和紙の技術で世界に貢献する「大東化工株式会社」を訪ねてみた。





日本と世界の印刷業界を長年支え続け、印刷文化を守り伝える企業である。今回は、取締役会長 神山 公一(こうやま こういち)様と、総務グループ長 川村 晃子(かわむら あきこ)様にお話をうかがう。
- 謄写版とともに歩んだ創業物語
- 謄写版×美濃和紙
- 孔版原紙で貢献!世界の大東化工へ
- 「活かし、伝え、残す」未来へ導く企業
- 岐阜を愛し、地場産業を未来へ継ぎたい
①謄写版とともに歩んだ創業物語
大東化工株式会社(以下、大東化工)は、1914 年岐阜市で製紙原料の取り扱いをはじめ、1937年岐阜市長良平和通りに大東紙工所を創業。このころはすでに謄写印刷の世界ではロウ原紙からタイプ原紙が主流になっておりタイプ原紙の製造を本格的に開始する。
「1894 年に謄写版(ガリ版)が発明され、翌年 1895 年の日清戦争で軍事通信に堀井謄写版が採用されました。1896 年には官庁・大学・商社・新聞・通信社が謄写版の使用を始め謄写ニーズが増えていきました。」
ガリ版は、主に2段階で行われる。
ステップ1 製版
1.ロウ原紙(和紙にロウが薄くコーティングしてある)をヤスリ板の上に固定。
2.鉄筆でガリガリと切っていくと、ロウの部分が削れ、和紙の繊維の間にインクが通るようになる。(版完成)
ステップ2 印刷
1.作成した版を刷り台のスクリーンにしわなく貼り付け、スクリーンの上からインクが付いたローラーを動かして行くと製版の時に削った孔(あな)からインクが通り印刷される。この印刷方法は「孔版(こうはん)印刷」といわれ現在でもいろいろな印刷装置で応用されている。
「大東化工は、孔版印刷において謄写版原紙の製造技術は、その後特殊紙・機能性フィルムの化工技術へと進化を遂げていきます。」
孔版印刷の進化と共に歩んだ大東化工の原点は、謄写版と和紙にある。

②謄写版×美濃和紙
謄写版は、もともとトーマス・エジソンが発明し、それを 1893 年のシカゴ万博から堀井新治郎さんが持ち帰り改良し実用化した。日本で調達できる材料でその印刷器の実用化を和紙と絹で試みるところから始まったという。
奈良の正倉院には 702 年に美濃和紙でできた戸籍用紙が所蔵されており、日本最古の紙とされている。良質な原料と長良川や板取川の清流に恵まれた一帯で和紙づくりが盛んであったため和紙の原料商が多く存在していたとされ、大東化工の原点も製紙原料の取り扱いから始まっている。
「謄写版と岐阜、そして大東化工には深い繋がりがあると考えています。」
謄写版の魅力
1.和紙とのコラボによって原紙の実用化が実現。その産地だった美濃地方
2.時代が進化して海外では英文タイプライターが発達しても手先が器用だった日本人にはガリ版を操る事ができ挿絵も印刷物に入れることができた
3. ガリ版は設備投資がトランクのような箱だけで印刷が完結できる
4. 技法を駆使することによって、多色も可能で表現範囲が広がる
5. 電気のない場所でも印刷ができる
6. 文字のみならず技術を駆使すること絵画も作成できる
「謄写版は単なる印刷技術を超え、創造性・実用性・感性のすべてを兼ね備えた、貴重な文化的資産だと考えています。」
謄写版と和紙が紡ぐ印刷技術と文化の絆。謄写版は知恵と創造力の結晶なのである。
③孔版原紙で貢献!世界の大東化工へ
大東化工は、ロウ原紙を含む孔版原紙の販売を通じて様々な功績を積み重ね、世界に貢献してきた。終戦直後の日本は外貨不足に苦しんでおり、軽工業が主要な輸出産業として日本経済を支える存在だった。
「大東化工はタイプ原紙を輸出し、日本の外貨獲得に貢献しました。昭和44年には、通商産業省(現・経済産業省)から『輸出貢献企業』として表彰される栄誉も得ました。」
この表彰は、大東化工がいかに日本の経済成長を支えたのかを示す、重要な証でもある。その後、コピー機の普及とともに、先進国ではデジタル化が進んでいく。さらに、1990年代のパソコンの登場により、国内外で謄写版の需要は急速に縮小していった。
「多くの先進国の業者が撤退する中、電気などインフラが未整備だった国々では、まだ需要がありました。我々は約30年間で100カ国以上に販売しました。特に東南アジアで重宝され、最終的には『世界で唯一の孔版原紙メーカー』となりました。我々が撤退したら印刷手段がなくなるとまで言われ、インフラが整う2016年まで輸出を続けました。」
また、輸出と並行して日本から道具を寄付し、現地の子どもたちを支援。御礼として届けられた文集や絵などは、日本との文化交流の証として今も残っていると、神山会長は話す。世界100カ国以上への輸出と文化支援を通じ、孔版原紙で国際貢献を果たしてきた大東化工。その軌跡は、それぞれの文化の枠を超えて、心と心をつなぐ歴史の証だ。


