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岐阜県多治見市観光大使「文字職人・杉浦誠司」を訪ねてみた。

岐阜県多治見市観光大使「文字職人・杉浦誠司」を訪ねてみた。
TOM
TOM
もじもじ・・・もじもじ・・・
SARA
SARA
なんかもじもじしてるけど・・・どうしたの?
TOM
TOM
・・・俺、文字職人になる!!!
SARA
SARA
影響受けやすいタイプのクマなのね。
この記事は約32分で読めます。
今回のツムギポイント
  • 決められたレール
  • 強み -家電量販店時代-
  • 教育 -塾講師時代-
  • 管理 -ドラッグストア時代-
  • 転機 -保険屋時代-
  • 恩師との出会い
  • 夢・ありがとう誕生の瞬間
  • させていただく
  • 多治見市観光大使任命秘話
  • アナザーストーリー -女房との出会い-
  • アナザーストーリー -応援する側-
  • 親父への恩返し
  • 未来へ
  • 大切な人から

 

日本一暑い街、岐阜県多治見市。
毎年、最高気温が40度を超え、近年ニュースにも取り上げられる為、全国的に有名になった街だ。
そんな日本一暑い街に、熱い男「文字職人・杉浦誠司」がいることをご存知だろうか。

 

今回登場する、杉浦誠司さんは、岐阜県多治見市観光大使であり、精力的に多治見市を盛り上げる人物の一人だ。
また、「夢・ありがとう」の作品の生みの親であり、文字職人という現代に存在しない職業を作り、文字を書くことを生業としている。

 

「どうして観光大使になったのか」
「どうして文字職人という道を歩んだのか」

 

そんな「杉浦誠司」という、一人の熱い男が生まれたルーツと「夢・ありがとう」の誕生秘話を取材してみた。

 

 

誠司は、肩書きこそ「職人」だが、対峙するとその魅力的な「人柄」に引き込まれる。
愛嬌があり、笑顔が素敵なお調子者。という印象を持つ方も多いだろう。
周りを明るく照らす「太陽のような人」という言葉がとても似合う人だ。
そこには「職人」にありがちな「頑固さ」は微塵も感じない。

 

「平凡なのがコンプレックスだった。若い内の苦労は買ってでもした。」

 

と笑いながら話す。
若い時に買ってでもしてきた苦労が、今の自分に勇気や希望を与えてくれているという。

 

①決められたレール

 

誠司は、大学では法律を専攻していた。というよりも、法学部しか受験させてもらえなかった。
それは、幼少期から「大きくなったら警察官になる」ことが当たり前の家庭環境で育ったため、必然的な人生の選択であった。
なぜならば、親族の家系がみんな警察官の家系だったからだ。
父親の兄弟も、母親の兄弟も全てが警察官だったこともあり、「息子を警察官にすること」が父親の夢でもあった。

 

本人の意思とは関係なく、父親の夢に答えるために選んだ道であったため、当然興味のない勉強に打ち込めるはずもない。

 

大学にはほとんど行っていない。単位に必要な出席も代弁してもらうこともしばしばあった。
親の夢を叶えるための、警察官になる手段である法学部卒という「肩書き」がほしかっただけだった。

 

勿論、誠司が警察官を目指すのを嫌になったのには理由がある。
誠司は大学時代に、色々なアルバイトを経験した。
ファーストフード店、ガソリンスタンド、イベント運営、派遣会社・・・
結果、色々なバイトをした際に、誠司が思った事は

 

「アルバイトってむちゃくちゃ楽しいやん!」
ということだった。

 

バイト先で仲間ができること。
仕事を通じていろんな技術が身につく事。
お客様との出会いがあること。
そんな時、誠司はふと思う。

 

「なぜ警察官に俺はなろうとしているんだろう・・・」

正直な気持ちだった。

 

「一生警察官になる道でよいのか?」と、急に不安な気持ちが押し寄せてきた。
誠司はそんな疑問を抱きながら、両親に思いの丈を正直にぶつけた。

 

「俺、実は警察官になりたくないんや・・・。お父さんに決められた道は歩きたくない。自分の夢は自分で見つけたいんや!」人生で初めて、父親に歯向かった瞬間だった。

 

「・・・好きにしろ。出ていけ。」

 

父親から発せられた言葉は、予想通りの言葉だった。
自分で言ってしまった手前、引くに引けなかった誠司は初めて家出をすることに決意した。

 

当時大学生だった誠司は家出をして、当時の彼女の家に転がり込んだ。
彼女の紐状態になり、ぐうたらする毎日。金もなければ、夢もなかった。

 

そんなある日、携帯に一本の電話が入る。

 

「お父さんも許しているから、いい加減帰ってきなさい。」
母親からの電話だった。

 

父さんが許してくれているのかと、安堵した誠司は、渋々実家に帰ることにした。
しかし、実家に帰り玄関を開けると待っていたのは、仁王立ちで待つ父親。

 

「・・・話が違うじゃないか。めっちゃ怒ってるやん・・・。」

 

恐る恐る自宅に入るやいなや、すぐさま家族会議が行われた。

 

「お前はもう警察官にならんくていい。」
父親の第一声がその言葉だった。

 

続けて父親は言った。

「お前の夢は結局なんなんだ?やりたい夢は見つかったのか?」

 

まだ夢が見つかっていなかった誠司にはすぐに答える適当な言葉が見つからなかった。

 

そんな時、突発的に出た言葉が
「今はないけど、明日ここに夢を持ってくる!」
という、その場しのぎの嘘だった。

 

誠司の父親は厳格で、当時から曲がった事が嫌いでとても怖かったという。
そんな、父親に約束したからには何がなんでも「夢」を持っていかないと、ぼこぼこに殴られる。

 

「夢がないと、ぼこぼこにされる・・・。」他人から見るとかなりシュールな状況ではあるが、誠司はその時、気が気でなかった。

 

夢って誰に聞いたらわかるの?
そもそも、夢って持っていけるの?

 

ネットがまだ普及していない時代だった為、調べることも容易でなかった。

 

とにかく夢を見つけなきゃ!
そんな誠司が四苦八苦していると、新聞の中に一枚の折り込みチラシを見つけた。

 

「・・・こ、これだ!」

 

誠司が見つけたチラシには、こう書かれていた。

 

「あなたの夢ここにあります!」

 

ゆ、夢、ここにあんのかーい!

