“マッハ対応”で信頼を築く町のスポーツ店「マッハスポーツ」を訪ねてみた。





黄色の看板が印象的な地域に寄り添うスポーツ店だ。今回は、代表取締役の菱田 健一郎(ひしだ けんいちろう)さんにお店を引き継いだ経緯や今後の展望についてお話をうかがった。
- 迷いながらも歩き出した、家業への一歩
- マッハに込めた3つの想い
- 世界に一つだけのユニフォーム
- スポーツで地域とつながる
- マッハパークに描く未来地図
①迷いながらも歩き出した、家業への一歩
マッハスポーツは、菱田さんのお父様が1988年に創業したスポーツ用品店だ。
菱田さんが家業を継いだのは、19歳のときだった。もともとお店を継ぐつもりはなく、高校卒業後は別の道へ進む予定だったという。
「高校3年生のときは和菓子職人を目指していて、就職先も決まっていたんです。でも父が体調を崩したことをきっかけに、考えを改めました。近所のスポーツ店で4カ月ほど修行し、そのまま店を引き継ぐことになりました。父が亡くなって、自分がやるしかないと思いました。」
突然お店を継ぐことになり、不安はなかったのだろうか。
「今考えると、当時は本当に行き当たりばったりでした。やめたいと思うことも何度もありました。でも、心のどこかには“続けたい”という気持ちがずっとあったんです。」
菱田さんが歩みを止めずにこられたのは、お父様から受け継いだお店を自分の代で絶やしてはいけない、という強い意志があったからだ。
「ただただ、続けることだけを念頭に、皆さんに支えていただきながら頑張ってきました。何事も“続ける”という強い気持ちを持つことが大切だと思います。」
父から子へ受け継がれた想いは、今もマッハスポーツの中で静かに息づいている。

②マッハに込められた3つの想い
「マッハスポーツ」。勢いがあって、耳に残る店名だ。先代であるお父様が名付け親だが、その名前にはどんな想いが込められているのだろうか。
「3つの理由があります。ひとつ目は、近隣にあった繁盛店のようになりたいという願いから、似た響きの名前を考えたこと。ふたつ目は、父が大好きだったアニメ『マッハGoGoGo』への憧れ。三つ目は、音速を意味する“マッハ”にあやかって、“スピード対応”を表したかったことです。」
店名に込められた“速さ”というキーワードは、現在の菱田さんの仕事の姿勢にもそのまま受け継がれている。見積もりや問い合わせへの返答はもちろん、納期に関する連絡までもが驚くほど早い。あまりのスピード感に、初めて利用したお客様が驚くことも少なくないそうだ。
「電話やメール、チャットでのやり取りなど、どんな連絡もできる限り早くお返しするように心がけています。商品によっては入荷に時間がかかる場合もありますが、その間もこまめに状況をお伝えし、不安を残さないようにしています。やり取りの速さは、お客様との信頼につながると思っています。」
その真っ直ぐな対応力こそが、マッハスポーツの信頼を支える大きな柱だ。お父様が名づけた店名を背に、菱田さんは今日も変わらぬスピードと誠実さで、お客様一人ひとりと向き合い続けている。
③世界に一つだけのユニフォーム
現在のマッハスポーツは、在庫を極力持たず、注文を受けてから商品を取り寄せるスタイルで効率化を図っている。そしていま、特に力を入れているのがオリジナルウェアづくりだ。
「オリジナルのTシャツやユニフォームを作りたいというニーズをすごく感じています。野球やサッカークラブはもちろん、企業の作業服やイベント用のポロシャツなど、幅広くご依頼をいただいています。」
マッハスポーツのオリジナルウェアは、チームや企業の想いに合わせてプリントや刺繍などすべてに対応するフルオーダー。ひとつひとつの注文に丁寧に寄り添い、理想の形を一緒に探していく。
「オリジナルウェアは、世界に一つだけの特別なものです。お客様と一緒に考えながら作り上げていく過程にやりがいを感じています。理想が形になる瞬間は、なにより嬉しいですね。」
デザイン提案から発注先との調整まで、菱田さんは自ら手を動かしながら、唯一無二の一着をつくり上げていく。

④スポーツで地域とつながる
小学校・中学校では野球、高校ではサッカーに打ち込んだ菱田さん。今では、輪之内スポーツクラブ副理事長、ノルディックウォーキング連盟講師、複合スポーツ少年団監督、スポーツ推進委員、輪之内町商工会青年部理事など、多くの立場で地域のスポーツ活動に関わっている。
「隔週で町内のさまざまな場所を回りながら、ノルディックウォーク教室を開いています。ノルディックウォークは、杖のようなポールを使って肘を後ろに引くことを意識しながら歩く運動です。誰でも気軽にできて、体にもやさしいんですよ。地域の方々とのつながりは、これからも大切にしていきたいと思っています。」
また、複合スポーツ少年団ではキックベースやサッカーなど、子どもたちがいろいろなスポーツに触れる機会をつくっている。
「小学生のうちにさまざまな競技を経験することで、自分に合ったスポーツを見つけやすくなると思います。中学や高校、そして大人になってもスポーツを楽しめるようになってほしいですね。」
菱田さんの活動は、単なる競技指導にとどまらない。スポーツを通して人と人をつなぎ、地域全体を元気にしていく。そんな温かな輪が、少しずつ、町の中に広がっている。
⑤マッハパークに描く未来地図
無我夢中で始めた経営も、今では一つひとつを丁寧に考えるようになったという菱田さん。次の目標を尋ねると、「輪之内町に総合スポーツ施設をつくること」だと教えてくれた。
「輪之内町には、まだ十分なジムや体育施設がありません。将来的にはマッハスポーツが中心となり、“マッハパーク”のような総合施設をつくりたいと考えています。柔道場やバスケットコート、スイミングジムなどを備えて、子どもたちがスポーツを通して成長できる環境を整えたいですね。」
地元でプロ選手が一人でも生まれれば、町全体の活性化へもつながる。そのきっかけを支えることこそが、菱田さんが目指す未来だ。
「スポーツを通して子どもたちの成長を支えたいという気持ちがあります。子どもたちが夢を持ち続けること、そしてその姿が町の活気につながること。それが、僕たちの存在価値になると思っています。」
また、菱田さんは個人としても、新しい発信の形を模索している。
「有名になりたいわけではないのですが、普通のスポーツ用品店でもSNSを通じて面白い発信ができたらと思っています。たとえば自分のランニングの様子を投稿したり、地域の出来事を紹介したり。お客様とつながる新しい形を探しているんです。」
19歳で家業を継いでから、常に“自分で考え、行動する”ことを積み重ねてきた菱田さん。けれど今は、一人でやりきることの限界も感じ始めているという。
「やはり、自分ひとりの力では届かないこともあります。だからこそ、仲間や地域の皆さんと協力しながら、新しいことを生み出していきたいと思っています。」
静かに語る言葉には、素直な悩みと同時に、確かな希望がにじんでいた。19歳で受け取ったバトンは、時を経てさらに強く、太くなり、次の世代へとつながろうとしている。
菱田さんの好きな言葉は「日進月歩」。地域のスポーツを支え、未来を育てる“マッハ”の挑戦は、これからも止まらない。小さな一歩の積み重ねが、やがて町の大きな力になると信じている。

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