“縁”と“味わい”を重ねるケーキ屋さん「En patina」を訪ねてみた。





素材の声に耳を傾け、実験と発見を繰り返しながら独自の美味しさを追求するケーキ店である。今回は、代表の伊藤 浩之(いとう ひろゆき)様にお話をうかがった。
- 縁をつなぎ、しなやかに変わり続けるお店づくり
- 趣味から仕事へ──人の笑顔が背中を押したお菓子の道
- “おいしい”の裏側にある、生産者とのまっすぐな関係
- 和モダンの空間で生まれる、実験と発見のお菓子づくり
- ケーキの先へと広がる構想 En patinaが描く未来
①縁をつなぎ、しなやかに変わり続けるお店づくり
岐阜の閑静な住宅街に佇む「En patina」。やわらかく耳に残る店名には、伊藤さんの想いが丁寧に込められている。
「“エン”は人と人とのご縁を意味しています。お店を通じていろいろな縁がつながっていけばいいなと思って名付けました。“パティーナ”はラテン語で“経年変化の味わい”という意味があるんです。」
そんなEn patinaが目指しているのは、常に変化し続けるケーキ屋だ。時代や暮らしの変化にあわせて、商品のあり方も見つめ直しながら、進化し続ける姿勢を大切にしている。
「やっぱり、時代とともに業界の状況や僕たち自身の環境も変わっていくものですよね。だからこそ、変化に合わせて柔軟に進んでいかないと、お客様に愛され続けないと思っています。」
その姿勢は商品構成にも表れている。
「お客様に楽しんでもらうために、ケーキの種類や内容は定期的に変えています。たとえば、1ヶ月後に来たら“あれ、前にあったケーキがもうない!”とか、“ラインナップが全然違う!”みたいに思ってもらえるような、そんなワクワクする楽しさも届けたいですね。」
商品づくりの中心にあるのは、季節感とタイミング。旬のフルーツを使ったケーキやイベントに合わせた限定商品など、そのときにしか出会えない特別感を大切にしている。訪れるたびに表情を変えるショーケースは、まさにEn patinaの「変化の味わい」を体現している。
日々移り変わる世の中で、変わり続けることを恐れず、その中に確かな軸を持って進んでいく。その軸には、「人との縁を大切にしたい」という伊藤さんの想いがある。変化の中にも、芯のあるやさしさがにじむ場所。それが、En patinaというケーキ屋の姿だ。

②趣味から仕事へ──人の笑顔が背中を押したお菓子の道
伊藤さんがお菓子作りを始めたきっかけは、意外にもとても身近なところにあった。
「お菓子作りに興味を持ったのは、母の影響が大きいですね。母はお菓子作りが趣味で、家の中はいつもバターの香りに包まれていました。僕も自然とキッチンに立つようになり、手伝っていくうちに、自分自身もお菓子作りの楽しさに目覚めました。気がつけば、それが自分の趣味になっていたんです。」
高校を卒業する頃には、すでに将来の進路として“製菓”の道が心に浮かんでいたという伊藤さん。ただ、お菓子作りを通じて人に喜んでもらう経験が増えるにつれ、それはただの趣味ではなく、誰かの日常に寄り添う“仕事”としての可能性を感じるようになっていった。
「当初は製菓の専門学校に進むことも選択肢として考えていました。でも、自分で作ったお菓子を誰かに食べてもらい、目の前で喜ぶ姿を見るたびに、これを本気でやっていきたいと思うようになったんです。現場で働きながらでも、しっかり学び、経験を積むことができる。そう考えて、進学ではなく就職を選び、製菓の道に踏み出すことを決めました。」
高校卒業後、伊藤さんが最初に飛び込んだのは、東京の老舗ホテル「東京會舘」。アルバイトとして厨房に入り、ケーキやウェディングケーキ、パーティー用のデザート、コース料理の締めを飾るスイーツまで、幅広いジャンルの洋菓子づくりに携わった。
「まったくの未経験からのスタートだったので、最初の3年ほどは必死でした。本当にがむしゃらに、お菓子のことを一から覚える毎日でした。見る、聞く、やってみる。その繰り返しの中で、技術も感覚も少しずつ身についていったという感覚です。」
その後も伊藤さんは、全国各地の洋菓子店をまわりながら修行を続け、経験を積んでいった。素材や工程、土地の嗜好やスタイルなど、地域ごとの違いに触れる中で、技術だけでなく考え方や発想にも厚みが加わっていったという。
やがて、同じくパティシエで、岐阜出身の奥様と出会い、結婚。二人で力を合わせてお店を持つ夢が現実味を帯びていった。そして2023年11月、岐阜市に「En patina」をオープン。長年積み重ねてきた経験と、ご縁の中で育まれてきた想いが、ようやく形になったのだ。
③“おいしい”の裏側にある、生産者とのまっすぐな関係
En patinaの大きな特徴のひとつが、農家さんから直接仕入れる新鮮な果物を使ったケーキづくりにある。信頼できる生産者から、状態の良い素材を確実に受け取るために、伊藤さんは自ら動くことを選んだ。
「以前は卸業者さんや市場を通じて仕入れていたんですが、届くものの状態にばらつきがあって、実際に商品として使えない果物が届くことも少なくありませんでした。だったら自分の目で確かめて、納得できる果物だけを仕入れたほうがいいと思ったんです。」
そうして伊藤さんがたどり着いたのが、農家さんとの直接のつながりだった。実際に畑へ足を運び、自分の目で果物の状態を確かめ、味を見て、生産者と言葉を交わす。手間はかかるが、素材を扱う者として納得のいく仕入れ方法だった。
中でも印象に残っているのが、イチゴ農家の青山さん、高木さんとの出会いだという。
「オープン前に、いろいろな農家さんに連絡を取って、実際に何件か訪ねてみました。その中で出会ったのが青山さんと高木さんです。イチゴの味がしっかりしていて、とてもおいしかったので、今も継続してお願いしています。」
通常、直売所などに出荷されるイチゴは、見た目や流通の都合から、やや早めに収穫されるケースが多い。だが、その分味わいには課題が残ることもある。
「長期間流通に耐えるようにと早めに収穫されたものは、どうしても青かったり、白かったり、酸味が強かったりして、味が薄いと感じることが多いんです。農家さんから直接仕入れることで、その時点でいちばん良い状態のものを収穫してもらえるので、ケーキにもきちんと果物の味が活きてくれると実感しています。」
また、En patinaでは果物のサイズや見た目について細かく指定をしない。あくまでも「美味しさ」を最優先にしている。
「サイズにこだわりすぎて味が落ちてしまっては意味がありません。それなら多少ばらつきがあっても、美味しいほうがいい。サイズが不揃いでも、こちらの見せ方や工夫次第でいくらでも魅せることができます。やはり一番大事なのは、味なんです。」
生産者との信頼関係と、美味しさへのまっすぐな姿勢。それが、En patinaのケーキにしっかりと息づいている。農家の想いとパティシエの技術が交差する場所で、一つひとつのケーキが生まれている。

