建設業
揖斐川町

恩返しの精神で揖斐川の未来を拓く「株式会社久保田工務店」を訪ねてみた。

恩返しの精神で揖斐川の未来を拓く「株式会社久保田工務店」を訪ねてみた。
TOM
TOM
今日の最高気温は18度!ボクにはハッキリと見えている…!
SARA
SARA
へぇ、すごいわね。じゃあ明日は?
TOM
TOM
明日は...晴れ時々曇りで、最高気温は15度!どう?ボクの先見の明!
SARA
SARA
先見の明じゃなくて、さっき見てた天気予報の情報ね・・・
揖斐郡揖斐川町に本社を置く「株式会社久保田工務店」をご存じだろうか。
地域インフラを支える「土木のプロフェッショナル」として、長きにわたり岐阜の発展に貢献してきた。今回は、代表取締役の久保田 智也(くぼた ともや)様と、工務部 管理課の若山 忠仁(わかやま ただひと)様にお話をうかがった。
今回のツムギポイント
  • 機械化を先取りした、開拓者の精神
  • 継承の覚悟と「人」を活かす経営
  • 地域貢献を具現化する異分野参入
  • 「直感」を信じ、感謝を次世代へつなぐ

①機械化を先取りした、開拓者の精神

 

岐阜県の西部に位置する揖斐川町。この豊かな自然に恵まれた地域で、創業から70年を超える歴史を刻む企業がある。それが、株式会社久保田工務店だ。同社は、道路やダム、橋梁といった地域に不可欠なインフラ整備を一手に担う「総合建設業」として、長きにわたり岐阜の発展を支えてきた。

 

久保田工務店の歴史は、御曽祖父様が設立した「揖斐土木建築工業株式会社」に遡る。まだ揖斐川町に「建設業」という概念が定着していなかった時代、地域で必要とされるインフラ整備を、先駆者として担い始めたことが原点である。

 

その後、御祖父様が本家からのれん分けの形で久保田工務店を設立した。そして、同社の運命を決定づける重要な転換期が訪れた。それは、機械化へのいち早い着手であった。

 

「祖父は建設機械に強い関心を持っていたそうです。まだ重機が普及していなかった時代に、いち早くブルドーザーを導入したことが、当社の大きな転機となりました。『これからは必ず機械で作業する時代が来る』という確信のもと、機械化に注力し、事業を拡大していきました。」(久保田社長)

 

これは、久保田工務店が単なる土木会社ではなく、時代を先取る技術革新を重んじる企業であったことを示している。そしてこの機械化への注力が、現在の高い技術力の礎となったことは間違いない。

 

創業当初から、同社が手掛けるのは砂防ダムや新道建設といった公共性の高い仕事が中心であった。これは、地域社会と密接に関わり、その発展に貢献することを会社の使命としてきた証である。

 

「創業時から、地域を非常に大切にしていたことは間違いありません。祖父の代から続く、この地域を重んじる姿勢は、今も父や私自身に強く受け継がれていると感じています。」(久保田社長)

 

長年にわたる地域への誠実な仕事ぶりと、先代たちが築いてきた揺るぎない信頼が積み重ねられ、創業から76年目を迎える現在も、久保田工務店は揖斐川町のインフラを支える要であり続けている。

 

②継承の覚悟と「人」を活かす経営

 

久保田社長が家業を継ぐ決意をしたのは高校時代。医者になりたいという夢を持ちながらも、家業を継ぐ道を選んだのは、会社への深い「感謝」と「恩返し」の思いからであった。

 

「私自身の生活も、この会社があってこそ成り立っています。代々、社員のみなさんがつなげてきてくれた会社ですから、それを守り、未来へつなげていきたいと思いました。」(久保田社長)

 

大学卒業後、すぐに同社には入社せず、岐阜県内の大手建設会社で8年間の修業期間を積み、技術者としての基盤を築いた。

 

久保田社長は、自社の強みは技術力そのものよりも、それを支える「人」と「雰囲気」にあると断言する。

 

「もちろん最高の品質を追求していますが、技術力の指標は上を見ればキリがありません。それよりも、私はこの社内の『人』と『雰囲気』にこそ揺るぎない自信を持っています。当社の真の強みは人間力だと考えているので、学生さんには説明会よりも、ぜひ一度社内の様子を見に来てほしいと伝えています。」(久保田社長)

 