 

夢を探していたら、「夢ここにあります。」のチラシ。
嘘のような奇跡が起きた。

 

父親に怒られたくない一心で、とにかく夢になりそうなものを探していた誠司には
そのチラシが、その場をしのぐ為ではあるが、最善の救いの手に思えた。

 

ちなみにそのチラシはの内容はというと「家電量販店」の求人募集であった。

 

次の日、約束通り「夢」を見つけた誠司は、父親に恐る恐るチラシを持って行った。

 

「父さん!俺、夢見つけたぞ!これが俺の夢だ!」

 

「・・・わかった、それをやるんだな。」
チラシを見せた父親の反応は意外だった。

 

父親の「無関心」という対応は、誠司にとって、一番ショックな反応だった。
もっと興味を持って欲しかったし、色々聞いて欲しかったからとても寂しかったのだ。

 

「父さん!ちゃんと夢持ってきたじゃないか!必死に探して持ってきたじゃないか!」

 

「うるさいな。それがお前の夢なんだろ。しっかりやれよ!」

 

その父親の反応が、逆に誠司に火を付けた。

 

絶対に家電量販店でNo.1になって、親父を見返してやる!
そんな気持ちになった。
さっき見つけたばかりのやりたくもない夢であったが、親への反抗心が勝り、更に自分の首を絞める結果となった。

 

大学卒業後、家電量販店が誠司の初めての就職先となった。
幼少からの警察官になるという夢は、その時点ではもうなくなっていた。

 

②強みとは -家電量販店時代-

 

「あなたの夢ここにあります!」
という謳い文句だった家電量販店には勿論「夢を叶えるシステム」があった。

 

固定給は低いが、ほぼ歩合給というシステムだ。売ったら売った分だけお金が稼げる。
実績が全てであり、性別も過去の経歴も全く関係ない。
結論からいうと、誠司は約一年で店舗のNo.1の売り上げを作るまでの営業マンに成長する。

 

三ヶ月は研修期間であったため、誠司はその期間で何がなんでもNo.1になるための方法を考えた。
必死に考えた結果、「No.1のマネをすればいい!」というシンプルな答えが誠司の中ではじき出された。

 

そこから誠司がやったことは、当時店舗のNo.1の営業マンであった前川さんに徹底的にくっついて仕事を覚えることだった。

 

先輩はこういう時にこういうことをするんや!
こういうお客さんにはこういう風に対応すればいいんや!

 

会話・癖・立ち振る舞い、No.1に近づきたい一心で色んな手法を盗んだ。

 

ただ、誠司が同じことをしても中々結果には繋がらなかった。

 

No.1と同じことをしても売れない・・・
誠司は前川さんに素直に聞いた。

 

「先輩と同じことやっても全然売れないんです・・・」

 

先輩はこう答えた。

 

「お前は大事なことがわかってない。お前がやっていることは俺のコピーにすぎないんだよ。お前には心や感情がないからお客様の心を動かすことはできないよ。お前の想いや言葉で伝えないと売れるわけがないだろ。お客様をなめんじゃねえよ。」

 

誠司には衝撃だった。

 

「お前の武器はなんだ?魅力はなんだ?長所はなんだ?それをパッと答えれるようになったら、テクニックなんてなくても売れるんだよ。自分が自信があることを考えろ。それがあれば、どんな仕事もうまくいくよ!」

 

その日、誠司は今まで考えたことのなかった「自分の武器」というものを、人生で初めて真剣に考えた。
平凡に育ったことがコンプレックスだった誠司は自分なりに真剣に考えたものの、中々答えが見出せなかった。

 

劣等感しかなかった自分自身の過去から、自分の武器は「容易」に見つけれるものではない。
考え出してから、数時間が経過したその時、時計を見て誠司はハッと気づいた。

 

「・・・こんなに自分のことを数時間も没頭して考えるやつはそうおらんぞ!俺の武器は「一生懸命」なことや!」

 

俺にも武器があったと、初めて誠司は自分に自信を持った。

 

「・・・ただ、一生懸命っていう武器はどう使うんや・・・」

 

誠司は当時から意外と抜けている所があった。
誠司は今の自分に一生懸命なにができるかを考え始めた。

 

・・・そうだ!挨拶や!挨拶なら誰にも負けへん!

 

結果、挨拶を一生懸命するという武器を誠司は見つけたのだった。

 

次の日、店頭に立った誠司は今まで前川さんに教わってきたテクニックは忘れて
ただひたすらに大きな声で挨拶をした。

 

いらっしゃいませ!
ありがとうございました!
またお越し下さいませ!

 

すると、今まで売れなかったことが嘘のように、商品が飛ぶように売れるようになった。

 

「ちょっとおにいさんいい?」
「ちょっとこれちょうだい!」

 

元気の良い挨拶が、人の心を掴んだのだ。
今まで振り向いてくれなかったお客様が、次第に自分から寄ってくるようになった。

 

「お客様、なぜ僕から買ってくれるんですか?」

 

誠司はお客様に率直に質問してみた。

 

「正直、家電屋はいくら負けてくれるかが大事。でも、あんたみたいに一生懸命挨拶してる姿を見たら、あんたから買うしかない。
それはあんたが一生懸命やっているからだよ。」

 

一生懸命って人の心を動かすんや!
誠司の中で「一生懸命」という言葉が腹落ちした瞬間だった。

 

その後も、お客様がお客様を呼び、どんどん売り上げが伸びていった。

 

気づいたら、店舗での売り上げがNo.1になっていた。

 

お前はどういう人間かということ、何が強みか、内なる強みをはっきりさせろ。

 

当時の上司に言われた教えは、今でも誠司の中でとても大切な財産だ。
誠司は、この家電量販店時代に「一生懸命」が自分の武器ということを学んだ。

 

今でも、前川さんとはお付き合いがあるという。
今なお誠司は前川さんにとても感謝している。

 

③教育とは -塾講師時代-

 

家電量販店時代、No.1まで上り詰めた誠司に芽生えた感情は「退屈」という二文字だった。

 

仲間もできた。
給料もよかった。
何の不自由もない。

 

ただ、退屈だったのだ。

 

それは、No.1になって見えた景色が誠司の理想とは異なっていたからだ。
夢もつかめない。親にも認めてもらえない。
そんな理想と現実のギャップに違和感を感じていた。

