“歯科医”と“レーサー”、ふたつの顔を持つ院長がいる「すずらん歯科医院」を訪ねてみた。





地域に根ざした診療を行いながら、なんとプライベートではレースチームの指導をしている院長がいるという。 ふたつの顔を持つ院長の季羽 江(きば こう)さんにお話をうかがった。
- すずらんに込められた想い
- レーサーと歯科医の意外な共通点
- 好きなことを突き詰めたらこの地に辿り着いた。
- 日々の積み重ねが、20年を超える信頼へ。
- 技術と情熱を次の世代へ。
①「すずらん」に込められた想い
「すずらん歯科医院」この可憐な名前の歯科医院には、ちょっと意外な名付けの背景があった。名付け親は、元レーサーという異色の経歴を持つ院長の季羽さんだ。
「歯科医院って“〇〇歯科”と名字をそのまま使うところが多いんですが、“季羽歯科”って読めない方が多いし、“キバしか”って響きが、ちょっと怖い感じがして(笑)」
と笑いながら話してくれた季羽さん。実は10代半ばから20代にかけて、モータースポーツの世界にどっぷり浸かっていた。鈴鹿の耐久レースやジムカーナに出場し、ジムカーナでは全日本選手権の舞台にも立った。
「1990年頃からセミプロのような形で走っていました。スポンサーからタイヤなどの提供を受けて、北海道から関東まで全国を転戦していました。当時は勤務医だったので、金曜の夜に出発して、土曜日、日曜日にレース。遠方は月曜日の朝帰ってきて、そのまま診療。という生活をしていました。」
そんな生活のなかで出会ったのが、“すずらん”という花だった。
「すずらんは北海道のレース会場でよく見かけたんです。清楚で瑞々しくて、可愛い花で、癒されるなあと感じたんです。」
「さくら歯科」や「ひまわり歯科」なども候補に挙がったが、どれも既に多くの医院で使われていた。親しみやすく、覚えやすい、そしてどこか個性のある名前を……と考えた末に「すずらん歯科医院」に決まったという。
「すずらんの花の形が、人の歯の形に似ているんですよ。そこにもなんとなく縁を感じました。」
モータースポーツと花の記憶が形となり、医院名に残されていることが心に響いた。


②レーサーと歯科医の意外な共通点
レースに魅了された季羽さんは、なぜ歯科医師の道を選んだのだろうか。その理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「高校生の頃は、将来バイクのレーサーになりたいと思っていたんです。でも父から『それは厳しいぞ』と言われて。大人の目から見れば現実的じゃなかったんでしょうね。そのうえで『バイクをいじるくらい手先が器用なんだから、手に職をつけると良いんじゃないか』と勧められて、歯科大学に進むことになったんです。」
季羽さんのお父様は産婦人科医。基幹病院で勤務医として働き、その後は産婦人科、ペインクリニックを開業。地域医療に貢献し続けた人物だった。
「通っていた高校は医学部に進む生徒が多かったんですが、僕はひたすらバイクいじりに熱中していました。その分、手先は自然と器用になっていて、父の助言もすんなり受け入れられたんです。」
お父様からの助言もあり、季羽さんは医歯薬系の学部から歯学部を選んだ。本人はなんとなく“天職”だと感じたと話してくれた。
「歯科はとにかく細かい作業の連続なんです。金属を削り、加工し、歯に合わせて部品を組み合わせていく。まるで刀鍛冶のようだと僕は思っています。さらに口の中の手術も非常に繊細で緻密な作業です。だからこそ、手先の器用さが欠かせないんです。」
小さなきっかけから始めた道を、30年以上歩み続けてきた院長。その姿は、常に自分の技術を磨いてきた熟練職人という言葉がぴたりと似合うと感じた。
③好きなことを突き詰めたらこの地に辿り着いた。
季羽さんの出身は愛媛。縁もゆかりもない大垣に開業した理由もまた“好き”がキーワードだった。
「岐阜と大阪、どちらの大学にも合格したんですが、三重に有名な鈴鹿サーキットがあるのですが、そこに近い岐阜を選びました。本当に趣味を優先させた進路選択でしたね。」
その後は静岡での研修を経て岐阜県内で勤務医となり、その病院の分院立ち上げにも携わる。その経験からいつかは自分の医院を開業したいと、具体的に考え始めた。
「車のメンテナンスでよく通っていたのが大垣の店だったんです。自然も多く、住みやすくて、土地勘もありましたし、僕の妻が愛知出身だったのもあり、大垣での開業を決めました。」
開業の地を大垣に選んだのは、趣味も仕事も、そして家族も大切にしたいという想い。その“好き”の延長線上に、大垣があったからなのだろう。


