女子高生に大人気、話題の「アジアンティーハウス」を訪ねてみた。
- 自分のお店をつくることを決めた理由
- SNSでの集客以外の「底力」
- 価値観と新しい場所
2014年に名鉄岐阜駅前にオープンしたアジアンティーハウス。
駅前を通る人やロフトを利用する人なら1度は目にしたことがあるだろう。
小さい空間の中に表現されたティースタンド。
おしゃれでおいしいティードリンクが飲めると話題の店だ。
明るい店内に、スタッフさんの笑顔、お客様の喜ぶ姿。
アジアンティーハウスの周りは明るい空気で包まれている。
そんなアジアンティーハウスももうすぐ4周年になる。
今年7月には2店舗目をオープンし、11月に3店舗目をオープン予定だ。
今回の登場人物は代表の森上昌さんだ。
誰よりも爽やかな笑顔でドリンクを作り、お客様に提供している。
まだティースタンドという言葉が浸透されてない時にティースタンドを岐阜に作り、新しい文化を生んだ。
そこにはどんな道のりがあったのだろうか。
無知から始めたという掟破りのような始め方を森上さんに聞いてみた。
自分のお店をつくることを決めた理由
森上さんはレストランのホールで働いていた頃、飲料文化に興味があった。
そのレストランではワインを扱っていた。
ワインは醸造家がいて、産地があり品種があり、お茶と似ている部分はあるが敷居が高いようなのが嫌だと思ったという。
「お茶は年間でどれだけ飲んでるんだろうってよく考えたらすごく飲んでて。韓国とか中国に行くとお茶文化が発展していて、日常当たり前のようにお茶を《新しいかたち》で飲んでいる事に触れた時、こういうものが日本でも作れたらいいなって漠然と思った。」
お茶にはかしこまったイメージが強かった。
そのとき森上さんが出会ったのが茶商さん。茶商とはお茶の買い付けのプロだ。
茶商さんと出会い、自分の知らなかったお茶を経験したという。
「知れば知るほどやっぱりお茶の世界は敷居が高くて、普通には飲めないお茶だった。でもそのお茶を工夫して淹れることで、量がでることがわかってきて、、、。これなら求めやすい価格で飲んでもらうことができるのかもしれない。」
その考えが生まれた時、森上さんの中で今まで考えてきたことが繋がり、店をつくる事に至ったのだ。
開業した時すでに森上さんは結婚して子供が生まれていた。
心配する声は少なくはなかったはずだ。だが森上さんは楽観的だった。
「もし売上がなくお金がなかったら、バイトに行けば大丈夫でしょ!みたいな考えだった。」
森上さんはレストランにいたが料理人ではなかった為、料理はしない。
料理をしたことのない人がお茶をベースにドリンクを作る。
おいしいのだろうか。このお茶でお客様は満足してくれるのだろうか。
スタートの段階では迷いと不安があったという。
行けるでしょという自信と共に、メニューへの不安という様々な気持ちを持ちながら、アジアンティーハウスはスタートした。
アジアンティーハウスがスタートした時は、まだ全国的にもティースタンドはなかった。
無知だからこそ出来たこと。
それはお茶のタブーを実践することだ。アジアンティーハウスでは、あえてそれを実践している。
普通ならお茶と合わないと考えるものも、関係なく合わせてみる。
しかしそれがお客様のツボをついたのだ。
お茶に詳しいお客様からも驚かれることが多いという。
そんなタブーをすることは、たくさんの経験があれば出来ないことだったはずだ。経験が全てではないということ。
森上さんの実体験で、経験がなくては出来ないという先入観はなくなる。
「お客様の『ずっと来たかった』は純粋にうれしいけど、ファッションになりすぎては駄目だと思う。
もう1回来てもらえるような、商品展開や接客にしなくちゃいけない。」
だからこそ森上さんは接客やサービスにもこだわりがある。
森上さんはスタッフに対して教えるときは細かく教えている。
「スタッフには細かく言い過ぎてるぐらい。笑うちも小さいレストランだと思ってる。レストランのサービスといえば、お客様が「〇〇まで行きたい」と言ったら地図を印刷して案内するようなホスピタリティを大切にしている。そういう気遣いが素敵なサービスだと思っていて。でもそれはコースのお店だけがやればいいことじゃなくて、うちのようなお店でも同じようなサービスをしたいと考えている。気遣いができている対応。それを常々言っている。」
