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岐阜のソウルフードを目指し挑戦を続ける「冷したぬき天国」を訪ねてみた。

岐阜のソウルフードを目指し挑戦を続ける「冷したぬき天国」を訪ねてみた。
TOM
TOM
今日はサラとデート!お昼ごはんは何を食べる?
SARA
SARA
話題の「冷したぬき蕎麦」が食べたいわ!
TOM
TOM
OK!じゃあ僕の”そば”でソバを食べてね♡
SARA
SARA
気持ちも冷えそう…
この記事は約8分で読めます。
今回のツムギポイント
  • 「冷したぬき天国」の名前に込めた想い
  • 独立し、自分のお店を持って気づいたこと
  • 1杯目も100杯目も、魂を込めたそばを提供
  • 座右の銘は「Live FREE DIE STONG」
  • いつかは世界へ、そして地域に愛されるお店へ

 

 

岐阜市にある「冷したぬき天国」をご存知だろうか。無添加の「冷したぬき蕎麦」にこだわった、そば専門店だ。本日は店主の萩原 雅規(はぎはら まさき)さんにお話を伺った。

 

 

①「冷したぬき天国」の名前に込めた想い

店主の萩原さんは、元々同じ岐阜市にある老舗のお店「めん処堀川」の2代目だ。萩原さんは「冷したぬき天国」を開業するまでずっと「めん処堀川」で働いていた。しかしある時、体調を崩してしまう。

 

 

飲食業に疲れ、仕事に行けない期間が続いた夜業態を居酒屋に変更など世でゆう成功をただ求めて、足し算を繰り返す毎日に自分が分からなくなり自分の生き方を見直す。そんな萩原さんを導いてくれたのが「冷したぬき蕎麦」だった。

 

 

「小さな頃から、僕は父の『冷したぬき蕎麦』をずっと食べ続けていました。家に帰ったら、冷したぬき蕎麦が出てくるんですよ。家が忙しかったからというのもありますが、それでも僕は好きでした。冷したぬき蕎麦が本当に大好きで、大人になって、父の店で18年働いたときも、何よりも冷したぬき蕎麦を食べていたんです。18年間、ずっと父の下でやってきただけで「自分には何もない」と思い込んでいました。しかし「自分には冷したぬき蕎麦への強い想いがある、愛がある」と気付いたんです。」

 

 

そして萩原さんが考えついた戦略が、”極限までメニューを削り、自分の思い入れのあるメニューだけで勝負する”というものだった。「めん処堀川」は100種類以上のメニューがあるが、真逆の道を選んだというわけだ。

 

 

では「天国」にはどういう想いが込められているのだろうか。

 

 

「僕の周りには、自分が大好きな冷したぬき蕎麦を、同じように好きだと言ってくれるお客様や仲間が集まってくれています。また、僕はイベントにも力を入れているんですが、そこから冷したぬき蕎麦に興味を持ってくれて、輪が広がりつつあります。僕が想いを込めてつくった大好きな冷したぬき蕎麦その一杯を好きと言って食べに来てくれる、お客様や中間が集まってくれる場所が天国。なのだと感じたんです。」

 

 

また、地域の人たちに”このお店は冷したぬき蕎麦の専門店なのだな”というのがパッと分かるように、という狙いもあるという。

 

 

②独立し、自分のお店を持って気づいたこと

新規に「冷したぬき天国」を立ち上げた萩原さんだが、今も「めん処堀川」の経営に携わり、現場にも出ている。しかし萩原さんは、これまで何度も飲食の仕事をやめようと考えていた。

 

 

「実はEXILEのオーディションを受けたことがあります(笑)。TAKAHIROが優勝したときのオーディションです。だからネタでよく「TAKAHIROと同期」と言っていますね(笑)。当時は父親ともよく「この店を継ぐなんて一言も言っていない」と喧嘩していました。僕としては、祖父が他界したから手伝っているだけのつもりでした。今でこそ、自分が堀川の2代目だという自覚がありますが、ずっと自分の道を誰かに決められるのが嫌だったんです。」