④日々の積み重ねが、20年を超える信頼へ。
2002年開業から20年以上が経つすずらん歯科医院。保育園、幼稚園、小学校の学校医も務め、この地域に暮らす人々の歯の健康を守る“かかりつけ医”となっている。
「カルテの通し番号で言うと患者さんは1万人を優に超えています。ありがたいことにリピーターが多く、全体の9割くらいの方がうちに通ってくれています。もちろん新しく来られる患者さんもいらっしゃいますが、紹介や継続の方が多いです。」
このように地域に根づく存在になるまでには、長い時間と信頼の積み重ねがあったという。
「うちだけに限らず、経営って最初の2年くらいは大変なんですよ。僕は地元じゃないので人脈があったわけではないんです。なので、開業当初はほんとに患者さんは少なかったんです。でも一人ひとりを丁寧に診ることを続けて、少しずつ増えていきました。」
「丁寧に診ることを重ねる」。そのシンプルで当たり前のことを誠実に貫くことが、やがて医院の評判につながっていった。地域での信頼を築き上げてきた今、ご自身の“強み”をどう捉えているのか。
「診断力や治療技術に自信はあります。長くやっていると、ぱっと見て、これはこうだねとわかるようになる。積み重ねた経験が支えてくれます。」
「ぱっと見てわかる」というのは、魔法のようだが、数えきれないほどの診療経験があってこそ得られるものだろう。
「私は、30代はひよこ。知識はあってもまだまだ経験が浅く軽くみがち。40代でやっと全体が見えてきて、50代の今が、一番脂がのっている時期ですね。技術・知識・経験のバランスがいいと感じています。」
すずらん歯科医院は、虫歯や歯周病の治療から矯正治療、0歳からの小児歯科、ホワイトニング等の審美歯科、口腔がん等の各種検診までオールラウンドに地域の患者さんの様々な歯の悩みに対応している。
「幅広い年代の患者さんにお越しいただいていますが、保育園や幼稚園、小学校の歯科医も務めていますのでお子さんの来院が多いですね。開業当時に通ってくれていたお子さんが今はお父さん・お母さんになって、お子さんを連れて来てくれるんです。」
“親から子へ”と患者が2代、3代と通い続ける。それは、医院の信頼と誠実な歩みの証しだ。
⑤技術と情熱を次の世代へ。
これから先のことについて伺うと、院長は静かにこう語ってくれた。
「目安としては、あと5年を一区切りに考えています。50代、60代を走り切って、次の世代につなげられたらと思っています。実は僕の息子も歯科医になって、他院で研修しているんです。しっかり外で学んで見聞を広げてほしいと思っています。」
開業医としての引継ぎの時期を冷静に見つめつつ、その一方で、現役であるうちは全力で走り続けている季羽さん。特に歯科の世界は、近年めざましく技術が進化している。
「今は歯型取るのもCADを使うんです。スキャナーで口の中を読み取って、3Dのモデルをパソコンで作って、それを元に詰め物やマウスピースを作るんです。機材一式でかなり高額になりますが、うちはいち早く導入しました。」
こだわっているのはデジタルだけに任せず、人の感覚を加えること。
「CADシステムはすごく便利なんですが、人の口内は複雑で噛み合わせが完璧とは限らないので、最終的に調整して、機能させるのは僕らの仕事だと思っています。人間の手の感覚ってやっぱり大事だと思っています。だから常に技術を高めることが必要なんですよ。」
ベテランの域に達した今でも最新機材に果敢に挑み、現場に導入している季羽さんが患者さんから言われて、とても嬉しい言葉がある。
「『先生の所は、人気で予約が取れんで困るわ』と言っていただいたんです。申し訳ないと思う反面、とても嬉しかったです。頑張ってきて良かったと心から思いました。」
季羽さんは、現在もレース活動を続けている。ただし、選手としてではなく、次世代の育成や指導の立場だ。
「いまは模範で走って、チームの子たちに教える立場ですが、マシンをしっかり整えたら、今でも全日本で上位に行ける自信はありますね。ただ今は、若い子に任せた方がいいと思っています(笑)。」
歯科診療もレースも、道具を操る手と感覚、そして情熱がものを言う世界。“技術を磨き、次世代に引き継いでいく”という姿勢は、歯科医としてもモータースポーツの指導者としても同じ。季羽さんは、ふたつの道を全力で走り続けながら、今日も患者さんと向き合っていく。

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