Jazz喫茶からはじまる、まちを繋ぐやさしい輪「Silly Putty」を訪ねてみた。





”音楽と人、想いが繋がる場所”をコンセプトに初めてJazzに触れる人も、音楽が好きな方も、思い思いの時間を過ごせる場所を提供している。今回は店主の西村さんご夫婦にお話を伺った。
- 音楽と人をやわらかくつなぐJazz喫茶
- 66歳、夢に向かって踏み出したエンジニアのセカンドステージ
- アナログの音が心をほどく、居場所としての喫茶
- レコードとコーヒーが結ぶ、地域と未来のあたたかな輪
- 想いをつなぎ、未来へ響く音―続いていく店のかたち
①音楽と人をやわらかくつなぐJazz喫茶
Jazz喫茶というと「入るのにハードルが高そう…」と感じる方も多いかもしれないが、「Silly Putty」はJazzに詳しくなくても、初めてでも、気軽に立ち寄れるお店だ。
店名にはどんな思いが込められているのだろうか。西村さんはその由来を、穏やかな口調で、けれど確かな思いを込めて語ってくれた。
「お客様からもよく聞かれるんですが、ロック少年だった私が大学時代にJazzを好きになるきっかけとなったStanley Clarkeのアルバム『Journey to Love』。その1曲目のタイトルが『Silly Putty』なんです。」
「Silly Putty」とは、スライムのように伸びたり縮んだりする、変幻自在なゴムのおもちゃの名前でもある。その原材料は、玩具にとどまらず、医療や航空の分野でも使われるほど柔軟で多用途。店名には“自由自在に形を変えながら、人と人をやわらかくつなぐ存在でありたい”という願いも込められている。
県道沿いに建つ店舗は、ガラス張りで光が差し込む開放的で明るい空間。挽きたてのコーヒーの香りがふわりと広がり、奥のオーディオルームには、西村さんが大学時代から音質にこだわって集めてきたレコードプレーヤーや真空管アンプ、スピーカーが並ぶ。良質な音楽、こだわりのコーヒーを飲みながら、ゆったりと身を委ねられる空間だ。
会話を控えることを求めるJazz喫茶もある中、Silly Puttyはおしゃべりも歓迎。常連さん同士で談笑したり、パソコンで作業をしたり、本を読んだりと、それぞれが思い思いのスタイルで過ごしている。2時間、3時間と滞在するお客様も少なくない。
「うちは回転率より、居心地のよさを大事にしています。何時間いていただいてもかまいません。お帰りの際には、必ず『ゆっくりできましたか?』とお声がけするようにしています。」
そんな西村さんの心配りが、この店の空気に自然と染み込んでいる。Silly Puttyは、音楽が流れ、人と人が出会い、それぞれの時間がゆるやかに重なっていく場所だ。

②66歳、夢に向かって踏み出したエンジニアのセカンドステージ
西村さんは長年、電気回路設計のエンジニアとしてキャリアを歩んできた。お店をオープンしたのは66歳のとき。それまで飲食業とはまったく縁がなかった。そんな西村さんが新たな一歩を踏み出すことになったのは、2度の大病と、会社のイベントという、思いがけないきっかけからだった。
「大きな病気でしたが、幸いにも後遺症もなく、仕事にも復帰できました。設計の仕事は好きでしたし、そのまま続ける道もありました。でも、その経験を通して『この先の人生は、決して無限じゃない』と気づかされたんです。あらためて“自分が本当にやりたかったことは何だろう”と考えるようになりました。」
そんな折、社内のイベントで、若手エンジニアに向けてこれまでのキャリアを語る機会が巡ってきた。事前アンケートには「将来の夢」を記入する欄があった。
「66歳にもなって“将来の夢”って聞くのかと驚きましたが、ふと思いついて“Jazz喫茶のオヤジ”って書いたんです。文字にしてみたことで、それが昔からの夢だったことを思い出しました。イベント当日、若手のエンジニアたちが『Jazz喫茶やるんですか?! いいですね!』と声をかけてくれて。なんだか背中を押されたような気がして、元気で体が動くうちにやろうと思ったんです。」
大学時代から音楽やオーディオが好きだったという西村さんだが、飲食業の経験はまったくなかった。そんな“突然の決意”に、妻のリカさんは戸惑わなかったのだろうか。
「退職後は、夫婦でゆっくり旅行でもしようと話していたので、いきなりJazz喫茶をやりたいと言われたときは本当に驚きました。でも命に関わる病気から回復したばかりでしたから、元気なうちにやりたいことをやった方がいいんだろうなと思って。それなら私も支える覚悟を持とうと決めました。」
人生をあらためて見つめ直したその先に浮かび上がった、“若い頃からの夢”。その夢は、周囲の応援と、家族の理解に支えられて、いま現実のものとなっている。


