運輸・通信業
養老町

農家に寄り添う運想屋「有限会社細川産業」を訪ねてみた。

農家に寄り添う運想屋「有限会社細川産業」を訪ねてみた。
TOM
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トラックドライバーさんってかっこいいよね〜僕もなりたいんだよね〜
SARA
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最近は女性のドライバーも増えてきてカッコいいよね!
TOM
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デコトラとかかっこいいよね〜僕のトラックにはどでかくサラの顔を描いてあげるね!
SARA
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・・・恥ずかしいから絶対にやめて!普通でいいの!・・・
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養老町にある「有限会社細川産業」をご存知だろうか。
創業53年を誇る親子2代で営む運送会社で、「運想屋」として想いを届ける独自のスタンスで会社を発展させている。今回は、代表取締役 細川 進(ほそかわ すすむ)さんにお話をうかがった。
今回のツムギポイント
  • 細川産業は想いを届ける「運想屋」
  • 後継ぎへの反発からたこ焼き屋開業
  • 父は超えられない、衝突から尊重へ
  • 「お客様と友達になる」スタイル
  • お米を通じて世界との橋渡しをしたい

①細川産業は想いを届ける「運想屋」

 

細川産業は創業53年を誇る、お米を中心に運ぶ会社である。創業者は、現会長であるお父様で、細川社長は2代目という形で受け継いでいる。

 

創業当時、養老町には「細川◯◯」という名の会社が多数あり、「細川産業」という名前だけが残っていたため、やむなく名付けたというユニークなエピソードがある。

 

2代目として会社を引き継いだ際、社名変更は考えなかったのだろうか。

 

「考えませんでしたね。先代の父が決めた社名ですので、『細川産業』という社名を大事にしたいと考えています。また、ここ数年は運送以外の分野にも積極的に取り組んでいるので、細川産業の方が色々な場面で違和感なく名乗れるので、このままで良いかなと感じています。」

 

細川産業のスローガンは、「運想屋 愛を届けて溢れる笑顔」である。これは、多治見の文字職人、杉浦誠司さんに相談して考案したという。杉浦さんといえば、ひらがなで漢字を作るコンセプトが人気を博し「夢・ありがとう」という作品で知られている。

 

「私はもともと人が好きで、子供の頃は飲食業など人と接する仕事がしたいと思っていました。しかし、家業の後継者問題もあり、家業を引き継ぎました。その際、運送業のイメージを変えたいと考え、それを杉浦さんに伝えて『運想屋』を作っていただきました。」

 

杉浦さんは、細川社長の「愛を届けたい」という想いを汲んで、スローガンを「愛を届けて溢れる笑顔」とし、それをひらがなにして「運想屋」という漢字にしている。

 

「『想いを届ける』は、自分が実現したかった『人と接する』に近いと感じました。だから、これを会社のスローガンにして今日まで進んできました。」

 

細川産業は、想いを届ける「運想屋」である。運送業のイメージを変えるべく、革新的なスローガンを掲げ、今日も関係する全ての人の想いを届け続けている。

 

②たこ焼き屋を開業

 

細川社長が子供の頃、運送業があまり好きではなかったという。その背景には、父親が多忙で一緒に過ごす時間が少なかったことがあるという。

 

「父は仕事が多忙で家にあまりいませんでした。なので、どこにも連れて行ってもらえませんでした。やはり寂しかったんです。ただ、自分が父親になってみて、ようやく父の気持ちが理解できました。どんなに忙しくても子供のことはずっと考えているものです。だから、今は父の想いを繋ごうと考えが変わりました。」

 

そんな細川社長だが、家業を継ぐ前はキッチンカーでたこ焼き屋を営んでいたという異色の経歴を持つ。

 

子供の頃から憧れていた飲食業に進みたいという夢を抱き、懸命に仕事をして開業資金を貯めた。

 

「当時貯めた資金で始たのが、車を改造したキッチンカーで、2年間たこ焼きやを営業しました。営業していて「たこ焼きが好きではない」と気づいたんです。その結果、思い入れが持てず、長くは続きませんでした。結局、家業を継ぐことから逃げたかったんだと思います。当時は別の事業で成功すれば継がなくて済むと考えていたんです。」

 

その一方で、父から後継ぎを強制されたことは一度もなく、むしろ「継がなくて良い」と言われていたという。

 

しかし、細川社長は21歳で家業に入ることを決意する。そのきっかけは父の「ちょっと手伝ってくれ」の一言だったと話す。

 

「当時は、たこ焼き屋がうまくいかずどん底の時期でした。お金もないし、働かざるを得なかったこともあり、父の言葉に従って手伝うことにしたんです。」

 

当時父がどう考えていたかは分からないと細川社長は話すが、息子の窮地を知った父の愛情からの言葉だったのかもしれない。

 

自分が父親の立場になった今、細川社長は「細川産業」を通じて、父から受け継いだ想いを未来へとつなげている。

 

③父は超えられない、衝突から尊重へ

 

細川産業は、もともと身内5人で営む企業であった。細川社長が家業に入って17年、社長を引き継いで5年が経過し、現在の社員数は20人以上と、4倍に拡大している。

 

当初は、父との考えの違いから様々な衝突があり、「父を超えよう」という気持ちが強かったという。ただ、今は争う対象ではなく、むしろ尊重する気持ちに変わっている。この考えが変わったきっかけは、吉野家の会長である安部修仁氏の講演だと話す。

 