 

こんなうまくいってるのに退屈なのは「何のため」がないからだと気づいた。

 

「何のため」がないから、やる気がなくなってしまっていたのだ。
やりきった感が出てしまった誠司は、今の仕事に未来が見えなくなってしまっていた。

 

そんな折、誠司は異例の売り上げを伸ばしたことが認められ、
人材の「教育」をしてみないか?と新たな業務を任されようとしていた。

 

ただその時、仕事を退屈を感じていた誠司には何も響かなかった。

 

僕に人様を教育する技量はない。

 

結果、その仕事ができないというのを口実に誠司は家電量販店の退職を決意した。

 

「また逃げてしまった・・・」

 

そんな思いが誠司の心を駆け巡っていた。

 

ただ、その時誠司の中で当時の上司から言われた「教育」という言葉が妙に引っかかっていた。
ぶらぶらする中で「教育」という言葉だけが頭から離れない。

 

教育ってなんだろう?」

 

誠司の中で次第に「教育」に興味が湧いてきていた。

 

その答えを探るべく、教育について調べていた時に、
偶然「塾の講師」という仕事にたどり着いた。

 

それが、誠司の人生の中で2回目の就職となる。24歳の時だった。

 

塾の講師として、就職した誠司は中学生のクラスの担任を任された。
当時からよく喋る誠司は、子供たちにもすぐ打ち解け、瞬く間に人気者になった。
思春期の子供たちには、誠司の話はとても魅力的だったのだ。

 

仕事の武勇伝。
女の口説き方。
深層心理や言葉の話術。

 

今まで経験してきた話を披露すると、子供たちはとても盛り上がり喜んだ。
勉強よりも子供たちが夢中になるのはこういう話だと気づいた誠司は

 

「よーし!この時間までにこの課題を終わらせたら、俺が面白い話をしてやる!」

 

子供たちの心理をうまくついて、勉強するモチベーションをあげようとしたのだ。
そうすると、思った以上に子供たちは誠司の話が聞きたいという一心で勝手に力を合わせ始めた。

 

当時、誠司は子供達に勉強はあまり教えなかったという。
だが、クラスの成績はあがり、志望校に合格する生徒が続出した。
教育」とは何かを見つけた瞬間だった。

 

誠司にとって、教育の答えとは「導き」だという。

 

その子の中に答えはある。その子たちの中にある、その答えを導いてあげること。
あれしなさい、これしなさいという、おしつけではない。
こっちの都合での欲が伝わると伸びていかない。

 

当時の誠司の中で「教育」の答えが出た結果、塾の教師に魅力がなくなり、やりきってしまったと、また「退屈」になってしまった瞬間でもあった。

 

④管理とは -ドラッグストア時代-

 

塾の講師で「教育」はこういうことと学んだ。

 

この学んだ自分なりの「教育」を次の仕事に活かしたい。
次のステージを考えた誠司は「管理職」という言葉に魅力を感じていた。

 

当時、管理職を探してたまたま見つけた仕事が「ドラッグストア」の店長候補募集だった。
もちろん薬剤には興味もなく、資格もない。

 

ただ、その当時、誠司の仕事へのモチベーションは「当時の彼女との結婚」であった。

 

結婚するのに、無職というのは相手からすると不安で仕方ないと察していた誠司は
一刻も早く仕事を見つけようと奔走していた。

 

その時、偶然目に飛び込んできたのがドラッグストアの店長候補募集だったのだ。

 

「店長になった暁には結婚してくれ」

 

そんな想いを彼女にぶつけていた誠司は、自分にプレッシャーをかけて早く店長になるべく仕事に臨もうとしていた。

 

ただ、店長になるためには通常2年かかるのが誠司にはネックに感じていた。

 

そんなに長く待っていられない。
何がなんでもすぐになってやる。
そんな気持ちだった。

 

誠司にとって3回目の就職となるのが、地元密着の大型ドラッグストアであった。
しかし、店内の雰囲気は最悪、売上もお粗末、今にも潰れそうな店だった。

 

ただ、ラッキーだったのは当時の店長ポストが「空席になる」ということだった。
店長ポストがあけば、自分が店長になれる可能性が高くなる。
願っても無い状況だった。

 

「今の店長の代わりに誰を採用しよう」そんな話が突然出た時に、候補に挙がったのが誠司だった。

 

「やる気がある。負けん気が強い。あいつは仕事にかける情熱はすごいぞ!」

 

当時のカンパニー長にえらく気に入られていた誠司は瞬く間に、店長の座を獲得した。
カンパニー長とは当時のスーパーバイザーの上をいく責任者のことである。

 

「杉浦、店長をやってみないか?」

 

もちろん二つ返事でやると答えた。
誠司は、入社半年で異例の店長となった。

 

お店の空気が悪い!パート同士の仲が悪い。ギスギスしている。

 

店長になった誠司は、入社してから、ずっと思っていたことをすぐに解決しようと考えた。
俺の使命は、まずお店の空気を変えることだ!誠司はそう意気込んでいた。

 

店長に就任して最初の挨拶の時、誠司はこう言った

 

「俺はみなさんに謝らなくちゃいけない。実は、半年しかキャリアはないんです。みなさんに教えてもらわないと僕はなにもできません。みなさんの力を是非貸してください。仕事は楽しくやりましょう!仕事は遊びです!」

 

「・・・」

 

誠司が良かれと思って言った言葉は、空気の悪いスタッフ達には逆効果だった。

 

そして、一番恐れていたことが起きた。
パートの中でも重鎮として君臨していた、お局さんの逆鱗に触れたのだ。いわゆる、ブチギレである。

 

「何が仕事は遊びだ!なめてんのか!こんな店長についていけるわけないじゃない!」

 

実は、そのお局さんが空気を悪くしていた元凶であった。

 

その人が右といえば右という位、実はドラッグストアは完全なる独立国家だったのだ。
店長になって、初めて管理する側の厳しさや、難しさを感じた瞬間だった。

 

それからというもの、誠司が職場に行く足取りは重かった。
あんなに店長や、管理職に憧れていたのに・・・
全然つまらんやないか・・・

 

初対面で嫌われてしまったけど、どうしたらお局さんは変わってくれるかな。
そんな状況が誠司にとって、すごくストレスだった。

 

そんな時、誠司に一つの答えが見つかった。

 

「人を変えるのは難しいかもしれない。でも自分は変えられる。自分が今できることを精一杯やるしかない。昔もいろんな困難を乗り越えてきたじゃないか、一生懸命またやってみよう。」

 

誠司は家電量販店時代の、当時の武器を思い出した。
挨拶をもう一回しっかりやろう!

