表現者のためのサードプレイスを創る「ニュー銀座堂」を訪ねてみた。





Z世代の表現者たちが自由に作品を発表し、同世代のアーティスト同士が交流できる貴重な場所として注目を集めている。今回は、代表の渡邉 百恵(わたなべ ももえ)様にお話をうかがった。
- 前店舗の看板をそのまま受け継いだ温かい物語
- 軽やかな発想から生まれた、表現のための空間
- 岐阜県美術館が認めた、“場所”としての価値
- アートと人をやさしくつなぐ、自由なギャラリー
- 直感で生き、自然に帰る。自由な表現者の行き先
①前店舗の看板をそのまま受け継いだ温かい物語
「ニュー銀座堂」という印象的な店名には、心温まる物語が隠されている。渡邉さんがこの場所を借りることになった時、もともとこの場所で営業していた靴屋の立派な看板が残っていた。
「この店舗はもともと、靴屋さんの空き店舗だったんですよ。その時の店名が“ニュー銀座堂”で、看板も豪華でしっかりしたものがあったんです。これを下ろして捨ててしまうのはもったいないなと思って。」
看板は可愛らしいデザインで、地域の人々にも馴染み深いものだった。当時の渡邉さんは開業資金が限られており、新しい看板を作るのも大きな負担になる。
「いい名前でかわいい看板だから、このまま譲っていただけたら嬉しいなとお願いしました。ありがたいことに、無事に譲ってもらえたんです。」
資金面での助けになったのはもちろんだが、それ以上に前店舗への敬意と、長年この地域で愛されてきた名前を受け継ぎたいという想いがあった。
現在では、この「ニュー銀座堂」という名前は、若手アーティストたちの拠点として新たな意味を持ち、柳ヶ瀬の街に根付いている。
かつて靴屋の顔だった看板は、今や表現者たちの夢を照らす象徴として輝き続けている。
2周年の際にニュー銀座堂前で記念撮影 / 撮影 田中天
2024年11月 Mana Umezawaさんの個展
②軽やかな発想から生まれた、表現のための空間
ニュー銀座堂の始まりは、渡邉さんの何気ない一言からだった。当時は友人とともにカフェ「ひとやすみ」を立ち上げたばかり。そんなある日、ニュー銀座堂が空き店舗になることを不動産会社から耳にした。
「不動産の方から『空き店舗になるから何かしてみない?』って言われたんです。冗談半分だったし、その時は飲食店を小さく始めたばかりだったので、『できないよ〜』って笑いながら答えたんです。」
軽い冗談のつもりが、話しているうちに少しずつ現実味を帯びてきた。最初は断るつもりだったが、周囲にいた芸術系の友人たちの存在が、渡邉さんの背中を押すことになる。
「自分にもやりたいことはいろいろありました。でも、この店舗を使って一人でできることを考えたとき、誰かに活用してもらえる場所にしたら面白いかもと思ったんです。当時は芸大生や独自でアート活動をしている友人がいたので、その子たちにお願いしようかなと。本当に軽い気持ちで始めたんです。」
渡邉さんには、高校時代から演劇を続けてきた経験があり、表現する喜びを知っていた。だからこそ、芸術を諦めてしまった人や、まだ発表の場を持たない人たちを見て「もったいない、世に出した方がいい」と感じ、この場所を提供する決意に至ったのだ。
2023年夏 柳ヶ瀬商店街のアーケードをアートにする企画に携わった作家たち
③岐阜県美術館が認めた、“場所”としての価値
2022年12月にスタートしたニュー銀座堂は、わずか3年で岐阜県美術館からも注目される存在へと成長した。2024年5月には、美術館の展示枠を超えた特別企画「アーティスト・イン・ミュージアム」に招かれるという快挙を成し遂げた。
「2025年の4月には、岐阜県美術館の企画にお招きいただいて、公開制作や展示を行いました。通常はアーティスト本人にフォーカスする展示企画なのですが、今回は初めて“ニュー銀座堂”という場所そのものが呼ばれたんですよ。」
この招待は、ニュー銀座堂という「場」が持つ価値が認められた証だった。
「ここで生まれている出会いや交流、空気感が、地域にとって大切な役割を果たしていると評価していただけたのだと思います。地域と美術、両方の観点から見ても意味があると認められた結果、今回の展示につながったのだと感じています。」