④「活かし、伝え、残す」未来へ導く企業
大東化工は、2016年よりセロテープのニチバンと資本業務提携を結び、新たなる事業展開を図っている。
「長年培ったさまざまなコーティング技術やその液を作る技術があり、大東化工のフィルムコーテイング技術は、ニチバンの産業用粘着テープやヘルスケア製品などにも活かされています。」
越前和紙やフィルムなどの特殊素材に独自のコーティング技術を施すことでインクジェットプリンターで発色よく印刷できる製品も製造している。
特に黒の再現性が高く、プロの写真展やアート作品の展示などに活用されている。さらに、フィルム素材にも、ヘアライン調や鏡面仕上げなど多様な質感を表現可能に。スマートフォンで撮影した写真も美しく印刷できる。
その一方で、謄写版の伝統や魅力を伝え、後世に残す活動も行っている。2000年に「謄写技術資料館」を開館。展示品は、神山会長が集めたものや、世界中に呼びかけ譲り受けた品だ。
「日本独自の和紙を使った印刷文化が非常に貴重だと考えているので、その価値を残すべく設立しました。大東ブランドの世界の評価は高いので、海外の芸術家たちからは『聖地』とされ、リスペクトの想いで訪れてくれています。」
さらに、2021年にはリニューアルオープンし、「昭和の教室」を増設。謄写版の体験ができるワークショップを定期的に開催している。
「ワークショップは老若男女幅広い層に参加いただいていますが、特に大人に好評です。手作業の難しさや奥深さを体験し、次回も挑戦したいとリピートされる方が多いです。また、子ども向けには体験の他に、紙芝居で学びの機会を作ったり、楽しく学べる仕掛けを用意しています。」
伝統を活かした技術革新と、次世代へ伝える交流活動。大東化工は「活かし、伝え、残す」姿勢で、未来への懸け橋を築いている。


⑤岐阜を愛し、地場産業を未来へ継ぎたい
神山会長に、謄写技術資料館を通して感じる想いについてうかがった。
「私は『岐阜の伝統や地場産業を後世に残したい』という強い使命感を抱いています。若者の都市流出や後継者不足により地方産業が衰退するなかで、自社の活動を通して『地方の実験場』としての役割を果たし、先端技術への挑戦と伝統の融合による地域再生を目指しているのです。」
神山会長は、地域社会や教育機関への貢献にも力を入れている。岐阜市からの依頼を受けてワークショップを開催したり、岐阜大学と連携し自社の敷地内で美術展に協力したりしている。
「育ててくれた地元へ恩返しをしたいんです。SDGsや次世代育成といった観点でも岐阜に貢献できれば本望です。」
世界の大東化工を築いた神山会長。先見性のある視点で岐阜への愛をもって行動する姿勢に、心を揺さぶられる。
一方、川村さんは資料館を通じて、大東化工や孔版文化の認知度を高めたいと話す。
「一般の方にどんな会社なのかを伝える上で、業種的に伝えにくい側面があるため、資料館を活用して『面白いことをやっている会社』と知ってほしいです。若い方には、ワークショップなどの体験を通じて、歴史などにも興味を持ってもらいたいです。」
最終的には、謄写版文化を未来に残すための場として資料館を育てている。
大東化工は、世界100カ国へ孔版原紙を輸出し、世界の印刷文化に貢献した企業である。日本の軽工業を支え通産省から表彰されたり、海外へ支援した実績を持つ。今は和紙やフィルムへの独自技術を武器に進化を続けつつ、謄写技術資料館での文化継承に力を注いでいる。
ワークショップでは、世界が認めた“謄写版”を手で体験できる。一度参加し、印刷の奥深さと日本のものづくりの精神を感じてみてはどうだろうか。

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