 

次の日、誠司は元気よく挨拶をすることから始めた。

 

「いらっしゃいませー!」
閑散としたドラッグストアに大きな元気な声が響き渡る。

 

ただ、場所が悪かった。

 

頭痛薬を買いに来ているお客様からすれば

「お前、頭いたいんじゃこっちは!」

 

アカン!家電屋とはノリが違う!お客さんに大きな声はだめだ!そう気づいた。

 

よくよく考えれば分かるはずだが、繰り返すが誠司はそういうところが意外と抜けていた。

 

次に、誠司が考えたのは「商品補充」だった。
普通はパートの仕事だったが、自分にできることはこれしかない。自分がまずは背中を見せよう!という気持ちで働いた。

 

店長職なんて後回しだ!みんなと同じことやろう!現場主義だ!そんな気持ちだった。

 

そんなことをあくせくやること半年間、

「店長、手伝おうか?」

今まで見向きもしなかった、お局さんが声をかけてくれた。正直、嬉しかった。

 

今だ!この瞬間がチャンスと感じた誠司は、気に入られようと全力で媚を売った。

 

「あなたのおかげで今のお店があります。あなたがいないとこの店はあかへんわ!」

 

人に好かれたり、可愛がってもらわないと仕事はうまくいかない。
可愛がってもらったからこそ、言いやすい関係ができる。

 

誠司はこれはチャンスと一気に歩み寄っていった。
誠司がお局さんと打ち解けた瞬間だった。

 

「あなたは、影響力が強いから、みんな怖がっちゃうんですよ〜。力がありすぎるから。もっとみんなに優しくしてあげてよ〜。」

 

誠司がお局さんと良好な関係を築いたことで、今まで悪かったお店の空気が嘘のように良くなっていった。
お店が良くなる兆しが見えてきた瞬間だった。

 

人間関係が良好になったことで、お店はどんどん良くなっていった。
良い人の関係は、良い流れを呼び、どんどんお店の売上げも伸びていった。

 

誠司がコツコツと動いてきたものが実った瞬間だった。

 

また、こんなエピソードもある。
毎朝早い時間に介護用品を買いに来るお爺さんがいた。
誠司が何気なく話しかけた。

 

「いつもありがとうございます。ポイントカードはお持ちですか?ポイントでお買い物がお得になりますよ!」
お爺さんは快くポイントカードを作ってくれた。

 

その時、ポイントカードを記入してもらってわかったことがあった。
名前と住所だ。

「小林さん!いつも、こんな遠くからきてくれてるんですか?」

 

小林さんというお名前のお爺さんは、ドラッグストアから遠く離れた場所から、毎日徒歩でわざわざ来ていたのである。

「わしゃな、病気になって健康管理のために、このドラッグストアを目標にしてウォーキングをしていたんじゃ。」

それから毎日来る度に誠司は積極的に声をかけた。

 

「小林さん!今日もこんな遠くまで!」
「小林さん!今日もきてくれたんや!」

 

そんな何気ない会話をしていて誠司は閃いた。
スタッフとのミーティングの時、誠司は皆にこう呼びかけた。

 

「ポイントカードを勧めてもらっていいですか?」

 

「・・・店長、今頃何を言ってるんですか。決まりで昔からポイントカードをお客様に勧めてますよ。」

 

「・・・そうですよね。でもそれが何のためにやっているかわかりますか?」

 

「え?金券に変わるとか、商品に変わる、お客様にとってプラスだからですよね?」

 

「・・・実は私たちにも魅力があるんです!名前がわかるんですよ!

 

誠司は小林さんというお爺さんとの話をスタッフに熱弁した。
名前を覚えてお客様と店員という垣根を超えたことをみんなにも共有したかったらだ。
「地域密着だからこそ、地域の方と深く関わりあいませんか?」とみんなに働きかけたのだ。

 

「店長いいこというじゃない。それ、やりましょうよ!」
あのお局さんが、声をあげた。

おもむろに店内の化粧品のポスターをはずし、裏にマジックでこう書き始めた。

 

お名前呼びキャンペーン!
「どれだけのお客様のお名前を覚えたのか、みんなで競いましょう!」

 

このキャンペーンの甲斐もあって、さらに店は良くなっていった。
「鈴木さん、いらっしゃいませ!」
「渡辺さん、いつもありがとうございます!」
「加藤さん、またお越しください!」

 

名前で呼びあう素敵なお店へと変わっていった。

 

このドラッグストアにくれば元気が出る!と話題になり、お店は大繁盛店へと変貌を遂げた。
そこに潰れそうな面影はなかった。

当時、25人ほどの店舗だったドラッグストアで誠司が学んだことは

スタッフのやりたいことを形にしていっただけ」だとという。

 

FC(フランチャイズ)だったから、本部の指示で陳列とかの規制も勿論あった。
ただ、スタッフのの想いを汲み取ることを第一優先にして働きかけていた。
当時、とにかく店の中で出来ることは色々なことやった。
店内で、栄養ドリンクを子供用のプールで冷やしてプレゼントしたり、店内ですいか割りをやったり。
ありとあらゆることを試した。
当時ドラッグストアの仕事から学んだことそれは

 

みんなのお店にするために、その場で働く人を大事にすること。

 

塾の講師として得たものが、実践できたと話す。

 

楽しんでいると結果がでる。

 

みんながやりたいことをやれば、いい店になるという答えが立証されたのである。
ドラッグストアには一年ほど勤務した。

 

街を歩いていると、お局さんは今尚「店長〜♪」と声をかけてくれる。
とても仲が良い関係だという。

 

※冒頭でお話しした、当時の彼女とのエピソードは
【アナザーストーリー -女房との出会い-】でお話しをしています。そちらも引き続きご覧下さい。

 

⑤転機 -保険屋時代-

 

順風満帆に見えていたドラッグストアの店長職だったが、誠司にとってある転機が訪れる。
勤めて一年経った頃、保険会社から引き抜きの話がきたのだ。

 

当時、業界でささやかれていたのは、「コンビニの進出による薬局の衰退化」だった。
コンビニで薬が売られる。コンビニで栄養剤が売られる。
それに伴い、業界では「優秀な人材」の引き抜きの話がちらほらあったという。

 

そんな時、誠司をヘッドハンティングした人から、保険についてしっかり話を聞いたことがきっかけで「保険」というものの価値を知ることになる。
保険というのものに興味はないと思っていたが、保険業界が弱体化していることに誠司は奮起する。

 

人の命や、人の人生を預かる。この業界を変えてやる!