展示では、「美術は作るだけでも、見るだけでもない」という新しい視点を提示。“話すこと”や“寝ること”も美術かもしれない─そんな自由度の高い企画を実施し、来場者に新しい美術の可能性を感じさせた。
ニュー銀座堂は、毎月展示が変わるペースで運営され、若手アーティストに1か月単位で展示スペースを提供している。売上は100%作家に還元し、場所代のみをいただく仕組みで、経済面からもアーティストを支えている。
こうしてニュー銀座堂は、地域に根ざしながら若手アーティストを支え、新しい美術の形を発信し続けている。
岐阜県美術館の企画の顔合わせ / 撮影 宮本奏詩
岐阜県美術館の前で企画に協力してくれた作家たちと記念写真
④アートと人をやさしくつなぐ、自由なギャラリー
ニュー銀座堂の最大の特徴は、「表現者のためのサードプレイス」というコンセプトだ。渡邉さんは、創作者が抱える孤独感や、評価されることへの不安を和らげられる場所をつくりたいと考えている。
「デザイナーさんでも作家さんでも、大体は一人で作品と向き合う時間が多くて、誰とも喋らないまま1日が終わることなんて当たり前なんですよ。気づいたら、自分と作品だけの世界になっていて、外とつながれなくなってしまう。そんな悩みを解決できる場所でありたいんです。」
この場所では、学校での成績や先生の意見に縛られることなく、ただ純粋に「自分が表現したいこと」を形にできる。
「やっぱり学校に通っていると、ルールや課題に縛られたり、先生の評価が基準になってしまうことも多いと思います。ここは誰にも評価されず、ただ好きなことをやってもらう場所。私自身は芸大出身でもないし、芸術に特別詳しいわけでもないので、純粋な気持ちで接せられているのかなと思います。」
展示の自由度は高く、壁一面にテープを貼って空間全体を演出する作家もいる。通常のギャラリーでは難しいような大胆な表現も、ここでは歓迎されるのだ。
さらに、この場所はアート活動の場にとどまらず、人と人をつなぐ出会いの場にもなっている。
「作家さん同士で結婚したこともあります。ここで知り合って、友達になって、一緒に美術館に行ったり・・・。そんな関係がここからいくつも生まれていて、それも素敵だなと感じています。」
ここで生まれる交流は、作品制作の枠を超えて、人生そのものに彩りを与えている。評価や制約から解放された空間だからこそ、表現も人の関係も、のびやかに広がっていく。
2022年12月 立ち上げに大きく関わってくれた作家たちの記念撮影
⑤直感で生き、自然に帰る。自由な表現者の行き先
渡邉さんの将来への考え方は、ユニークでどこか哲学的だ。現在25歳の彼女は、「最終的には農業に行き着くだろう」という壮大な人生観を持っている。
「最後は全員、農業に行き着くと思っているんです。創作活動も、元をたどれば水の流れの面白さとか、山の木の色の違いとか──全部自然から生まれたものだと思うんですよ。自分が農業高校だったのもありますけど、結局はみんなで田んぼを耕して、1年かけて作るお米が一番おもしろいんです。」
この考えの背景には、暮らしと表現が密接に結びついているという深い洞察がある。
「生活の中から民芸が生まれたりするから、暮らしは雑にしちゃダメだよねって思うんです。そう考えると生活はどんどん丁寧になっていくし、最終的には農業に行き着く。不思議ですね。」
実際に渡邉さんは、柳ヶ瀬から山のふもとへ引っ越し、庭のある家で野菜を育て始める予定だ。ニュー銀座堂の将来については、明確なゴールは決めていない。
「老舗になるつもりはさらさらないんです。いつかは“幻ぐらいの伝説”としてきれいに終わらせたい。継承するのか、畳むのか、新しい形に変えるのか──まだわかりませんが、その時々の直感に従って決めたいです。」
現在も「その日暮らし」の感覚で運営を続けているが、予想以上に地域から愛される場所となり、嬉しい悩みも増えた。
「自分が想定していたより、気軽に辞められないところまで来ちゃったんですよね。」
自由に表現したい若手アーティストや、新しい出会いを求める人は、ぜひニュー銀座堂を訪れてみてほしい。渡邉さんの温かな人柄と自由な発想が、きっと新しい発見と出会いをもたらしてくれるだろう。
2025年5月 渡邉百恵 / 撮影 宮本奏詩
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