子どもたちの未来を考えたいちごづくり「TOP A TOP」を訪ねてみた。
無農薬栽培にこだわり、安心して食べられるいちごを届けるいちご農家だ。今回は、代表の宮崎 雄代(みやざき ゆうだい)さんにお話をうかがった。
- レゲエへの想いが込められた店名
- ボランティアで知った地域の現状
- 子どもたちのために選んだ無農薬栽培
- いちごの可能性を広げる加工品づくり
- 安心安全ないちごを次世代へ
①レゲエへの想いが込められた店名
「TOP A TOP(たぱたっぷ)」という、少し印象的な名前。その由来を尋ねると、宮崎さんは自身のこれまでを振り返るように話してくれた。
「もともと、私自身がレゲエの歌い手をやっていたんです。最初はヒップホップの歌い手として活動していて、そこからレゲエに転身しました。」
宮崎さんは中学3年生の頃からヒップホップの歌い手として活動を始め、その後も音楽とともに生きてきた。
「葬儀屋で働いたり、地下格闘技をやったりしながら、ずっと音楽も続けていました。音楽を続けるために、働いているという感じでしたね。」
TOP A TOPは「たぱたっぷ」と読む。これはジャマイカで使われている言葉で、英語でいう「トップ」と同じ意味を持つという。
レゲエはジャマイカで誕生した音楽であり、ジャマイカの文化とレゲエ音楽の結びつきは深い。
「ジャマイカはもともとアメリカの植民地だった歴史があって、英語を自分たちの言葉として暗号化し、自分たちにしか分からない形で使う文化があるんです。」
その中で「たぱたっぷ」という言葉には、「上を目指す」「トップに行く」といった意味が込められている。
「いちごの業界でも、上を目指したいという気持ちを込めています。」
音楽に向き合い続けてきた人生。その中で育まれたレゲエへの想いと、「上を目指す」という姿勢が重なり、「TOP A TOP」という名前が生まれた。
レゲエやヒップホップは、今も宮崎さんの根本にある、大切な存在だ。
②ボランティアで知った地域の現状
いちご農家になる前は、クレーン車のオペレーターとして働いていた宮崎さん。当時から、いずれは自分でできる仕事をしたいという気持ちは持っていたが、なかなか答えは見つからなかったという。
「上の子が生まれるタイミングで、奥さんの実家がある富加町に引っ越してきたんです。初めて来る場所なので、自分も周りも、どういう人かわからない状態でした。」
地域とのつながりを作るきっかけになったのが、月に1回ほど行われていた花を植えるボランティア活動だった。
活動に参加する中で、宮崎さんは富加町のいちご産業が置かれている現状を知ることになる。
「ここは、もともといちご農家さんばかりの地域だったんです。今はただ山や田んぼが広がっているだけですが、昔はいちご農家が80軒以上あったそうです。」
しかし、宮崎さんが話を聞いた時点で、残っていたいちご農家はわずか4〜5軒。その事実に、強い衝撃を受けたという。
「話を聞いた瞬間に、いちごへの気持ちが一気に湧いてきました。」
その想いのまま、向かったのは富加町役場だ。
「何をしたらいいかも分からなかったので、とりあえず役場に行って、『いちご農家になりたいんですけど、何から始めればいいですか』って聞きました。」
行政を交えた話し合いが進む中、会議の前日になって初めて家族に想いを打ち明けたという。
「奥さんに話した時、さすがに最初は怒られました。でも、奥さん自身も将来的に自営をやりたい気持ちがあって、それならやってみたら、という話になりました。」
その後、岐阜県内のいちご新規就農者研修施設で1年間学び、平成30年6月1日、この富加町で就農することになる。
いちご農家が減っていった背景には、後継者不足と設備投資の問題があった。
「昔は今より暖かくて、暖房機も必要ありませんでした。でも今は寒くなってきて、設備投資が必要になった時に、高齢の方たちが続けられなくなったんです。」
現在は若い世代が中心となり、地域の中で新しい循環も生まれ始めている。
「昔やっていた方たちが、今は若い人たちの作業を手伝ってくれていて、そういう循環はすごくいいなと思っています。」
地域の人たちと関わる中で見えてきたのは、衰退だけではなかった。減ってしまったいちご農家の数、その背景にある現実を知ったからこそ、宮崎さんの中には「自分にできることは何か」という問いが生まれていった。
そしてその答えは、やがて「どう育てるか」という、いちごづくりそのものへと向かっていく。
③子どもたちのために選んだ無農薬栽培
宮崎さんのいちごづくりの大きな特徴が、無農薬栽培へのこだわりだ。
もともとは減農薬で栽培していたが、奥様の一言が転機になった。