 

だが人生で4度目の就職である保険屋では、一年経ってもまるで結果が出なかった。

 

「保険の話聞いてよ〜」という、言葉に消費者からすると「売られる」という感性が強く働く業界なのは言うまでもない。
話をすることもままならず、門前払い。
なかなか難しいと肌で感じていた。
そんな、状況を助けてくれたのが、もっちゃんだった。
もっちゃん本名:竹内元章(たけうちもとあき)さんは、誠司との古くから付き合いのある大親友の一人であった。

 

「もっちゃん、どうも保険が全然売れへんのよ。
なんで売れないのかわからんから、アドバイスだけでもいいから、俺の話を聞いてくれんか?」

 

誠司はもっちゃんに、自分が取り扱う保険の商品のことを一から十まで話した。
もっちゃんはその話を聞いてこう言った。
「何でみんなこんないい話は聞こうとせんのや!みんなに俺から言ったるわ!」

 

「誠ちゃんの話くらい聞いたれや!」と今まで断っていた人に掛け合ってくれたのだ。
もっちゃんの声かけのお陰で紹介の輪が広がり、保険に入ってもらう人が一気に増えていった。
二年目にして、思った以上の成果が出てきた瞬間だった。

 

今まで手にしたことのないほどの大金を手に入れた。
最初はこのお金を大事にしなきゃあかんと考えていた。
しかし、欲にまみれていった誠司は、次第に欲の渦へと引き込まれていくことになる。

 

一度、生活水準があがってしまった誠司を待ち受けていたのは、この水準を守るために保険をもっと売らなきゃという打算的な思考だった。
お金持ちの人に会うには、高級なものに身を包まないと・・・
お金持ちの人にアプローチしないとこのステータスを維持出来ない。

 

身の丈を考えずに、一着数十万のブランド物のスーツに身を纏った。
高級車に乗って格好もつけた。
価値もわからないのに、メッキで自分を塗り固めたのだった。
当然、無理をして作ったステータスは、自分を苦しめる結果となる。

 

その後、結果が良かったこともあり、独立して自分で会社も起こした。
だが、欲で作った会社が長く続く訳も無い。

 

思うように、動かない人。結果が残らない人。
焦りと不安に苛まれた感情を人にあたり散らかしていた。
今まで積み上げてきた、「仕事の楽しさ」はそこにはなかった。
これまで学んできたことは一切活かされていなかった。
その結果、
お前と仕事したくないと、人が離れた。
人が離れて、会社もなくなった。
会社がなくなって、仕事もなくなった。

 

手元に借金だけが残った。

 

⑥恩師との出会い

 

話は前後するが、誠司が保険屋に勤めているころ、ある営業会社の営業マンがきていた。

 

売れない人が売れるようになるセミナー」の営業だった。
その研修は2,3日の講義で50万円という当時のセミナーの中でも高額なものであった。

 

当時、まだ保険屋として成果が出ていない誠司には、その話を断ることしかできなかった。
「魅力的な話ですが、今はお金がないから無理ですわ。食うのもやっとなのに難しいですわ。」
これだから無理、あれだから無理。という御託を並べて断ろうとしていた。
誠司のその言葉に対しその営業マンが急に怒り出した。
「杉浦さん、うちで研修受けなくていいっすわ。その代わり、あれだから無理これだから無理ってできない理由をばっかいいなさんな!」

 

驚きだった。
「杉浦さん、中村文昭(なかむらふみあき)って人しってる?
ご縁がないっていうけど、小銭ばら撒いてでも、縁をつかむやり方なんていくらでもあるんだよ!中村文昭さんの本を読んだ方がいいよ!」
誠司はハッとした。
すぐに本屋に行った。

 

中村文昭さん著書「人のご縁ででっかく生きろ」
当時、出たばかりの新刊だった。
すぐに本を買って読んだ。
体中に電気が走った。衝撃だった。
こんな風になりたい!心からそう思った瞬間だった。
それから中村文昭さんの講演会に行き、距離を詰めていった。
今尚、誠司の大恩人となる人物との出会いである。
中村文昭さんとの出会いで、考え方が180度変わったと誠司は言う。
本当に大切なものを気づかせてもらった。
誠司は漢字の語源をよく話す。

 

”幸せ”という文字には【師合わせ】という表現もあるそうだ。
自分にとって、師匠といえる存在に出会えたこと、それが誠司にとっての幸せのひとつの形なのかもしれない。

 

⑦夢・ありがとう誕生の瞬間

 

保険会社を起業して、うまくいかず、会社を畳んだあと、手元に借金だけが残った。

 

お前は感謝しとらんからや。

 

当時、中村文昭さんに言われた一言だ。
「そんなことないです。人からいただいたらお返ししています。感謝はしてます。」

 

誠司は自信たっぷりにそう答えた。
「杉、気付かんのか?お前がやっているのは、感謝ではない。お礼や。人からしてもらってありがとう?人からやってもらっているものに返すことはお礼や。知らんとこで誰かが支えてくれてたんとちゃうんか。お前は見えるとこばっかや。見えんとこに手を合わせたことあるんか?当たり前に心臓が動いていることに手を合わせてたことあるんか?それを奇跡と思わんのか?生きてることに手をあわせたことあるんか?それを感謝というんやぞ。いま、苦難や逆境を乗り越えたら成長できるやろ?その苦難や逆境に手をあわせたことあるか?」

感謝が当然出来ていると思った、自分が恥ずかしかった。
己の未熟さを恥じた。自分の小ささを感じた。

 

誠司の頭の中には今でも中村文昭さんのこの言葉がずっとリフレインしているという。

お前の感謝は都合いいんじゃ。大切な人と出会えたなら、ご縁といい、どうでもいい人と出会ったらそのご縁を憎むやろ?お前の都合の良いご縁に感謝してんじゃねえよ。」

 