「当時は私と父が対立している時期で、正直腹も立っていました。そこで安部さんにそのことを質問したら、『優秀な経営者ほど衝突するもので、互いに優秀だと気づいていない』ことと、『同じ山を違う登り方で登っていることを知った方が良い』ことのアドバイスをいただきました。」

 

争点は、社員を幸せにすることや会社を守っていくことなど様々だが、結局二人とも同じ山を登っているのだ。細川社長は、それを聞いた時に、「争っているのはもったいない」と悟ったという。

 

さらに、父を超えられないと思った瞬間があり、それは諦めや挫折、敗北でもなく、父に対する感謝や、先代に対するリスペクトの気持ちが生まれたと話す。

 

「当社の取引先の社長で、私と同じ2代目の方がいらっしゃったんです。その社長は、自分の代で会社を大きく成長させたのですが、『私たちは2代目で、1から100や1000にすることはできるが、0から1は成し遂げていない。だからこの先も先代を超えられない』と話していたんです。その言葉に深く共感しました。」

 

0から1を生み出した事実は、どれだけ会社が大きくなっても変わらない。その「1」は、父がトラックが好きでやりたいことに取り組んで生み出した「1」なのだ。

 

「父は超えられない」というリスペクトの気持ちに変わったことで、親子の関係性も改善され、社員数が4倍になるなど、会社も順調に発展したのだろう。

 

④「お客様と友達になる」スタイル

 

細川産業は現在、自社が納得したものしか運ばないというスタンスで、基本的には米以外は運ばないと明言している。また、驚くことに新規営業はせず、専ら紹介がメインであるにもかかわらず、仕事は増加していると話す。

 

運送業は、車両と人員が揃えば参入しやすいが、競争が激しい業界でもある。特に価格の安さで選ばれやすいため、大手でなければ生き残るのが難しい。

 

このスタンスを貫ける背景には、「細川産業を選んでもらうには何が必要か」を常に考えている点が大きいという。現在、米の輸送に特化しており、農家から「細川産業に運んでほしい」と言ってもらえるような取り組みを行っていると話す。

 

「農家の方がお米を作って運ぶとき、運送会社の選択は農家の方が行いますが、支払いは米を買い取る問屋が行うんです。つまり、当社にとって農家の意向が大切で、そのために『農家のことを知る』ということに注力しています。」

 

農家の「米作りへの想い」を知ることで、農家からすると、同じ想いを分かち合える人に任せたくなるのだ。そこには価格の安さではなく、想いを共有できているかが重要で、細川産業はそれゆえに支持され選ばれている。

 

また、農家の想いを知る上で、父の「お客様と友達になりなさい」という助言が役立っていると話す。

 

「友達であれば、儲かる儲からないに関わらず良い仕事ができると言うんです。そこに大事な部分があり、友達なら許せることもあると。つまり、信頼関係を構築できるかが重要で、『お客様のためにできること』をいつも考えています。」

 

細川社長は、出会った人が良くなるように、自分のできる範囲で貢献することを心掛けており、それが巡り巡って返ってくるという。

 

これからも、農家のためにできることを考え、貢献したいと想いを巡らせている。その信念が、細川産業を選ばれる存在へと押し上げている。

 

⑤お米を通じて世界との架け橋をしたい

 

細川社長がお米にこだわるのは、お米が大好きだからであると話してくれた。日本ではお米が身近すぎて、その価値が過小評価されがちである。

 

「お米の価値が低いと、その分農家が安い価格で卸すことになり、農家にとって死活問題なんです。私は、日本のお米の品質や技術は世界トップレベルだと思うので、農家も含めた関係者へ還元することを目指しています。」

 

細川社長は、お米を通じて世界と日本の架け橋になりたいと、将来の展望を語る。

 

海外の富裕層には良いものを求めるニーズがあります。その中には和食の需要があり、そういった場所に日本のお米を届けたいんです。

 

その一方で、日本の水で育った米は、日本の水で炊くことでより一層美味しくなる。日本は軟水だがヨーロッパは硬水であり、そのまま現地の水で炊くと味の再現が難しいという。

 

「結局、どれだけ良いものでも届け方を間違えると、最後に茶碗の中で台無しになってしまうんです。だから、口に入るまでプロデュースをする、そういう架け橋になりたいと考えています。」

 

運送会社の枠を越えた、国家間の文化交流につながる構想である。お米への愛着と、日本の農家に寄り添いたいという純粋な想いが生み出した壮大な展望に、大きな期待が膨らむ。

 

最後に、細川社長が仕事をする上で、最も心掛けていることをうかがった。

 

「私が楽しんでいるかを大切にしています。自分が楽しんでいれば自然と人も集まるし、その結果お金も集まるのではないかと思っています。だから、やりたくないことはしません。子供の頃に遊んだ感覚と同じで、一緒にいて楽しい人が友達になるわけで、その延長で生きている感じです。」

 

会社で細川社長の右腕となる人物は、学生時代からずっと仲の良い後輩で、今も友達と仕事をしている感覚だと話してくれた。

 

友達だからこそ、互いに「自分にできることは何か」と思いやる関係となり、結果的に最高の仕事につながるのである。今後も細川産業は、お客様も社員も「友達になる」スタンスで、最高の価値を提供する企業として発展するだろう。

 

細川産業は、創業53年の歴史を持つ運送会社でありながら、「運想屋」として想いを届けるという独自の理念で、会社を発展させている。

 

お米の輸送を通じて農家に寄り添い、さらには日本のお米文化を世界へ発信しようとしている。

 

「自分が楽しむ」という姿勢や「友達になる」という経営スタイルは、運送業界に新しい可能性を示す存在として、今後の展開が大いに期待される。

 

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