 

 

そんな萩原さんだが「冷したぬき天国」を始めて気付いたことがあるという。

 

 

「本当の意味での経営者になり、ふと振り返ったときに、父親の背中の大きさ、強さに気付いたんです。そもそも父親がいなければ、冷したぬき蕎麦は生まれなかったし、今の僕もいませんでした。堀川は、地域の人たちに長く愛されているお店です。そして今もいろいろ改革しようと動いています。今は堀川へのリスペクト、そして父へのリスペクトの気持ちが大きく、きちんと引き継いでいきたいという気持ちでやっています。」

 

 

③1杯目も100杯目も、魂を込めたそばを提供

紆余曲折を経て、父親の偉大さがわかるようになったという萩原さん。しかし、ただ父親を模倣するわけではなく、味を変え、無添加にこだわった自分だけのオリジナルな冷したぬき蕎麦を試行錯誤しながら生み出している。

 

 

また”岐阜の人たちはセットが好きだから”と用意した、冷したぬき蕎麦とのセットメニューも好調だ。特に鯖寿司とのセットは、毎日仕込んでもほぼ売り切れてしまうという。知人の料理人が作ってくれた鯖寿司がとてもおいしかったので監修してもらったという。店主こだわりの一品だ。

 

 

 

 

 

 

今後、麺類のメニューを増やす予定はないのかと、萩原さんに尋ねてみた。すると竹で割ったように明快な返答がかえってきた。

 

 

「増やす予定はありません。理由は、『冷したぬき蕎麦を岐阜のソウルフードにしたい』という想いがあるからです。飲食業は、観光業にもつながるものだと僕は考えています。冷したぬき蕎麦が、岐阜のソウルフードとして定着するのか、それとも専門店のままで終わってしまうのか。今が正念場だと感じています。ですから、冷したぬき蕎麦専門というコンセプトは崩したくありません。ごちゃごちゃさせたくないんです。僕は自分の冷したぬき蕎麦を「1杯入魂」と表現しています。1杯目も、100杯目も、お客さんに魂のこもった冷したぬき蕎麦を提供する。頑固になりすぎてもいけないとは思いますが、その1杯へのこだわりは守り抜きたいと考えています。」

 

 

一つのことをとことん突き詰めていく、萩原さんの職人魂を感じさせる。

 

 

④座右の銘は「Live FREE DIE STONG」

岐阜市に「冷したぬき天国」がオープンしたのは2021年4月。新型コロナウイルスが猛威をふるい、収束が見えなかった時期だ。当時は閉店している飲食店もたくさんあった。不安はなかったのだろうか? その疑問をぶつけてみた。

 

 

「不安は全くありませんでした。コロナ禍でも営業し、流行っていた店は日本中にたくさんあります。やらない理由を探し出したらキリがありません。逆にどれだけ時期が良くても、条件が良くても、やる気が無ければやりません。自分が今だ、これをやりたい!と直感しているなら、コロナ禍なんて関係なく、自分の気持ちを大事にしたいと思ったんです。」

 

 

そんな萩原さんだが、実はアーティストとしての一面も持っている。個展を開催し、賞も受賞しているのだ。美術を専門的に学んだわけではなく、独学だという。

 

 

「今のお店を始める前、体調を崩していた時期に活動を始めました。自分が楽しいと思えるものであれば、何でもよかったんです。ファッションとかも好きですし。絵に関しては、紙と鉛筆でできる手軽さが良いと考えました。描き始めたら時間を忘れるほどハマり、ワクワク楽しくて夢中になれたんです。あ、これだ!と思ったんです。やるからにはただの趣味で終わらせたくなくて、絵で全く新しいチャレンジと自分の中にずっとあった冷したぬき蕎麦でチャレンジがしたかったんです。」

 

 

一度やると決めたら、とことんやり抜く。昔からそういう性格だったのだろうか?