④和モダンの空間で生まれる、実験と発見のお菓子づくり
En patinaのお店づくりにおいて、伊藤さんが思い描いていたのは「和モダン」な雰囲気だった。岐阜という自然豊かな土地柄を活かし、訪れる人に心地よさを感じてもらえる空間を目指した。
店内は木目を基調とした柔らかな内装に植物が彩りを添え、落ち着いた空気が流れている。壁には印象に残りやすい深い青を用い、和のエッセンスを感じさせながらも現代的なバランスでまとめられている。
空間だけでなく、商品にも“和”の要素を取り入れているのがEn patinaの特徴だ。
「和素材はよく使っています。他のお店ではあまり見かけないような組み合わせも積極的に取り入れるようにしています。」
現在提供している商品はすべて、一から組み立て直したオリジナルレシピによるものだ。これまでのキャリアの中で出会った素材や組み合わせをベースに、「もっとこうしたい」と感じた部分を丁寧に見直している。レシピノートの中には、過去に考えたアイデアも多数残っているというが、いま改めて作ってみると、当時ほどの感動を得られないこともあるのだという。
「昔考えたレシピを今の自分が再現してみると、あれ?ってなることがあります。味の感じ方が変わっていたり、完成度が想像していたものと違ったりして、納得できないこともあるんです。」
そのギャップを埋めるために、日々、試作と検証を繰り返している。思い通りにいかないこともあるが、それもまた楽しさの一部だ。
「お菓子作りは、実験に近いところがあると思っています。たくさん失敗もしますし、でもそれが全部、次につながっていくんです。自分の意思で、学び続けたいと思えばいつまでも学び続けられる世界だと思いますし、やめようと思えばいつでもやめられる。でも、僕はこれからもきっと、ずっと実験と発見を繰り返しながら、学び続けていくと思います。」
一つひとつのお菓子に向き合いながら、空間にも素材にも妥協せず、自分自身の感覚を問い続ける。


⑤ケーキの先へと広がる構想 En patinaが描く未来
今後の展望について尋ねると、伊藤さんは製菓業界でお店を続けていくことの難しさ、そして新たな構想について静かに語ってくれた。
「もちろんこのお店がもう少し軌道に乗ってきたら、次の形に挑戦したいとは思っています。ただ、パティスリーとしての多店舗展開は考えていません。自分が作っているものを、誰かに教えて再現してもらうこと自体は可能かもしれませんが、それを長く、安定して店頭に並べ続けるのは難しいと感じています。」
そんな伊藤さんが思い描いているのが、カフェのような空間だ。ケーキはもちろん、パフェや軽食などをゆっくり楽しめる、イートインスペースのあるお店だという。
「お菓子だけじゃなく、パフェやランチのような軽食を提供できるような、そんなお店をやってみたいですね。」
すでに今も、En patinaでは月に数回、キッシュの販売を行っている。パティスリーでは珍しい取り組みだが、お客様からの評判もよく、販売日には事前予約で完売してしまうこともあるという。
「うちのキッシュは、具材をたっぷり詰めているので、キッシュ好きなお客様にはすごく喜んでいただけています。これを中心にしたカフェがあってもいいなと思っています。」
また、お菓子を“つくる”楽しさを伝える取り組みにも力を入れている。現在は、親子向けのお菓子教室を不定期で開催しており、今後は、そのスタイルにも新しい可能性を見出している。
「今はお店に来ていただくかたちで教室をやっていますが、いずれはご家庭にうかがって、その家にある調理器具と材料でできることを一緒にやるような教室もできたらと思っています。お店の工房ではうまくできたのに、自宅に戻ったら再現できないというのは、ちょっともったいない。やっぱり家でも楽しんでもらいたいですし、できることを一緒に見つけていく教室にできたらいいなと思っています。」
岐阜に根ざしたケーキ屋として、農家さんとの信頼関係を築き、独自の素材感と味わいを届けるEn patina。ケーキが好きな人、季節の味を感じたい人、誰かとの縁を楽しみたい人。そんな人にこそ、足を運んでほしい場所である。他では出会えないスイーツと、静かに息づく職人の想いが、きっと印象に残るはずだ。

詳しい情報はこちら