今日の放課後が、子どもたちの未来のキャリアにつながる。探究型学童保育「ヒトノネ」を訪ねてみた。





小中学生を対象にした探究型学童保育・放課後デイサービス・不登校児支援などを行い、子どもたちが安心して自分らしく過ごせる場所を作っている。今回は代表理事の篠田 花子(しのだ はなこ)様に設立の経緯やビジョンをうかがった。
- その人らしく生きるための、根っこを育てる
- 親も子も「選べる未来」を作りたい
- ヒトノネが描く2つのビジョン
- 日々の小さな変化が、自立への一歩になる
- ヒトノネを未来につなげるために
①その人らしく生きるための、根っこを育てる
岐阜市にある探究型学童保育「ヒトノネ」。学校が終わる時間になると子どもたちの笑顔と笑い声で、いっぱいになり、見ているこちらも思わず笑顔になる、そんな場所だ。
「人や自分自身を信頼できる、将来のことを信じられる——。そんな“気持ちの土台”を育てたいと思ったんです。その人がその人らしく、自分の人生を歩んでいけるように。その“根っこ”を支えたくて『ヒトノネ』と名付けました。」
そう語るのは代表の篠田さん。2017年に探求型学童保育「ヒトノネ」を立ち上げ、現在は、放課後等デイサービス「みちな」、学習に困り感のある子どものための個別指導「Imaru(あいまる)」、そして10代向けアトリエ「クリエイターズクラブ」と4つの事業を展開。子どもたちの多様な個性や志向に応じて柔軟なサポートを行っている。
「最初に学童保育「ヒトノネ」を開設して、すぐに気がついたのですが、子どもは本当にバラエティ豊かなんです。それぞれ背負っているものや育った背景が違うのでみんな全然違うんです。なので、もっと多様な子どもたちをサポートしたいという想いで事業を広げていきました。」
特徴的なのは、地域や企業との連携を生かした体験型の学びを提供していること。例えば、「競り体験」。地元で活躍する競り師を招いて、競りのルールを覚えた子どもたちが“アユをいくらで競るか”を考え、模擬競りに挑戦する。ただ競り落とすだけでなく100円で競り落としたアユをどう加工すれば、いくらで売れるかを考え、「塩焼きにすれば500円で売れる」など、その先のことまで考えビジネスを遊びながら楽しく学んでいる。
「小学生は学校にいる時間が約1202時間くらいなんです。でも放課後の時間は年間1660時間あると言われていて、実は放課後の方が長いんですよ。だからこそ、あずける親が安心できるのはもちろん、子どもたちが豊かな体験ができる場所にしたかったんです。」
興味のあることを自ら探求し、ときに失敗し、やがて自分の言葉で表現する。そんな学びの積み重ねを通じて、子どもたちは自分と社会のつながりに少しずつ気づいていく。民間の学童だからこそできる自由な発想で社会と子どもたちをつなぐ。それがヒトノネの原点であり、これからも変わらない信念だ。

②親も子も「選べる未来」を作りたい。
篠田さんはヒトノネの立ち上げには、自身のライフステージの変化と、それに伴う体験が大きく関わっていると話してくれた。
「前職は広告制作関連の企業に勤めていました。
岐阜県は全国でも女性管理職の割合が低く、その背景には子育てと両立できる就業環境の選択肢が少ないことがあるという。
「キャリアが分断されれば、その先にある管理職やリーダーのポジションは遠のいてしまいます。まずは“辞めない”環境をつくりたい。短時間でも働き続けられれば、ロールモデルは少しずつ増えていくはずだと思ったんです。」
また前職で新卒採用の広報に携わり、多くの企業や学生と向き合った経験も、ヒトノネの構想に影響を与えた。
「就活の現場では、有名企業や安定といった基準で、進路を決める学生も多かったんです。でも入社後にミスマッチで、早期退職したり、心身を壊してしまったりするケースも少なくありません。もっと早い段階から、選択肢を広げてあげれれば、安定だけで選ばず、「こんな働き方したい」や「あんなかっこいい大人になりたい」など、将来の選択肢を広げられると考えたんです。」
どんな子も自由なキャリアを描けるような場所にしたい。そして女性が子育てのためにキャリアをあきらめない地域にしたい。そんな篠田さんの強い想いが、ヒトノネの誕生につながった。