誠司はその時、今まで生きてきたことをずっと考えていた。今俺に起きていることは、何かの「メッセージ」だ。

これは何を俺におしえてくれてるんやろう。

そういうことに気づけていない自分があかんのや。

 

ずっと探し求めていた「夢」・・・。

俺の夢は一生手に入らんやろな・・・。

だって、今まで感謝したことがないから、一生見つからんはずや・・・。

誰かの為にがないからあかんのや・・・。

ありがとうの気持ちがたりんのや・・・。

俺の「夢」には「ありがとう」が足りんのや・・・。

ありがとうの気持ちが足りなかったゆえに

夢にありがとうを重ねていった結果・・・

 

 

 

「夢・ありがとう」の文字が生まれた瞬間だった。

 

自分の夢に感謝をすることで生まれたのがこの作品だったのだ。

杉浦誠司、30歳の時だった。

 

⑧させていただく

 

誠司は月に2回まで全国の小中学校を対象に無料で講演依頼のオファーを受けている。
それは、無料でもいいから「子供に伝えたいことがある。」からだ。

 

幼少期から、ずっと自分自身が劣等感の塊だった。
警察官にならないといけない思い込みの中で人生を過ごしてきた。
誰にでも可能性ある」そんなエピソードを若者に伝えたいからだ。

 

これからの時代、多くの仕事がこの世からなくなると言われている。
自分のように、自分自身で仕事を切り開く人を増やすことが使命だという。

 

おもしろい仕事をできる人たちをいっぱい作っていくことや
あなたじゃなきゃできないことがある」ということを毎月子供達に伝えている。

 

誠司は、復興や支援にも力を入れている。
実は公にはしていないが、北海道・愛媛・熊本などにもチャリティで無料講演を行なっていた。

 

なぜ、そこまで若者や、人のために何かをするんですか?と問うと、誠司はこう答えた。

 

「昔、とても謙虚な爺さんに会ってね。その人の言葉が今でも胸に焼き付いている。」

私なんかできた人間でない。欲の塊だ。
ただ、私は【やらせていただきます】【させていただきます】とよく言うが
いただいているのは、結局私の方だ。
一番大事な部分は私が全部もらっちゃってんだよ。

 

私なんかできた人間でない。
私はいつも「」をもらってるんだよ。
」をもらうことが本当の幸せなんだよ。

 

地位や名誉やお金。それがあることも幸せだが、一番幸せになるのは、徳を積むことだ。
徳を積ませてもらえるのは、「いただいてるとき」だけなんだよね。結局、俺が一番徳してんのよ。
そのお爺さんとの言葉が今もチャリティーを行う誠司の想いの根幹だという。
誠司はこう言う。

 

自分がチャリティーを行う事で、みんなから幸せな気分をあじあわせていただいている。
命が震える体験をさせていただいている。
生きていると感じさせていただいている。
生かさせていただいている。
いただいている」という言葉を重ねる誠司に、謙虚な姿勢がうかがえた。

 

地元の多治見でも募金活動を行い、1日かけて68万という高額の募金を被災地の為に集めたこともあるという。

 

結局、自分が一番徳をつませていただいている」と笑顔で話してくれた。

 

⑨多治見市観光大使任命秘話

 

2006年から文字職人として活動を初めた誠司。

 

2007年には地元で個展を開催し、一躍地元で有名になった。
2008年には出版社が来て本も出版している。

 

多治見市観光大使になるのは、2010年のことである。
それもまた人の「ご縁」であった。
多治見市に、吉田紀光(よしだのりみつ)という人物がいる。
還暦を迎えた年から、毎年ホノルルマラソンを走っており、現在80歳を超えてもなおスイマーとして名を馳せるとんでもない強者だ。

 

誠司が吉田さんと初めて出会った日

 

「【多治見】で文字を書いてくれんか?」
そう頼まれた。

 

その年、多治見市が日本で一番暑い気温を記録した年だった。
にほんいちあつい」その文字で【多治見】を描いた。

 

出来上がった作品を見せた。

 

 

 

 

「これいいやないか!今から市長のとこもっていくぞ!」

 

「・・・市長?」

実は吉田さんは、市長の唯一無二の親友だったのだ。
そのまま、いきなり市役所に押しかけた。

 

「市長、2,3分時間ちょうだい!」
吉田さんはフランクに話しかけた。

 

誠司はその時ぼろぼろに破れたたジーパン。みすぼらしい格好だった。
市長はそんな事気にせず

 

「いい文字だね!」と褒めてくれたそうだ。
それから、間も無く

 

「多治見市制70周年」と言う節目を迎えるにあたり、【観光大使】を設立する話が挙がった。

 

誰にする・・・
そんな時、偶然市長が飾っていた【多治見】の文字を見て

 

「この文字を書いている子面白いし、この子にしようか!」
偶然なのか、必然なのか・・・。ラッキーだった。
「杉浦さん観光大使にならんか?」

 

勿論二つ返事で了承した。
その頃から、市役所の職員の名刺に誠司の文字が使われ始めた
多治見市の出生届には誠司の文字が使われている
現在も誠司は多治見の観光大使として多治見のために精力的に動いている。

 

そんな奇跡のような、ご縁を引き寄せてくる才能も、誠司の人柄なのかもしれない。

 

岐阜県多治見市観光大使任命されたのは、誠司が34歳の時だった。

 

⑩アナザーストーリー -女房との出会い-

 

ドラッグストアに勤務していた頃、結婚を本気で考えていた女性がいた。
しかし、実はドラッグストアの成功の裏で誠司の恋愛は意外な方向へと進んでいった。

 

プロポーズも終え、新婚旅行の段取りも進めていた。
後は、ドラッグストアの店長になって婚約するだけという状況だった。

 

しかし、当時の彼女の中にあった想い、それは
「いつか警察官になるんでしょ?」という誠司の考えとは、ずれたものだった。
結果、誠司は当時の彼女と婚約を破棄をすることとなる。
それは、当時の彼女と彼女の両親の気持ちが要因だった。
「公務員になってほしい」という、彼女のお母さんの許しが出なかったのだ。

 