高山店では観光客の多くは外国人の方だ。
英語が話せるスタッフはゼロという。
だがレジ横に各国の「ありがとう」を書き、スタッフはお客様に伝わるように声をかける。
それだけではなく、さらにコミュニケーションをとりたいと、折り紙を折ってプレゼントしている。
やはり外国人の方にはすごく喜ばれるという。
言葉は通じなくても、心が通じるように。
そんなコミュニケーションをとれるように考えられている行動だろう。
五百円のものを販売していても、1万円のものを販売していても、お客様には同じサービスをしてほしいという。
値段でサービスを変えない。そこは森上さんのこだわりだ。
「人では苦労はゼロ。」
森上さんは経営者として従業員の苦労はなかった。
アジアンティーハウスの離職率は低く、1度働いたスタッフは数年勤務している。
森上さんはスタッフにも恵まれている事を近年しみじみ感じるという。
今はスタッフさんもアジアンティーハウスのウリの1つだ。
スタッフに付くファンも多くなってきている。
「スタッフがお店を作ってくれている。」
信頼できるスタッフが多くなってきた為、森上さんは新店オープンにも踏み込めた。
森上さんは昔に比べて休みも取れているという。そのおかげで子供の行事もしっかりと参加が出来ている。
本来、年中無休の自営業のお店で週末に休みを取ることは、不可能と考えやすい。
だがそんな時間が取れるようになったのは、家庭を持つ森上さんに対するスタッフさんからの配慮や、森上さん自身が、任せれることが出来るようになったのも大きい。
これはスタッフとの信頼関係があってこそだ。
商品・サービスにこだわりを持ち続けている森上さんと共にアジアンティーハウスを作ってくれるスタッフは
アジアンティーハウスになくてはならない宝になる事だろう。
そしてそのスタッフたちがこれからもっもっと素敵な文化を生んでくれることも期待したいものだ。
SNSでの集客以外の「底力」
「うちは広告費は0円で一切かけてなくて。笑 本当に人が人を呼んでくれてやっていけてる。ただそれだけなんです。笑」
アジアンティーハウスのオープンとSNSブームはちょうど重なった。
駅を利用する学生が店を利用する。その学生が商品をSNSで拡散する。
その流れから名は一気に広まり知名度は上がった。
「昔はSNSもなくお金を使わなかった。今の時代だからこそリンクしたと思う。」
SNSの拡散率は高く、アジアンティーハウスを検索をすると今もたくさんの投稿を見れる。
SNSの拡散のお陰もあり店は繁盛したと共に、面白いことが起きた。
それは【朝ウーロン茶をアジアンティーハウスで買って学校にいく】という学生の文化が生まれたことだ。
昔では考えられないことだ。
コンビニでペットボトル飲料を買っていくのとはワケが違う。
お茶屋さんに寄りお茶を買っていく。
大人なら考えられる事だが、学生ではまるで話が違う。
最初のターゲットはもう少し大人の成人女性だったという。
だがSNSブームのお陰で学生に認知され、今も大半のお客様は学生さんだ。
SNSが背景にあるかもしれないが、この文化が生まれたのは学生に朝から飲みたいと思わせる魅力がアジアンティーハウスのお茶にあったからに尽きる。
最初は甘いのを飲んでいた学生も、どんどん甘くないミルクティを飲むように変わってきているという。
「お茶本来のおいしさをわかってくれるようになったのがうれしい!」
それはアジアンティーハウス が伝えたかったことが、しっかりと伝わっていると感じられる瞬間だろう。
「今も必死にSNSをやり続けてますよ。笑若いスタッフに教えてもらってばっかりです!同世代の中ではダントツに詳しいと思います!笑」
今の時代についていこうとする。
どんどん新しくなる時代に対応できるように努力する。
そういうことがブームを作ることで大事なはずだ。
「やっぱりSNSには助けられたけど底力はそこじゃないと思っている。今回のきっかけがそうだったけど、今はもっとベースの部分でお客様と繋がれるようにしていきたい。」
SNSがブームな時代ではあるがやはりブームな事に変わりはない。