③ヒトノネが描く2つのビジョン
ヒトノネでは設立当時から大切にしているビジョンがある。その一つは、「その人らしく自立していけること」だ。
「例えば勉強ができて、いい成績を取って、いい大学に進学して、いい会社に就職してという、いわゆる一般的には成功だと思いがちなルートがありますが、それがすべての子にとって幸せだとは限らないと思うのです。」
ヒトノネには不登校や発達特性を持つ子など、さまざまな背景の子どもたちが訪れる。けれど、彼ら・彼女らだけが特別な存在なのではなく、すべての子どもにとって“その人なりの自立”は違う形であると考えている。
「社会の広さを知って、自分で選んで、自分の意志で進路を選べるか
そして、もう一つのビジョンは「多様性を認め合うこと」。
ヒトノネに集まる子どもたちはもちろん、スタッフも個性豊かだ。教育免許や精神保健の専門資格をもつ人、ユニークな特技を持つ人、人生経験が豊富な人など、さまざまな個性を持った大人が、子どもたちのすぐそばにいる。
「社会は本来、多様な人たちで成り立っているはずだと感じています。うちのスタッフだけを見ても個性はそれぞれ全く異なりますし、感性も同じ人はいません。ですが、学校教育の場ではなぜか画一的で…。同じでいることを求められるんです。私は小さな頃から、お互いにできることできないことを認め合いながら、助け合いながら育っていく場が必要だと思っています。」
その想いは日々の取り組みにも表れている。学童保育には市民講師が多く訪れる。魚屋、和菓子屋、理科の先生、鷹匠など、夏休みには地域のプロフェッショナルによる体験型プログラムがぎっしり詰まっている。
子どもたちは様々な経験を積むなかで、「ワクワクした」「苦手だと思っていたけど、意外に面白かった」など、貴重な経験をストックしていく。

④日々の小さな変化が、自立への一歩になる
ヒトノネでは、日々小さな変化が生まれている。ここに通う男子生徒もその一人だ。彼がヒトノネと出会ったのは、学校には通ったり通わなかったりと不登校気味の日々を過ごしていたころだった。
「きっかけになったのは、クリエイターズクラブでした。10代のためのアトリエのようなこの場所には、美術や音楽が好きな子たちが自然と集まります。何かをしなければいけない決まりはなくて、ただ“いてもいい”場所として提供しています。彼も、保護者のすすめでふらっと立ち寄ってくれてこの場所が気に入ってくれたようで、そこから少しずつ通ってくれるようになりました。」
職員とおしゃべりしたり、ほかの子となんとなく関わったりするなかで心の中に少しずつ変化が芽生えていった。その後、企画イベントの「森でのキャンプ」に参加したことがきっかけとなり、次の一歩を踏み出すこととなる。
「このイベントは中学生、高校生、年齢も背景もバラバラな10代”が集まり、焚き火を囲んで語り合う。というイベントでした。その中で、大学生の参加者と話し、彼の中に自分の将来のイメージが浮かんだようでした。」
その後、彼は「誰かに言われたから」や「みんながやっているから」ではなく、「自分が決めたから、自分がやりたいから」と学校に通い始め、自分の将来にも向き合うようになったそうだ。この変化は、まさに“自立の一歩”だと篠田さんは嬉しそうに話してくれた。
「不登校の子にとって“定期的に通う場所がある”というのは、大きな一歩であり大きな意味があるんです。社会に出れば、どこかに行き、誰かと関わり続けることが必要になる。その練習として“通う”ができたのは、大きな前進なんです。」
彼に一歩を踏み出せたのは、教師ではなく“少し先を行く年上”の存在だった。
「教育の世界では“斜めの関係”と呼ばれています。兄弟や教師のようでもない存在で、特に中学生・高校生にとっては、自分の将来をイメージするきっかけになる存在なんです。」
年齢や立場を越えて、誰かとつながれること。そして、自分で「こうしたい」と決めて動き出すこと。そのすべてが、子どもたちにとっての「自立の種」になっている。

⑤ヒトノネを未来につなげるために。
今後「ヒトノネ」は現在の4事業の質をさらに高めながら、拠点の拡大も視野に入れているという。特に力を入れていきたいのが、10代のためのユースセンター「クリエイターズクラブ」だ。
「岐阜市内ではフリースクールなどの選択肢はあるものの、「何かをしなくてもいい場所」としてのユースセンターはまだ少ないんです。なので、これからはもっと、増やしていきたいと考えています。」
このユースセンターは、美術や音楽など、好きなことを自由に楽しめる空間だ。ただ「いてもいい」場所があることは、10代の心にとって何よりの支えになる。
ヒトノネは7年目を迎え、一期生は大学生になった。卒業しても遊びに来て、ボランティアとして関わってくれている子も多い。
「卒業後も会いにきてくれるので、本当に嬉しいです。そんな卒業生とのつながりも、現在通ってくれている子や私たちに大きなチカラを与えてくれているんです。」
と篠田さんは笑顔で語る。
子どもたちにとって、安心して“いられる”場所があること。年齢も背景も違う誰かと出会い、心を開き、自分の未来を想像すること。それは、学びの延長でも、支援の一環でもなく、「生きる力を育てること」そのものなのかもしれない。
ヒトノネの挑戦は、まだはじまったばかり。これからも、小さな「自分らしい一歩」を、子どもたちとともに育んでいく。

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