職業に負けた・・・。
泣く泣く別れることを決断したが、誠司にはそれをなかなか受け入れる事が出来なかった。
「大好きな彼女」に「大好きな仕事」が原因でふられる理由に納得ができなかったのだ。
誠司は傷心していた気持ちのまま、一人になりたくなかった。
挫けそうだったからだ。

 

そんな時、助けてくれたのがもっちゃんだ。
親友のもっちゃんには当時から全てを打ち明けていた。
「しばらくここに泊めてくれ。」

 

誠司はもっちゃんに当時の彼女とあったこと、言われた事、全てを話した。
もっちゃんは誠司の心中を察し、しばらく誠司を泊めることを快く承諾してくれた。
数日経ったある日、誠司の着替えがなくなり、誠司は実家に着替えを取りに帰った。
その時、ポストに溜まっていた自分宛の手紙もまとめて持ってきた。
もっちゃんの家に戻り、着替えと郵便物を置いた。
しかし、忘れ物をした誠司は、荷物を置いてすぐにまた出て行く。
誠司がまた、もっちゃんの家に戻るともっちゃんは帰ってきていた。
そして、誠司が帰ってくるなり、唐突にこう言った。
「誠ちゃん、みずえさんって知ってるよね?誠ちゃん、みずえさんと会ってくれないかな?」

 

傷心していた、誠司の心を知った上で、なんでそんなことを言うんだ、と誠司は不信に思った。
「もっちゃん、知ってるよね?俺は今、別の女性と会いたくないんだ。今は女信じれんし。誰とも会いたくないんよ。」
もっちゃんはしつこくこう言った。

 

「誠ちゃん、この子には会ってほしいんや。なぜかと言うと・・・先に手紙読んじゃったんだよね。」

 

おい!
もっちゃんにすぐさま全力でツッコんだ。

 

置いておいた郵便をもっちゃんは勝手に見たのだった。
ただ、その手紙の内容を見るとラブレターでもなんでもない。
昔から幼なじみのみずえさんからは、電話番号を変えたから、連絡くれない?というような内容だった。

 

もっちゃんに強く言われたこともあり、誠司はしぶしぶみずえさんと会うことにした。
今、どんな女性と会いたくないこと。
今、どんな女性にも不信なこと。
みずえさんと会うのも躊躇ったこと。

 

全て正直に話した。
「・・・じゃあさ、逆にせいちゃんそのままじゃ忘れられないから、気晴らしに遊びにいこ!そのままじゃずっと苦しいままだよ?」

 

そんな気遣いが嬉しかった。
一緒に時を重ねるにつれて、二人の関係は、恋に発展していった。
その後、誠司はみずえさんとの交際を経て結婚することになる。それは誠司が保険会社に就職した頃の話である。
あの日、あの時、もっちゃんが手紙を見ていなかったら、結婚には至らなかっただろうという。
ちなみに、みずえさんともっちゃんは当時まだ知り合いでなかったそうだ。
何かを感じ取ったもっちゃんが強く言ってくれた後押しに、今もとても感謝していると笑顔で話す。

 

⑪アナザーストーリー -応援する側-

 

保険会社に勤務して二年目の、羽振りがいい時は家族との仲は最悪だった。
当時、ステータスを気にしていた誠司は、家庭に少しだけお金を入れて、後は自分が好き勝手にお金使っていた。

 

「そんなことに使う金があるなら、家庭にお金いれてくれない?」
「仕事のことで口出すんじゃないよ!」

 

奥さんとの関係も相当悪かった。
その後、独立をして会社を起こしたが、上手くいかず、結果会社を畳むことになる。

 

誠司の手元に残ったのは、多額の借金だけだった。
仕事がなくなって、収入も無くなった。
あれだけ偉そうに言っていた羽振りの良い時の面影はなかった。

 

結局、女房の紐状態。
惨めだった。
誠司はその当時、この先家庭を養うことが一番の不安だった。
不安に何度も押しつぶされそうになった。
夢・ありがとう」の文字が生まれたすぐ後ではあったが、仕事がすぐにあるわけではない。
収入もない。正直焦っていた。

 

求人情報を見漁った。
早く仕事探さなきゃ。
家庭にも金いれなきゃ。

 

そんな焦っている誠司の姿を見て、奥さんは後ろから思いっきり、頭をど突いた

 

青天の霹靂だった。
「ごめん!早く仕事探すから!もう少し待ってくれ!」

 

誠司は慌てて答えた。
「違う!今ほんとにやりたいことやらんくてどうすんの?今更やりたくないことやるんか?
何のために全部なくなったの?あなたがほんとにやりたいことやらんと意味ないやろ!」
奥さんは強かった。女性はいつの時代も偉大だと感じた。

 

「・・・そうはいっても。」

 

「お金のことはなんとかするから!で、あんたはなにやりたいの!?」
そう言われて初めて、さっき出来上がったばかりの「夢・ありがとう」の話をした。
この文字に俺は可能性を感じるんだ!と熱く語った。
「ただ、書道も習ったことないし、お金になるかもわからんし・・・」

 

そう言うと奥さんはこう言った。
「それを考えるのが仕事でしょ!」
奥さんはやっぱり強かった。女性はいつの時代も偉大だと再確認した。

 

「夢・ありがとう」の文字を仕事に変える!そんな考えに至ったのは、奥さんの一言がきっかけだったのだ。

 

そんな時、誠司に一人の人物が閃いた。

 

てんつくマンこと軌保博光(のりやすひろみつ)さんだ。
中村文昭さんに以前紹介してもらった人物で、講演会や路上で自分のグッズを売っているのを覚えていた。
誠司はすぐに相談した。「夢・ありがとう」の文字を売ってくれないか?