これがこのまま続くかはわからないところだ。
乗ったままであると、いつ落とされるかわからない。
だからこそ森上さんはまだまだ考えるところがあるという。
新しい場所が生まれる
毎年1年を通して色々な新作をだしてきたが、今年は新作をあまり出してない1年だったようだ。
だが新作をたくさん出してなくても、昨年と同じぐらいのお客様が来店されているという。
それは既存のメニューファンが出来ているからだ。
このことは、アジアンティーハウスのオープン当初からあるメニューの良さを再確認する事に繋がった。
これまでの話を聞けばアジアンティーハウスは順風満帆に思えるが、そうではない時期もあったようだ。
「お金では正直辛い時代はあった。ここに行き着くまでの苦労は本当にあったと思う。ここ3.4年はベース作りに努めて来た。とにかく無我夢中に走ってきた。無我夢中という言葉が合っている。笑」
2014年に1店舗目(新岐阜駅前)はオープンした。
辛い時期を乗り越え、4年目の今年、7月には2店舗目(高山店)をオープン。
更には、11月末には「広重スイーツ」とのコラボショップとして3店舗目(モレラ店)をオープン予定だ。
「店舗が2つ目3つ目になってやっと半人前。やっと思い描いてたとこに立てた。その為の4年だった。本当に4年間はコツコツやってきたからこその今がある。」
自身は本当にまだまだ半人前という。
森上さんは常に課題を考え、動き続けている。
無我夢中だったからこそ今の景色が見れているのだろう。
だが今の自分に満足せずにもっともっと上を向いている。
無我夢中になれるのは、人生で何度あるのだろうか。
無我夢中になれることに出会えるのも幸せなことだ。
森上さんは話している中で、何度も〝ご縁〟という言葉を口にする。
「ここまで上手くやってこれたのは本当に人のおかげ。」
知人からの紹介で広重スイーツマジックの広重さんと出会い、アジアンティーハウスは幅の広がりを見せた。
「2店舗目を探していた時にしっくりはまるところがなくて。広重さんから高山の店舗を紹介されて見に行ったらすぐ『ここで開きたい』と思った。」
ご縁からいい場所に巡り合ったといえる出来事だ。
そこから話は進み、3店舗目を共に運営していくことになった。
モレラ店のオープンはアジアンティーハウス初となるコラボショップになる。
アジアンティーハウスのポジションとしては〝サポート〟という。
このご縁がなかったら、森上さんはモレラ岐阜への出店は考えなかったかもしれない。
オープン当初からサポートしてくれたデザイン会社にも、森上さんは何度も助けられた。
「何に関しても悩んだら相談してた。商品開発から経営のことまで。相談できる相手がいるのは大きい。相談できたから力が抜ける部分もあった。それは本当に勉強になったと思う。」
なんでも相談出来る関係になるというのは難しい。
しかし、いてくれたらとても強くなれる。
そんな相手に出会えたのもやはりご縁だ。
だからこそ森上さんは周りへの感謝の気持ちを絶やさない。
そんな森上さんだからこそ、スタッフやたくさんの方と共に歩み続けるのだろう。
「一過性ではなく地域の人に愛されるお店を色々作っていきたい。もっともっと多くの人にうちのお茶を飲んでほしい気持ちはいつまでも変わらない。だから先を見ていかなくてはいけないし、見えてくるものがある。」
アジアンティーハウス は11月で4周年。もうすぐ5年目に突入する。
今は店舗は全部テイクアウトで、7月にオープンした高山店も、11月オープン予定のモレラ店も少しスペースはあるが基本はテイクアウトになる。
「いつかはイートインにチャレンジしたいとは思っているけど、座れるスペースを作ったとしてもカフェみたいにはしない。このスタイルは変えないつもり。」
森上さんらしさから作られるアジアンティーハウスのブランディング。
揺るがない想い。
それを感じるアジアンティーハウスの今後の店舗展開が楽しみだ。
「料理もしたことないゼロから自分が作るお茶が、数年で何万人にも飲んでもらえたことは、今でもピンとこないぐらい嬉しい事。何万人なんて最初は考えられなかった。最初は考えられないことが起きて、やっと自信に繋がって来た。今はやっと感じることができる。」