同社には、風通しが良く「自由度が高い」社風が根付いているという。久保田社長は、社員が主体的に動ける環境を整えることで、組織全体の人間力と活力を高めている。

 

「当社には元々、フラットで風通しの良い組織文化があります。その良い部分は活かしつつも、規律は守る。社員を過度に束縛せず、社員一人ひとりの裁量が活きる自由度の高い会社を目指して経営を続けています。」(久保田社長)

 

「新しいプロジェクトが立ち上がると、自然とリーダーシップを発揮する者が現れ、みんなが一丸となって目標に向かえる一体感も当社の魅力です。」(若山さん)

 

この信頼に基づく風通しの良さが、社員の人間力を引き出し、久保田工務店の最大の競争力となっている。

 

③地域貢献を具現化する異分野参入

 

地域社会との関係を深める久保田工務店の取り組みは、本業の建設業の枠を超えて新たな領域へと踏み出している。その象徴が、揖斐川町から依頼を受けた道の駅「夜叉が池の里さかうち」の指定管理運営である。

 

建設業が中心の同社にとって、一般のお客様と直接関わるBtoC事業への参入は大きな挑戦であった。しかし、久保田社長はこれに積極的な意義を見出している。

 

「普段、私たちはお客様の声を直接聞くことはほとんどありません。そのため、道の駅のようなBtoC事業は、多様な視点を得る良い機会だと感じています。また、経営理念に掲げた『地域社会の発展に貢献する』という部分では、地域の方々に明確に示すことができたという手応えがあります。」(久保田社長)

 

道の駅運営は、単に収益事業としてだけでなく、地域産品の販売促進やイベントを通じて、地域社会を活性化させる重要な役割を担っている。言葉で地域貢献を掲げるだけでなく、実際に活動し続けることで、地域住民からの認知度も向上し、その存在を少しずつ広めている。

 

道の駅以外にも、ジビエ解体施設の指定管理、キッチンカー事業、空き家を活用した事業など、次々と新しい事業の種を蒔いている。

 

「今後の目標として、新たな事業の柱を確立することを目指しています。現在の建設事業に加えて、本体から切り離されても自立できる収益事業を育てることが、久保田工務店をさらに盤石にし、未来へ守っていくことにつながると考えています。」(久保田社長)

 

久保田社長が考える地域貢献と繋がる『事業多角化』は着実に形となっているのだ。

 

④「直感」を信じ、感謝を次世代へつなぐ

 

久保田社長が最終的に目指すのは、「久保田工務店を未来へつなげていく」こと。社長という地位に固執せず、目標はあくまで会社への「恩返し」であり、「つなぐ」という使命感である。会社を強くするため、一族経営の形を変えることにも前向きだ。

 

「私は、将来的には創業家以外でも、生え抜きの社員が社長を務めるような、組織運営が盤石な会社を目指しています。誰が代表になっても久保田工務店という企業体が存続できるよう、組織力を強化し、未来へつなぐ形を作っていけたらいいですね。」(久保田社長)

 

この未来への道筋を描く上で、社長が重視するのは、「常に備える」姿勢と「直感」である。久保田社長は、自身の信念を次のように語る。

 

「長期の経営計画をカッチリと決めることはしていません。それよりも直感を大切にし、何か違和感があるときは実行しないという信念を持っています。うまくいく事業は、自然な流れで展開していくものだと考えているからです。」(久保田社長)

 

そして、チャンスが来た時のために、社長はひたすら備え続けている。

 

「新しい流れを掴むため、積極的にアンテナを広げ、多くの方々にお会いする機会を設けています。人との縁を大切にし、人脈を築いておくことが、未来の展開につながると思っています。」(久保田社長)

 

久保田社長のリーダーシップは、熱い使命感と、冷静にチャンスを待つ戦略的なマインドの組み合わせによって成り立っている。

 

揖斐川町のインフラを支え続けてきた久保田工務店の物語は、「地域に生かされ、地域に返す」という感謝のサイクルで織りなされている。久保田社長のリーダーシップのもと、本業の技術力という「幹」を強固にしつつ、道の駅運営や新規事業という「枝葉」を広げることで、地域社会にとって不可欠な存在であり続けている。

 

100年企業という節目に向け、久保田工務店が今後どのように事業の幅を広げ、揖斐川の地をさらに豊かにしていくのか。その挑戦とさらなる飛躍に注目したい。

 

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