③アナログの音が心をほどく、居場所としての喫茶
お店に並ぶオーディオ機器は、西村さんが大学時代のアルバイト代や会社員時代の給料で少しずつ集めてきたもの。エンジニアとして培った技術を活かし、自らカスタマイズや修理も行っている。
「コーヒーも昔から好きで、よく自分で淹れていましたが、あくまで自己流でした。もっと深く知りたいと思って講座を受けたり、本を読んだり、名古屋の有名な喫茶店に足を運んで、いろいろ教えてもらったんです。豆もいろいろ飲み比べた結果、いまはご近所の豆屋さんから仕入れています。」
レコードはもともとの西村さんのコレクションに加え、大阪や神奈川など全国各地の中古レコード店で買い足したものが並んでいる。また、お客様の自宅に眠っていたレコードを生かしたいという思いから、レコードの洗浄サービスも行っている。
店主が選んだレコードだけをかけるJazz喫茶も多い中で、Silly Puttyは少し違う。お客様のリクエストに応えたり、聴きたいレコードを持ち込んでもらったりと、みんなで音楽を楽しむスタイルを大切にしている。
「Jazzに馴染みがないお客様にも、好みをお聞きして、好きそうな曲を選んでかけるようにしています。特に若い方には、アナログレコードならではの音を知ってもらいたいですね。」
Jazzやオーディオが好きなお客様とは、他のJazz喫茶の話や好きなアルバムの話題で、初対面でも自然と会話が弾む。音楽とおしゃべりを楽しみに、週に3回通う常連客もいるほどだ。
「誰でもそうですが、感受性が高い20代前半に聴いた音楽が、いちばん心に残るんです。常連の年配のお客様が、青春時代の曲を聴いて元気になって帰っていく姿を見ると、『お店を始めてよかった』と心から思いますね。」
Jazzとコーヒー、そして人の声がやさしく溶け合う空間。Silly Puttyは、音楽をきっかけに心がふっとほどけるような、そんな時間を届けてくれる場所だ。


④レコードとコーヒーが結ぶ、地域と未来のあたたかな輪
一杯のコーヒーと流れるレコードの音で、豊かな時間を過ごしてもらうこと。それに加えて、街の人たちを元気づけるような存在になりたい――そんな想いを胸に、西村さん夫妻はSilly Puttyを、単なるJazz喫茶にとどまらず、地域のコミュニティとして育てていこうとしている。その過程で、「やってみたいこと」が次々と生まれてきた。
「お客様同士がもっとつながれるように、持ち寄ったレコードをみんなで聴く“レコードの日”というイベントを企画しています。持ってきた方に思い出を語ってもらって、その想いをみんなで共有する、そんな会にしたいんです。」
また、西村さん自身が経験したガンと脳出血の闘病。その体験を語ったり、音楽の力で誰かを励ましたりする取り組みも、少しずつ動き始めている。
Silly Puttyの活動は、音楽や会話をきっかけに人と人との輪を広げ、地域にもやさしく根を張ろうとしている。リカさんは地域の子どもたちやお母さんたちを支えたいと考え、大垣市が行っている無償の子ども見守り制度「ほっとな居場所(愛称:こどもんち)」へ申請。店舗や事業所スペースを活用して、子どもたちが安心して過ごせる場をつくろうとしている。
「まずは私たちができることから始めて、それが少しずつでも広がっていったら嬉しいです。」
お店を開いたことがきっかけで広がった夢と挑戦。その一歩一歩が、人と人をつなぎ、やがて地域全体に温かい輪を広げようとしている。

⑤想いをつなぎ、未来へ響く音―続いていく店のかたち
今後の活動について尋ねると、リカさんからはSilly Puttyらしい、前向きな言葉が返ってきた。
「大垣を盛り上げていく場所になりたいです。とにかく自分たちの思いを伝えたい。そうすれば、同じ想いの仲間とつながり、輪が広がっていく。この先、何ができるのかと思うと、本当に楽しみでしかたがない。夢しかないです。」
地域の大学生や創業者とのコラボレーションを通じて、世代を超えた交流の場をつくりたいというその想いは、着実に広がっている。そして「Jazz喫茶」という空間の可能性を模索する中で、新たな挑戦も視野に入れている。
一方で、全国的にはJazz喫茶の後継者不足が深刻化し、店舗数の減少が続いているのも事実だ。
「お客様から『こんなお店は他にないから、長く続けてね』と言っていただくので、あと20年は二人で頑張るつもりです。人と人とのつながりから生まれた取り組みを、途中で絶やしたくないんです。せっかく築いたこのお店も、この名前も、できるだけ守っていきたい。90歳を過ぎたらさすがに難しいかもしれませんが、それまでに後継者を育てて、私たちの思いを引き継いでもらえたらと考えています。」
Silly Puttyは、レコードのように地域の人々の想いを刻み込みながら、未来へと音を響かせ続けている。音楽好きな方も、日常ちょっと疲れている方も、ぜひ一度訪れてみてほしい。一杯のコーヒーと流れるレコードの音がきっとあなたの時間を豊かにしてくれるだろう。

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