提供しておりますので、自然で採れる四季の恵があるとするならば、使わせていただきます。それが夏場であれば鮎ですし、鵜飼が終わった11月中旬からは鴨になります。旬の美味しいものをご提供するようにしております。」
こだわりがある中でも、岐阜で採れる季節の旬を味わってもらいたいという料理や食材に対しての強い想いが伝わってくる。また、料理にお力を入れている事がわかるエピソードがある。
「昔の話なのですが、うちの料理長が若かった頃、うちに就職した後に東京の割烹に修行に行ってもらったんです。もしそこで働きたくなったら、そうしてもいいし、戻ってきてくれるなら戻ってきて欲しいと伝えて修行に出したんです。その後、うちに戻ってきてくれてからは、ずっと働いてくれています。」
これには筆者も驚いた。もしかすると、修行先でそのまま就職されてしまうかもしれない可能性がある中で、あえて外に修行に行ってもらったのだという。広い世界を見て色々な知識・経験を積んで戻ってきてほしいという料理に対しての情熱と料理長に対しての信頼があってこその行動だろう。
「料理宿と言わせていただいています。お客様は料理や温泉を楽しみにしていらっしゃると思います。ただ規模が大きくなると一品一品こだわるのが難しくなりますが、うちは四季のものにこだわりながら器も一つ一つ適したものを選んでおります。料理が多くメインになると料亭になりますし、宿泊が伴うと観光がメインになりますのでその間というのは珍しいと思います。」
お客様それぞれに適したものを提供するために“鮎尽くし”や“飛騨牛”に特化したプランなど昼夜だけで30種類ほどありそれぞれに器や彩りを考えてご提供しておりとても丁寧なおもてなしだ。
④お客様との向き合い方
館内にはたくさんの花があることに気づいた。なんと生けている花などは杉山社長が全て育てていると言う。いただいた花の株を分けて育てており、一番長いものは祖母の代からあり、60年以上だという。ご多忙の中、植物の世話をご自身で行われている理由を尋ねてみると杉山社長のお考えの一部が知れた気がした。
「祖母に教わった事なのですが、万が一に我々の不手際でお客様にご不便をかけた時、ご意見という形で伝えていただけます。我々は誠心誠意謝罪し、改善をさせていただく事ができます。しかし、植物の場合は自分たちが失敗をすると枯れてしまうんです。どれだけ反省しても、謝ったとしても、その植物の命は尽きてしまう。つまり枯れてしまうという事は事前の”気遣い”ができていないという証。要はそれがお客様に対しての気遣いやおもてなしにも繋がると言葉ではなく祖母の姿から教わりました。」
これはお祖母様の代からされており杉山社長は幼少期からその姿を見て学んだのだと話してくれた。何十年と枯れずに咲き続けているということは、1歩2歩先を考えて動けている証という事だ。
このお考えを聞いた時、とても素敵な教訓だと感じた。もちろんそれは、従業員の皆様にも素晴らしい教訓として受け継がれているのだろうと思った。しかし、杉山社長は続けてこう話す。
「この話は自分から従業員には話しませんね。自分がそうだったように、人から言われてやるのは押し付けであり、人の姿を見て自然と自分から考えてやる事が大切だと感じていますので。」
杉山社長もお祖母様の姿を見て学んだように、従業員にも自らの気づきで行動して欲しいのだと話してくれた。長年続いているモノやコトには必ず理由がある。この旅館は、おもてなしの心で溢れている。このような素敵な場所で大切な時間を過ごしたいと思う。
⑤今後について
今後の展望について聞いてみた。
「多店舗展開などは考えていません。私はもっと手を広げていきたいというよりは。今あるものをこれからも守り続けていく事に注力していきたいです。強いて言うのであれば、古くなってきたところを修繕してこの地でこれからも営み続けたいですね。」
岐阜の地で、これだけの歴史ある旅館を切り盛りされる社長のご意見はとても謙虚であった。修繕をしたい理由に関しても、おもてなしを大切にされる精神が溢れていた。
「修繕に関しては、お客様が過ごす場所はもちろんですが、休憩スペースなども改善したいんです。これは従業員さんへの感謝の気持ちとみんなの働く環境が良ければ自然と表情が柔らかくなりますし、それはお客様にも伝わるからですね。」
最後に旅館を経営する上で大切なことを話してくれた。
「従業員のみんなには自分がお金を払って泊まる側だった時に求めることをするよう伝えています。これは、従業員一人一人で答えが違います。例えば、お子様と話す時に目線を合わせる従業員がいたり、足腰が悪いお客様がいらっしゃった時には寄り添う従業員がいたり。もちろん重要な部分はルールとして定めますが、それ以外は個々の感性に任せています。従業員の思う理想の接客はそれぞれ違うし全部正しいと思います。自分で考えて行動する事それが最高のおもてなしへ繋がると思っていますね。」
ロケーションの良い場所でお料理も旬のものが味わえる旅館「鵜匠の家すぎ山」。しかし、それだけではない。杉山社長をはじめとする従業員の皆様が提供してくれる「おもてなし」。これこそが幸せなのではないだろうかと感じた。
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