 

すぐにてんつくマンさんは快く承諾してくれた。
杉浦誠司の文字の販売が決まった瞬間だった。

 

その後、路上で商品を売り出し、展示会や個展も始めた。
やっと少しづつ形になっていった。
それから、現代に至るまで、様々なご縁を繋ぎ、「夢・ありがとう」が全国的に知れ渡るようになった。

 

「当時の文字はめちゃくちゃヘタクソだった」と誠司は笑って話す。
十年以上前に描いた作品を今尚大事に持っている人がいるということはとても嬉しいことだという。
そして「夢・ありがとう」の文字誕生秘話に欠かせない人物の一人がやはり「奥さん」の存在であった。
当時、奥さんにも不安はあっただろうと誠司は話す。
でも、いつも口癖のように言うのは

 

「あんたには才能がある!ずっとあなたのことを信じている!」
という心強いエールだという。

 

一生カミさんには頭があがらない。誰のために。何のために。と言われたならば、
この文字で一番幸せにしたいのはカミさんだ。」と恥ずかしそうに話してくれた。
今の誠司の夢は
カミさんが来年の6月に独立する心理カウンセラーの夢を今度は全力で応援してやりたい」という。

 

今まで一番近くで応援してくれた奥さんをそれを今後は自分が応援する番だと力強く答えてくれた。

 

⑫親父への恩返し

 

誠司は、幼少期から親父に認めてもらいたいという想いが人一倍強かった。
親父の夢である「息子を警察官にする」という夢叶えていけなかった自分がずっと許せなかった。

 

そんなある日、大学時代の友人から連絡があった。
その友人は、愛知の大きな警察署に務める警察官だという。
愛知の暴走族を検挙して、尚且つ解散式の式典まで執り行った凄腕の警察官である。
当時、ニュースにもなった程の異例の出来事であった。
ちなみに式典というのは、暴走族の親を呼び、もう暴走行為をしないと誓わせるような内容であった。

 

その友人から

 

「暴走族に講演してやってくれ」

 

というオファーがきたのだ。
誠司は耳を疑った。
俺が若者に何を話せばいいのだろうか。

 

当時の誠司にはマネージャーがいた。
誠司はマネージャーに相談し色々考えた結果、そのオファーを受ける事にした。
そして、その警察官に一つお願いをした。

 

「親父を連れてこさせてくれ。」

 

当時、親父に良い格好を見せたいと思ったのだという。
いざ当日。

 

若者を前にして、緊張した。いつもの講演とは訳が違うからだ。
ただ、親父の前だから気合いも入った。
親父がいるから、背筋も伸びた。

 

なんとか講演を無事に終えて、帰りの移動の途中マネージャーが言った。

「今日、お父さん呼んでましたよね?お話ししました?」

「いや、なんにも言ってないけど・・・」

「自分でお父さん呼んどいてなんにも話さんのですか?今すぐ電話してください!」

 

言われるがままにすぐに電話した。
「・・・父さん、今日来てくれてありがとね。」

「・・・お前な、暴走族にあんな真面目な話しても響かんぞ。」

 

ダメ出しだった。親父らしいなと思った。
でもお前いいことやっとるな。頑張れよ。
ずっと認めてもらいたかった人に、やっと認めてもらえた。
誠司は人目もはばからず、ぼろぼろと泣き崩れた。
誠司の今までが、報われた瞬間だった。
今も年に数回、警察署に呼ばれて、多くの警察官に誠司は自分の想いを伝えている。
親父の夢である「警察官」にはなれなかったが、
「警察官」のお役に立つ存在になれた。

 

ようやく、親父の夢を叶えれたような気がすると誠司はいう。
形は変わったかもしれないが、父親の夢に恩返しができていることに誇りを持っている。

 

⑬未来へ

 

誠司は、その「」を極めていく人たちに対しての尊敬の念を常に抱いているという。
特に書道家を尊敬しているという。

 

所作であったり、知識であったり。
書道をしっかり習っていないからこそである。
また、書道の道に自分が今後入る事はないという。
それは誠司の職人としてのこだわりであり、譲れない部分なのだろう。
杉浦誠司の夢は何か?と尋ねたら

 

文字職人道をつくっていくこと

 

と力強く答えた。
文字職人にしかできない美しさやアート、メッセージの感性を大事にして伝えていきたいという。
また、その活躍の場は、海外にも移していきたいそうだ。

 

よく外国の方に

「アナタノシショウハダレデスカ?」(※あなたの師匠はだれですか?)

とか

「アナタハドノイチモンデスカ?」(※あなたはどの一門ですか?)

と尋ねられるという。
正直そんなしがらみはない。
自分で作った道だからいいんじゃないか。

 

海外に対して、日本の心や文化を【文字職人道】として伝えていくことが誠司の使命だという。
誠司が目指すことを誓った「道」は決して簡単な道ではない。

 

ただ、その想いを話す誠司の顔には、
揺るがない意思と確固たる決意が見えた。
私たちも、誠司の新しい「道」のパイオニアになるという〝新たな夢〟を、引き続き応援していきたいと思う。

 

大切な人から

 

今回、話の中に登場してきた杉浦誠司さんの妻・杉浦千里(すぎうらちさと)さん、【旧姓みずえさん】に、私共からどうしても会いたくて、コンタクトを取らせていただきました。旦那様・杉浦誠司さん宛に、メッセージを頂戴しました。

 

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結婚してから人には言えない色んな事がありました(笑)でも今思えばそれも良い思い出です。
そんな苦難の道のりがあったからこそ、今の私達があるのかもしれません。

 

転職を繰り返し、先が見えなくて1日ウツウツと何もせずに過ごしていた時もありました。
当然生活も苦しくなり、私も家計を支える為の仕事と子育てに精一杯でしたが、不思議とあまり不安はありませんでした。高校生の時から発想力とかひらめきとか、何か他の人には持っていない才能の様なものを感じていたからでしょうか。

 

いつか、本当にやりたい事が見つかった時その才能を遺憾なく発揮し必ず花開くだろう…と。
だから生活のために妥協した生き方はして欲しくない、せっかく自由業で世界は無限の可能性を秘めているのに、小さくまとまって欲しくない、そんな想いが今でもあります。

 

そしてもう一つ、子供の頃から親の夢を背負って我慢しながら生きて来たところがあります。
だからこれからは誰かのための人生ではなく、自分の為の人生を精一杯歩んで欲しい。そう思っています。

 

主人の作品の中に「ピンチ(チャンス」)という作品があります。私はこの作品が大好きです。
結婚してから何度このピンチがあったでしょう!でも、それはまさにチャンスだったのです。転職や失敗を繰り返し、挫折の多い人生でもありましたが、文字通り、ピンチをチャンスに変えてここまで何とか来ました。今も志し半ばですが、ピンチをバネにこれからも頑張って欲しいと思います。自分の可能性を信じて活き活きと輝く人生を送って欲しい、今でもそれが私の一番の願いです。

 

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