「農薬を使う回数が2、3回くらいだったので、『それなら無しでもいけるんじゃない』って言われて、思い切って無農薬に挑戦してみました。」
無農薬にすると、やはり虫の被害は避けられない。
「葉っぱや新芽を食べられてしまうんです。特に新芽を食べられてしまうと、次の芽が出てこなくなってしまうので、そこで成長が止まってしまいます。」
それでも無農薬に挑戦した理由は、子どもたちの存在が大きかった。
「いちごの栽培における農薬使用量は他の野菜と比べて多いと言われています。それを子どもに食べさせるとなると、やっぱり気になってしまって。」
皮をむいて食べられないいちごだからこそ、残留農薬への不安は拭えなかったという。
「洗っても100%落ちるわけじゃないですし、洗いすぎると鮮度も甘みも落ちてしまうんです。」
無農薬栽培は大変な反面、思わぬ効果もあった。それが、いちごの日持ちの良さだ。
「涼しい場所に置いておけば、2週間はきれいな状態で持ちます。」
中には、1か月後でもきれいな状態だったという声もあり、無農薬であることが品質にもつながっていることを実感している。
安心して食べられること。その価値を、宮崎さんはいちごを通して届けている。
④濃姫にこだわり続ける理由
宮崎さんが栽培している品種は、岐阜県で最初に品種登録された「濃姫」だ。
一時期、他の品種にも挑戦したが、やはり濃姫が一番合っていると感じたという。
「自分たちにも、この土地の土壌にも、すごく合っているんです。」
しかし、濃姫を作る農家は年々減っている。
「作る人が少なくなっているからこそ、この品種を守り続けたいと思っています。」
現在は直売を中心にしながら、ケーキ屋などへの卸しも行っている。特に、オーガニックや食の安全に関心の高い層に届けたいと考えている。
いちごを使った加工品づくりにも力を入れている。中でも特徴的なのが、いちごのクラフトコーラだ。
「企業さんと協力して、スパイスもすべてオーガニックで作っています。夏は炭酸水で割って、冬はホットで、年中楽しんでいただけます。」
そのほか、いちごの甘みを生かしたスプレッドや、いちご100%のシロップを使ったかき氷など、子どもにも安心して食べさせられる商品を届けている。
「安心して食べられるって言ってもらえるのが、一番嬉しいですね。」
品種を選び、育て方を選び、届け方を選ぶ。宮崎さんの取り組みの根底にあるのは、いつも「誰に、何を届けたいのか」という視点だ。
その想いは、やがていちごづくりを超えて、もっと先の未来へと向かっていく。
⑤安心して食べられるいちごを全国へ
今後の展望について尋ねると、宮崎さんは、これまで以上に真剣な表情で語ってくれた。
「安心して食べられるいちごが、岐阜や愛知だけじゃなくて、全国に広がってくれたら一番いいなと思っています。」
自分たちの取り組みがきっかけとなり、無農薬や食の安全に目を向ける人が増えていけば、いちご業界全体も少しずつ変わっていくのではないか。そんな想いがあるという。
「農薬を使わずにいちごができるんだっていうことが、他の農家さんにもどんどん浸透していけばいいなって思っています。そうなれば、安心して食べられるいちごも、この先もっと増えていくと思うんです。」
その根底にあるのは、次の世代への想いだ。
「この先を担っていくのは子どもたちなので、やっぱり子どもたちの健康面を一番に考えていきたいです。」
一方で、いちご農家を続けていく上での現実的な課題も、包み隠さず教えてくれた。
「ハウスでいちご栽培を続けていこうと思うと、どうしても定期的な補修が必要になるんです。日本全体が物価高になってきていて、昔は何十万円で買えていたものが、今はもう100万円単位になることもあります。」
さらに、ハウス全体を建て替えるとなれば、最低でも300万円前後の費用がかかることもあり、その負担は決して小さくない。
「資材の値段は年々上がっているのに、いちごの販売価格はなかなか上がらない。そこは正直、すごく厳しいところですね。」
それでも、宮崎さんが直売という形にこだわる理由がある。
「直接自分たちが販売する形だと、顔を見て話せるんです。どういう人が作っていて、どういう想いを込めているのかが分かる。伝えることはこれからも大切にしていきたいですね。」
育てる人の想いは、いちごにも宿る。宮崎さんはそう信じている。
安心して食べられるいちごを探している人、子どもたちに安全なものを食べさせたい人、岐阜発祥の品種・濃姫を味わってみたい人は、ぜひ一度訪れてみてほしい。宮崎さんの想いとともに育ったいちごが、きっと新しい気づきを与えてくれるだろう。
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