 

 

「元々そういう性格だったかはわかりません。ただ、昔の自分は、ずっと右に行ったり左に行ったりを繰り返していました。もうその頃には戻りたくないですね。これだと決めた以上は、目指したところまで行ってみたい、可能性を信じて飛び込んでいきたいです。」

 

 

長い紆余曲折の期間があったからこそ、強い信念を手に入れたというわけだ。

 

 

萩原さんの座右の銘は”Live FREE DIE STONG”である。直訳すると”自由に生きて、強く死ぬ”。つまり、最期のときまで強く自由に生きるという決意を示している。これはコム・デ・ギャルソンのライダースジャケットの裏に書かれてある言葉である。ファッションが好きだという、萩原さんらしいチョイスだ。

 

 

「本当の自由を手に入れるには、強さが必要です。そして決して楽ではありません。”楽しい”と”楽(らく)”はイコールではなく、むしろ厳しさを伴うものです。誰かにやらされることは、自分で考えなくてすむから楽です。でも悶々としてしまう。自分で決めたことであれば、厳しくても楽しいし、悶々と悩む暇もないし、そこには自由があると考えています。強く生きること、それが自由につながる。自分はそう解釈しています。」

 

 

⑤いつかは世界へ、そして地域に愛されるお店へ

さまざまな挑戦を続ける萩原さん。2023年には”ひやてんLABO”として東京にも出店した。当初は2023年6月末までの予定だったが、好評だったため、2023年12月まで延長している。さらに2024年以降もさまざまな構想があるという。

 

 

「初めて東京の”つかんと”というお店でイベントをさせてもらった時は本当に心が震えて、たぬき蕎麦の可能性をどこまでも試してみたいと思いました。イベントを色々とやらせてもらう中で最高の仲間と出会い、たぬき蕎麦の可能性をどこまでも広げようと別会社を作りました。そちらでは、多種多様なたぬき蕎麦を展開しています。最初は抵抗感があったけど、それだと可能性は広がらないですからね。「ひやてんLABO」では、とことん色々なたぬき蕎麦を作り出して行きたいです。イベントやフランチャイズを通じて、もっと可能性を広げたい、いずれは世界にもチャレンジしたい。」

 

 

そう言って萩原さんは目を輝かせる。しかし”冷したぬき蕎麦を岐阜のソウルフードにする”という根本の想いは、ずっと変わらない。

 

 

 

 

 

 

「実は僕、元々岐阜にあまり興味がなかったんです。何とも思っていませんでした。岐阜県って正直に言って、関東なのか、関西なのかよくわからないって言われますよね。何もないともよく言われていますし。あと、岐阜市って旅行でも素通りされてしまうんですよね。旅行客は皆、高山とか、奥飛騨に行ってしまいますから。でも今は、冷したぬき蕎麦を食べてもらってから、岐阜を観光してもらいたいと考えています。僕は、飲食業には街を盛り上げる力があると信じています。飲食店の無い街は、やはりどこか寂しいですよね。今、自分にできることは、冷したぬき蕎麦に集中することです。恩返ししたいと気負うより、できることに120%の力を注ぎ、良いものを作り続けていれば、自ずと岐阜への貢献につながるのではないかと考えています。」

 

 

最後に、萩原さんは「ぜひ地域の人にも食べに来てほしい」と語った。

 

 

「今は話題の店として、県外からも多くのお客様に来ていただいています。それはめちゃくちゃありがたいです。でも僕は地域に愛されてなんぼだと考えています。最近では、年配のお客様が増えてきて嬉しいです。山に登った帰りに来たと声を掛けてくれたり、常連さんが増えてきたり。これからも「冷したぬき天国」をもっと地域のお店として根付かせていきたいです。」

 

 

「冷したぬき天国」「ひやてんLABO」「めん処堀川」そしてアーティストと、何足ものわらじを格好良く履きこなす萩原さん。さらにプライベートでは2児の父親という一面も持っている。多忙を極める萩原さんだが、その合間を縫って、今回のインタビューを受けていただいた。これから寒くなってくるが、冷したぬき蕎麦は冬でもおいしいともっぱらの評判だ。ぜひ萩原さんの「生きざま」を味わいに行ってみてはどうだろうか。

 

 

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